青い空はポケットの中に - 私のドラえもん・藤子不二雄ファン遍歴

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私のドラえもん・藤子不二雄ファン遍歴

私事だがこの場を借りて、自分の藤子ファン遍歴について振り返ってみたい。

私が初めてみた藤子アニメは、記憶の範囲内では「笑ゥせぇるすまん」だったと思う。このアニメは大橋巨泉さんの大人向け番組「ギミア・ぶれいく」内で放送されていたものだ。多分父親が見ていたのを一緒に見ていたのだと思うが、このアニメは私の心に強烈な印象を与えた。このアニメは大ヒットし、当時子供向けだと思われていた藤子アニメのブラックな一面を世間に知らしめるきっかけとなった。この「笑ゥせぇるすまん」は完璧と言っていいほどの出来で、最もAイズムを感じさせるアニメであろう。再放送も繰り返し行われ、私もその度に観ていた。近年になって、喪黒福造のモデルはA先生と親交のあった大橋巨泉さんだったことが明らかになった。幼少時にこのような黒いアニメを見てしまったのだから、そのショックは相当なものだったに違いない。ただ、幼少時の感想など、たかが知れている。幼い私はただ単に喪黒の「ダーーーーーッ!!!」が見たいがために見ていたに違いない。再放送されても「喪黒って、悪いヤツだな」位にしかその当時は思っていなかっただろう。人間のエゴを深くえぐり出したとかそういうことに気づいたのは、ごく最近のことである。私が最初に触れた藤子作品は意外にもF先生の作品ではなくA先生の作品だったのである。

藤子アニメといえば、「キテレツ大百科」も忘れてはならない。個人的に思い入れの強い作品である。このアニメは原作の話数の少なさを優れた脚本によって補うことが出来た好例であった。作品の出来も大変素晴らしく、「サザエさん」の視聴者をチャンネルを買えずにそのまま視聴させることに成功した。視聴率も常に20%を超えていたように思う。当時はドラえもんよりも面白いと思っていた。キテレツは初出時の掲載誌が「こどもの光」という農協系の雑誌で、年齢層も高めに設定されていたという。ドラえもんよりは冒険色の強い作品が多く、当時の私を夢中にさせた。また、リニュー版ドラで使われているような淡い背景画が印象的であった。これは非シンエイ動画作品でありながら、藤本先生の評価も高かったらしく、大健闘であったのだろう。最終回の時は悲しくて涙が出てしまった。後番組のこち亀は好きな漫画だったので継続して見ていたが。

ドラえもんに関しては、やはり物心の付く頃から見ていた。その頃から今に至るまで、ほぼ毎週見続けている。大山のぶ代さんの声も私の心に深く刻み込まれ、「どうしてこんなにもドラえもんに合っている声なのだろう!」と感慨深く語ったこともあった。大山さんの声が素晴らしいと考えているのは、大山ドラ派の方々とも変わらないと思う。タイトルバックでいえば私は「グリーンバック」世代なので大した年数は見ていないのかもしれない。ただ、季節ごとのスペシャルやレギュラー放送のBパートを通じて、過去の作品には多く触れられたと思っている。大晦日は紅白でも格闘技でもなく、我が家では昔から「ドラえもん」だった。それは今でもそうだし、これからもそうであろう。

原作に初めて触れたのは、小学校の入学祝いに「小学一年生 入学準備号」を買ってもらったときである。どんな話が載っていたかは失念してしまったが、連載が再録中心になってからも「作者のことば」として藤本先生のメッセージは掲載されていた。その後、小学校3年生の時に学校の図書室に「ドラえもん」と横山光輝氏の「三国志」が入庫した。学校に漫画を入れるなんて当時の小学校の先生はずいぶん思いきったことをしたものだと思うけれど、ドラえもんはすさまじい人気で、図書室にドラえもんの単行本が残っていることはないほどであった。紛失も多く、学期末の一斉書庫点検でも(私はずっと図書委員をやっていた)、45巻全てが揃うことはなかった。「三国志」の方は、綺麗な形でほぼ全巻残されていたけれど(注:横山光輝氏は素晴らしい漫画家である。ただ、当時の小学生には受けなかったというだけであろう)。

アニメの影響で原作漫画も少しずつ買い始めた。その頃は夢中になって読んだのを覚えている。最初のほうに買った単行本は汚れや折れ曲がりや傷だらけでボロボロになっている。わずか6,7年前の出来事なのだが、よほど夢中になって読んだのだろう。今読み返しても更に面白いし、新たな発見がある。

そんな私をドラえもんファン・藤子不二雄ファンにさせたのは、奇しくも藤本(藤子・F・不二雄)先生の逝去がきっかけであった。私は生前の藤本先生をほとんど知らない。記憶に残っているのは、アニメドラの番組内で映画「2112年ドラえもん誕生」で藤本先生がアテレコに挑戦する映像が放送されたことくらいである。「『ドラえもん』の生みの親 藤子・F・不二雄氏が死去」とテレビのワイドショーの画面に映し出されたのはそれから1年後、私が小学4年生の時であった。リポーターが藤本先生宅の前で中継をしていて、お決まりの過去を振り返る映像が流されたのは記憶に残っている。当時私がどのような感想を持っていたのかは記憶が定かではないが、その後追悼特番として放送された「のび太の日本誕生」や「驚きももの木20世紀」という番組内で放送された藤本先生の追悼特集を見たことは覚えている。「驚き~」内では再現ドラマ形式で藤本先生の生涯が放送されていたが、「ペンを握ったまま机の上で気絶して、その3日後に亡くなった」という内容が画面上に映し出された時、私はその壮絶とも言うべき最期に、子供心に強いショックを覚えたことは覚えている。

その後私は「藤子・F・不二雄」という漫画家に強い興味を抱き、小学6年生の時には横浜ランドマークで開催された「藤子・F・不二雄の世界展」を見に行った。当時の私にはまさに「目からうろこ」の展示物ばかりで、いたく感激したのを覚えている。私は確かに生前の藤本先生は知らないが、早いうちに藤子作品や藤本先生の人物像に少しでも触れることが出来たのは良かったと思っている。

その頃からかなりのペースでドラの単行本を集め始め、ドラの原作の世界にどっぷりと浸かっていった。後で読み返したり、大人になってから読み返しても新たな発見があるのもドラの原作の大きな魅力であろう。私にとっての原点は、ドラえもんの原作漫画である。コロコロコミックも買い始めた。その頃は藤子プロの手による「のび太の南海大冒険」の映画原作が連載されていた。読んでみて、「なんだ、つまらない。」・・・その頃の私の率直な感想であった。それでもミニ四駆やハイパーヨーヨーやビーダマンなどの流行に囲まれながら育ち、結局コロコロコミックは中学を卒業するまで買い続けた。当時から流行っていたポケモンは私の嗜好の直球ストライクゾーンに入り込み、今でもポケモン(ゲームだけ)は好きである。

もうひとつショックを受けたのは藤本先生の「SF異色短編集」を読んだ時である。「ミノタウロスの皿」と「みどりの守り神」をその時読んだが、絵柄はいつも読んでいるドラえもんと変わらないのに、何かやるせないもどかしさを感じたのだ。と同時にこのような漫画を描ける藤本先生に強い畏敬の念が生じた。

私がインターネットを利用し始めたのは中学生の頃。当時は藤子ファンサイトやドラえもんファンサイトが最も活発な時期で、「重箱の隅系」や「データベ-ス系」など、実に様々な種類があった。現在ではその多くが淘汰されてしまったが、この藤子・ドラファンサイトを通じて私は多くの情報を得たし、リアルタイムで原作に触れている方々が本当にうらやましく思えたものだった。現在ではブログを開設するに至っている。

世間から見ればマイナーな存在だが、私はこれからも藤子作品をこよなく愛するだろう。ドラえもんの未収録作品など、知りたいことはたくさんある。藤子ファンの興味は尽きない。

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