青い空はポケットの中に - 映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』レビュー

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ハマーン URL 2008-04-21 Mon 21:30:18

こんばんわ。
あちこちでかなりの賛否両論が湧き上がっているようで…。
コミックス版を先に読んだのですが(映画は未見です。DVD待ちです)、こちらは映画よりも綺麗に物語が流れてるので、このコミックス版をそのまま映像化すれば良かったのにと勿体無い思いがします(漫画の映画化か、映画の漫画化のどちらかはちょっと分かりませんが。また、映画の方向性がコミックス版と随分変わってるのは渡辺監督の意向があるそうです)。
自分がDVDで観終わった後、不満は覚えるかもしれませんが後悔はしないだろうと思います(勝手な推測ですが…)。DVDには劇場版と漫画をそのまま映像化した再編集版の二種類を収録、なんてしてくれたら嬉しいんですけどね。

歌は個人的にリニューアルの中では一番良いと思ってるんですけどね。

確かにテレビの最新映像観たとき「ジブリっぽいなあ」と思いました。あれだけ露骨に真似事をするのもどうかと。25作まで務めた芝山監督は宮崎監督に多少のライバル意識があるそうなので、芝山監督がこれ観たらどう思うのかな…。

手描きタッチは悪くないとは思いますが、やっぱり富永氏の作画が一番気に入ってます。

昭和の風景は良いですよね。やっぱりドラえもんには昭和のイメージがぴったりです。

「ぼくの生まれた日」のワンシーンというのは、その短編映画の映像がそのまま流用されてるということなのでしょうか? そこがちょっと気になったりしてます。

やっぱり芸能人声優は…どうして作品そのもので魅せようとしないんでしょうね。

来年はあのリメイクだそうで…。制作陣には今回の反省点を生かしてほしいですね。

長文で失礼しました。

Rainyblue URL 2008-04-21 Mon 23:22:29

こんばんは。

今作は本当に賛否両論ですね。

上の記事では厳しい意見が並びたてられていますが、私も決してつまらない映画だとは思わず、むしろ映像的な面白さでは突出していたと思うんです。ですから、映画ドラえもんのオリジナル作品(リメイク除く)の中では3本の指には入ると思っています。

コミックス版は読もうと思っていたのにもかかわらずまだ買っていないのですが、近日中に必ず読了した上で映画版との比較記事をアップしたいと思います。コミックス版の良い評判はあちこちのブログで私も目にしています。

ところで、脚本の段階ではかなり漫画版に忠実だったそうですが(むしろ脚本をもとに漫画版が描かれた可能性が高い)、やはり渡辺歩監督がかなりの部分で手を加えたそうですね。

『ぼくの生まれた日』のワンシーンは、クライマックスの愛が云々というくだりで登場します。パパ・ママの顔の描き方や、画面が切り抜かれた状態で映画に登場しているので、おそらく短編映画版の流用かと思われますが、当然ながら声は現キャストのものに差し替えられていました。

また何かありましたらいつでもコメントください。

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Trackback from commonplace days 2008-04-22 Tue 23:40:15

のび太と緑の巨人伝

公開2日目の映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝を見てきました。 観覧劇場は渋東シネタワーのCT3で14:45からの回。座席数346席の大体が埋まっ... (more…)

Trackback from TheSkyBeans 2008-04-24 Thu 18:59:40

映画ドラえもん「のび太と緑の巨人伝」総合記事

この記事を「巨人伝」関係総合トピックにしました。 3/23:ようやく観てきました。但し、今年は去年みたいに膨大なレビューを書くのは無理。もう一回行くとは思うのですが、加筆(力が入ったものかどうかはわかりませんが)をする…と思います。二回目に行ってきたので... (more…)

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映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』レビュー

終映日を2日過ぎた4月20日、ようやく映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』を観に行ってきました。

場所は立川シネマシティで10:20の回でした。平日を有効利用できる大学生のうちは、映画は客が少ない平日の午前中に見ることにしているのですが、この時期にまだドラえもんを上映している映画館は数少なく、何の因果か、昨年『のび太の新魔界大冒険』を観たのと同じ映画館での観賞となりました。

立川は最近発展目覚ましく、多摩地区最大級の都市となりつつあります。日曜日というだけあって駅前は人通りも多く、映画館の前にはチケットを求めて長蛇の列ができていました。シアターの中に入ってみると、客の入りは3分の1~半分といったところでしょうか。今日はこの映画館での終映日でしたが、ほとんどが親子連れで、思ったほど混んではいませんでした。本来はちびっ子達の声が聞こえない静かな環境で観賞したいところですが、今回はちびっ子達の反応も考慮に入れつつ、さっそく感想を書き進めていきたいと思います。自分の記憶を頼りに独りよがりな文章を書きなぐっているのでところどころ間違っているかもしれませんが悪しからずご容赦ください。(ネタばれ有り)

今回はちょっと趣向を変えて、以下の項目別に採点をして、100点満点で得点を出してみたいと思います。

点数配分・採点基準は完全に私の独断と偏見によります。基準点は初代『のび太の恐竜』の80点とします。

【オープニング】5点
【ストーリー:前半】20点
【ストーリー:後半】30点
【動画(作画)】10点
【背景(美術)】10点
【声優(演技)】20点
【エンディング】5点
【合計】100点

あらかじめ申し上げておきますが、一昨年の『のび太の恐竜2006』と、昨年の『のび太の新魔界大冒険』共に、どちらも忙しくてまともなレビューが書けませんでした。そこで今回こそはと大風呂敷を広げてはみたものの、考えれば考えるほど疲れるというか、レビューを書く筆がなかなか進まないというか、そんな映画でした。だからそんな大した感想記事にはならないかも・・・。

◆オープニング
OP曲は『夢をかなえてドラえもん』、昨年よりアニメ・ドラえもんのレギュラー放送でOP曲として使われている。曲調は穏やかな感じで、どちらかというとED曲向きかもしれない。オープニングアニメはクレイアニメーションだった。クレイアニメは以前にも使われたことがあり、今回はキャラクターたちが可愛くデフォルメされており、その他の造形物や、歌のテロップも含めてファンシーな印象だった。粘土独特の質感を重視したように見受けられ、手作り感のある動きでリアルさは余り感じられなかった。歴代オープニングの中では平均レベルといったところか。ただし迫力は足りなかった。

◆ストーリー:前半
”良かったけれど・・・。” ストーリー:前半を一言で表すとそんな感じである。

渡辺監督は、『帰ってきたドラえもん』『ぼくの生まれた日』などの併映短編作品にみられるように、日常風景の描写は相変わらず上手で、情感豊かな日常風景は美しく、見ていて飽きなかった。

ストーリーの前半は、てんとう虫コミックス第33巻「さらばキー坊」に準拠しており、そこからいくつかの場面が付け加えられていた。したがって、ストーリー前半全体を通して特に問題はなかったように感じられた。

キー坊の造形は、スクリーンで見ると思った以上に可愛らしく仕上がっていた。原作のキー坊に比べて、「可愛さ」という側面がかなり強調されたキャラクターデザインとなっている。しかし、それ故キー坊の見た目と裏腹ににインテリジェントな側面は大幅にスポイルされてしまっている印象を受けた。

特に良かった点は、のび太のママとキー坊との交流である。まず前提として、「ママの生き物嫌い」はキー坊がママの頭の上に乗っかったときにママが身震いしたシーンできちんと描かれている。その上で、キー坊が洗濯物を取り込むのをママと一緒に手伝うシーンや、家中に「0点」という文字を落書きするというキー坊の悪戯をママが全く気にも留めないというシーンで、ママとキー坊の心温まる交流が情感豊かに描かれており好印象だった。本来「生き物嫌い」であるはずのママが突然気が触れたようにある生き物を愛でるという性質は、てんとう虫コミックス第43巻「ネコののび太いりませんか」でも描かれており、その点でも説得力のあるシーンである。また、あくまで傍観者として温かく見守るというのび太のパパのスタンスも的確な描写だったと思う。

赤いジョーロをもった女の子が登場してからしばらくは、ジブリ作品の影響を感じた。特に『となりのトトロ』の影響だろうか。ジョーロの女の子の笑い方などはどことなくメイを彷彿とさせるし、その後キー坊とのび太がグルグル回って空を飛ぶシーンなどはもろにトトロの影響だと思われる。なぜキー坊が空を飛べたのかは大いに疑問ではあるが。後半でも、ジブリ作品の影響とみられるシーンはいくつも見受けられるが、予想していたよりは「ジブリっぽさ」は感じなかった。

◆ストーリー:後半
”(悪い意味で)非常に疲れた。” ストーリー:後半を一言で表すとそんな感じである。

とにかく、疑問点だらけなのだ。

まず、裏山に捨ててあった不思議な物体にドラえもんが「かたづけラッカーDX」を吹きかけたところで、ストーリーは急展開を迎え、キー坊とドラ・のび太たちは地球外へと飛ばされる。飛ばされた先で黒い木々の間から地球が垣間見えることでのび太たちはここが地球ならざる場所だと知るわけだが、私は「じゃあのび太たちが今いる場所ってどこ?」という疑問が早くも生じてしまった。地球の植物のサンプルを回収するために「緑の星」から派遣された宇宙船の一部か、または不思議な物体と緑色のスライム状の物体の一部なのか、それとも地球と緑の星をつなぐ通路の一部なのか、スクリーンに映し出された映像だけでは把握できなかった。

のび太たちが緑の星に到着し、船に乗せられたシーンで緑の国民が騒いでいたけれど、これはのび太たちを歓迎しているのだとしたらあまりにも不自然だし、不可解だった。多分、議会が開かれ、王女が来るということで騒いでいたとも解釈できなくもないが・・・。何にしても説明不足だ。

後半で特に疑問だったのはリーレの心情変化である。一体リーレというのはいかなる人物で、何を考えていて、そしてどう変わったかというのが非常に理解しにくかった。結局リーレは何がしたかったのだろうか?映画のパンフレットには「かなりのわがままだけど、孤独なさびしさを抱えている」と書かれている。書いてある文章を見れば、「ああ、そうなのか」と思ってしまうのだが、物語上では「わがまま」とか「孤独でさびしい」などの心情が読み取りにくいのだ。最初はいわゆる「ツンデレ」なキャラクターとも思ったし、彼女がところどころ不可解な表情を見せる場面では「黒幕あるいは裏があるキャラクター」なのかと思ってしまった。

分かりやすく言うと、リーレは「本当は地球人を絶滅させる意思などない心優しい少女で、孤独から来るさびしさゆえわがままだったが、キー坊やのび太たちとの交流を通して素直な心を取り戻した」ということが言いたいのだろう。しかし、やたら怒りっぽい場面が後半に頻出したために、リーレは本当に地球を破壊する意思があるのかないのかと、私の考えが揺らいでしまった。特にのび太と取っ組み合うシーンではむしろリーレが好戦的な人物に見えてしまうし、よりわがままになっているように感じられる。だから大臣シラーに緑の巨人復活(地球総攻撃)の許可を求められ葛藤するシーンが生きてこないし、浮いてしまっているのだ。リーレが頭を抱えているシークエンスはなぜあんなに悩んでいるのか、それとも別の力に操られでもしているのか、という邪推まで私の中に生じさせてしまう始末だった。国家元首という緑の国民を代表しなければならない公の立場と個人としての感情に揺れ動いていたのだろうか?そうならばもう少しそのあたりを丁寧に描いてほしかったところだ。

キー坊とリーレの関係も不明確だ。キー坊がリーレの靴を戯れに取り上げ、それをリーレが取り返そうとするところからキー坊とリーレの追いかけっこはスタートするわけだが、何故あそこまでリーレはキー坊を執拗に追いかけ回すのかが理解できなかった。

関係といえば、緑の星に住む種族の相関関係もわかりにくい。「森の民」は、どうやら緑の危機は内なる問題(=緑の星の問題)だと知っていて、争いが何の解決にもならないことを知っている、緑の星における古の民だとわかる。では、地上に住む緑の国民は彼らに敵対心を持っているのかということや、森の民と王族との関係など、描かれているようで今ひとつピンとこない。緑を破壊する人間に敵対する緑の国民が、実は森の民の生活を脅かしていたというメタ構造なら面白いし、実際そうであるかのような描かれ方をしていたのだが、そういうことを分かりやすく伝えるには少々描写不足だった。

上記と関連して、緑の星の古の文明の話が森の民が語る物語によって描かれていた。「いばりんぼう」という単語が説教臭くて鼻についたのは置いておくとして、これでますます緑の星に住む種族の関係が分からなくなった。緑の星における古の文明は一度戦争により見るも無残な姿になり、クライマックスにその荒廃した文明の跡が登場するが、突如その文明跡が登場したのか分かりにくいし、時間軸も不明瞭だ。古の文明の物語は、クライマックスののび太の台詞「考えが違っただけで、なぜケンカしなきゃいけないの?」に活きてくるのだとは思う。要は、一度失敗したが反省してそこから立ち直った緑の民(おそらく古の文明における支配種族だったのだろう)と、それを知らない緑の国民という関係なのだろうが・・・。

物語がクライマックスを迎え、ラストに近づけば近づくほど、ストーリーはますます訳が分からなくなっていく。特に、「緑の巨人」(私には「緑の巨木」に見えたが・・・)が復活し、長老ジィが再登場したあたりから、ストーリーにおける舞台、すなわち今のび太たちはどこにいるのかが全く分からなくなってしまった。ストーリーの後半に入ったあたりから、キャラクターや舞台の位置関係が分からなくなっていったが、ここにきて頂点に達した感がある。「緑の巨人」が復活するシーンや、スライム状の物体が巨人のようになるシーンでまたもや「ジブリっぽさ」が噴出。ジブリ作品、とりわけ宮崎駿作品は「ウニョウニョしたもの」や「スライム状の物体」が頻出するし、巨人の描き方も独特だ。ストーリーの描かれ方を含めて、こういうクライマックスの重要なシーンでこうした「ジブリっぽさ」を出してしまうと、何のためのオリジナル作品なのかと思ってしまう。

長老ジィが「宇宙は愛に満ちあふれている云々・・・」を語るくだりはもはや感想を通り越してもはや何が何だか分からない。そうしたらもう地球や緑の星が一面お花畑になるわ、緑の国民は改心しちゃうわ、息つく間もなくストーリーは解決してしまうのだから。

結局、キー坊が何者で、なぜ緑の巨人の復活に必要なのか?ドラが持っていたあの緑のタケコプターみたいな道具は?長老ジィは人智を超えた存在なのか?長老ジィが持っていた「証」と称する黒い葉っぱのような物の意味は?そもそもこの映画のタイトルでもある「緑の巨人」とは一体何者?この他にも疑問点が多すぎてストーリーを追うどころではなかった。ところで、「ぼくの生まれた日」のワンシーンが流れたのはちょっと反則かも。

批判的なことを書きすぎてしまったので、ストーリー後半の良かった点を挙げると、議会でリーレが演説をしたシーンで、しずかちゃんの「えらい人の一言で決まっちゃうのね」という言葉は非常に生きた台詞で良かった。一見、地球よりも文明の発達したように見える緑の星の統治機構(議会)が実は非民主的かつ権威主義的であることを示すことで(ここで少数派の声がかき消されてしまう描写も秀逸だ)、その後のシラーが発する地球に対する厳しい台詞によって我々観客が一方的に下の立場に置かれることを防いでくれている。一般に環境警告的な作品は、そのメッセージ性の強さゆえ説教臭くなりやすく、受け手が一方的な悪者にされてしまうことが多いのだが、この映画ではそうした説教臭さはあったものの、緑の星の負の側面を描くことで(地球人=観客)を一方的な悪者に仕立て上げていないところが良かったと思う。議会の様子や装束を着たリーレが「スター・ウォーズ エピソード1」の銀河共和国議会やクイーン・アミダラに似ていたというのはこの際目をつぶることにしよう。

また、ラストシ-ンはかなり良かった。特にのび太のパパとママが「のび太の親であること」を感じさせる演出に長けていたと思う。やはり、親は何も言わずとも子供の思っていることは分かるものであり、そして優しく子供を包み込んでくれる存在であると思う。このラストシ-ンは、のび太のパパ・ママの「親らしさ」を十二分に感じさせる演出で、ラストシ-ンとしてふさわしいものであった。

◆動画(作画)
リニューアル後のドラえもん(わさドラ)における映画3作品では、最もこなれていた印象がある。上記3作品におけるキャラクターの作画はレギュラー放送におけるそれとは違う、手描き感を重視した柔らかい質感のデザインになっている。そのためドラえもんがぬいぐるみのようにつぶれたり、のび太の髪の毛はなびくし、各キャラクターはこれでもかというくらいグニャグニャと動きまくる。個人的には嫌いではないが、賛否両論分かれるところであろう。前々作『のび太の恐竜2006』では、各アニメーターの個性を尊重したのか、作画が統一されておらず、やたらと動きが激しいシーンがあったり、シーンごとにキャラの顔が違ったりした。前作『のび太の新魔界大冒険』では、キャラクターの柔らかさをことさら強調したかったのかドラえもんはまるでぬいぐるみのようだし、のび太たちはまるで無脊椎動物のようだった。今作はそういう意味ではバランスの取れた動画だったと思う。

◆背景(美術)
上記3作品の中では最も好印象だった。私が渡辺歩監督作品で最も好きなところは背景美術といっても過言ではない。リアルで情感に溢れ、どこか懐かしさを感じさせる風景描写は実に美しい。これがドラえもん映画に合っているかについては意見の分かれるところであろうが、少なくとも私は映画というスペシャルな舞台には合っていていいと思う。そもそもリアルタイム(藤子・F・不二雄先生存命中)におけるドラえもんの舞台は1969年~1996年で、最も多く描かれていた時代は1980年代だから、ドラえもんが常に現代を舞台にする作品であるとはいえ、少し懐かしさを感じさせるくらいの背景の方がドラえもんらしいといえるのではないだろうか。

◆声優(演技)
レギュラー陣は声質・演技ともに安定してきており、特に問題はなかった。ただ、前々から各方面で指摘されていたように、のび太が少々凛々しすぎるように感じられた。のび太役の大原さんの演技に関しては、もう少しダメな部分も強調しないと、まるでのび太が出木杉のように感じられてしまう。とはいえ、今回はのび太が必要以上に泣き叫んでいなかったのは良かった。

リーレ役の堀北真希さんは、声質も合っていたし、特に少女としてのリーレを演じる際は瑞々しい声で良かったと思う。ただ、王女としてのリーレの演技はもうひと頑張り、というところだった。しかし、そもそもリーレというキャラクターがいかなる人物なのか非常に分かりにくかったために、もしかしたら彼女の演技に問題があるのではと思わせてしまったのは残念である。これは彼女の演技の問題というよりは、リーレというキャラクターの不明瞭さに帰結するだろう。これらを全て彼女の演技のせいにしてしまうのは酷な話だ。

他にも、長老ジィを三宅裕司氏、パルナを有田哲平氏が演じている。どちらも演技には問題なかった。しかし三宅氏はどうしても顔が思い浮かんできて長老ジィのキャラクター性が際立ってこない。有田氏はそもそも気付かなかった。

今回耳についてしまったのは、アフレコ体験の子どもたちの声が予想以上に多かったことである。そもそも、キー坊を演じているのは一般視聴者の中から公募で選ばれた8歳の少年である。他にも、比較的重要なキャラクターをアフレコ体験の公募で選ばれた子供たちが演じており、やはりその棒読み具合というか、無理して読まされている感が強く感じられてストーリーに集中できなかった。子どもたちは一生懸命演じているのだろうが、やはり素人の子供を重要な配役に起用するべきではないと思う。特に、最後にキー坊が話すシーンで子供の演技力不足が露呈してしまっており、「可愛らしいけど、実は聡明な」キー坊のインテリジェンス性を感じることができなかった。もっとも、この映画ではキー坊が聡明だというのはほとんど言及されておらず、元気で可愛らしいというキャラクター性を重視していたのだろう。ただ、そうすると『のび太と雲の王国』に今一つ繋がってこないというのが気がかりではあるが。もう一つ言えば、芸能人を声優として起用することは、もはやアニメや洋画(特にディズニー系)の吹き替えではもはや常套手段となりつつある。中には吹き替えの重要配役すべてを芸能人が演じていることを売りにする映画も存在するくらいだ。しかし、どうしても声より前に顔が思い浮かんでしまう芸能人を起用することには慎重になってもらいたいものだ。話題性とか、いろいろ大人の事情もあるのだろうが、声優という職業をもっと尊重すべきではないか。

◆エンディング
ED曲は絢香の「手をつなごう」。歌としては普通だが、ED曲としては前2作品に比べて印象に残りにくい曲だった。エンディングアニメも何だかシンプルというか、悪く言うと手抜きに感じられた。

◆総括
渡辺歩監督は、「雰囲気重視」の監督なのだと思う。今まで彼がドラえもんに携わった作品はほぼすべて見てきたが、今回の映画を見てそう確信した。論理よりも感覚、右脳型の監督とでもいうべきか。

私は、どちらかというと右脳型の人間だと思っている。しかし、映画を見るに当たってはストーリーの意味とか整合性を重視してしまうし、それは多くの人も考えを同じくするところであろう。しかしながら、そもそも「意味」とか「論理」といった概念にアンチテーゼを投げかけるような前衛映画ならまだしも、本来子供たちが楽しめるように作られるべき映画ドラえもんが、これほど分かりにくい作品に仕上がってしまったというのでは、批判的な意見を述べざるを得ない。おまけに、分かりにくい上にとっ散らかったストーリーがひどくご都合主義的に解決してしまうのだからもはや何と言うべきか・・・。

映画館で場所を同じくしていたちびっ子達の反応は、随所に挿入されるギャグシーンではいつも笑い声が起こっていた。ただ、映画も終盤になってくると、ソワソワし始めたり、私の近くに座っていたちびっ子などはスクリーンに背を向けて母親に抱きつき始めるという状態だった。子供向け映画で1作品2時間というのは上映時間としては少々長いと思う。90分前後できっちりまとめて作った方が面白くなったと思うし、残りの時間で以前のように併映作品を上映してもいいかもしれない。とにかく、子供を飽きさせない作品作りというのはとても重要だ。子供が反応するのがギャグシーンだけというのは余りにも寂しすぎるのではないだろうか。

「靴」とか「苗木」とか、ストーリーのキーとなる伏線はあったものの、あざといくらいに分かりやすい伏線と非常に気付きにくい伏線とが混在していたように感じた。伏線回収も今一つ把握しきれず、どれが伏線でそうでないのか判断しにくかった。

この映画に足りなかったのは、「ワクワク感」とか「冒険感・静かなシーン」、あるいは「カタルシス」といった感覚ではないだろうか。「ワクワク感」に関して言えば、例えば第4作『のび太と海底鬼岩城』でのキャンプや食事のシーンのように、異世界をワクワクしながら探索している場面がない。また、「冒険感・静かなシーン」に関して言えば、例えば異世界に危機迫る状況で、夜、焚き火をしながらこれからのことを話し合ったり、キャラクターの交流が描かれているシ-ンである。これは異世界で冒険していることを観客に感じさせるだけでなく、次の迫力あるシーン直前のブレイクとしての効果をもつ。こういう緩急をつけたシーンが不足していたのではないだろうか。また、「カタルシス」に関して言えば、やはりのび太たちが敵を倒すシーンがないだけでなく、あまりに場面転換が唐突であったり、事件の解決が人智を超えた存在によってあっけなく解決してしまったりと、ドラやのび太たちが「自分たちで物事を解決」するシーンが圧倒的に不足してはいないだろうか。

上記に関連して、今作は「ドラえもんやのび太たちはいったい何をしたの?」すなわち、のび太たちやドラえもんの存在までもがストーリーの背景と化し、空気化してしまったのである。最近の映画ドラえもんによくみられる傾向であるが、ドラの道具を何かしらの方法によって使えなくしてしまっていることがある。特にオリジナル作品については「もはやドラえもんの道具はストーリーの足枷にしかならないのか」とも思えてくる。そもそも『ドラえもん』という作品を形作っている面白さの一つは、間違いなく「道具」にあると思う。ストーリー上にいろいろと制限を加えることがあったとしても、ドラの道具を効果的に使ってこそ映画ドラえもんであると思うのだ。しかしこの映画におけるドラの役割は、「植物自動化液」をかけた時点ですでに終わってしまっているといってもいい。のび太たちも、ストーリ-における役割分担が明確ではなく、目まぐるしく動くストーリーにただただ翻弄されてしまっている印象が強い。メインキャラを思う存分活躍させてこそ、映画ドラえもんといえるのではないだろうか。

言ってしまえば、この映画は「キー坊とリーレの物語」なのだと思う。ドラえもんとのび太たちはこの映画ではもはや脇役でしかないのではないかとすら思える。確かにストーリーの前半ではキー坊とのび太たちの交流が美しく描かれてはいたが、色々な意味でインパクトの強かったストーリー後半のことを考えると、前半部分はプロローグ程度にしか感じられなくなってくる。

結論として、この映画がどうだったのかといえば、「思ったより良かった」といえる。少なくとも、映画ドラえもんにおけるワースト作品ではない。何故なら決して「つまらない」作品ではなかったからだ。この映画よりもっとつまらない作品は他にもある。では、何故「良かった」「つまらなくはなかった」といえるのかは、ひとえに渡辺歩監督が「雰囲気重視」の監督だからであろう。ストーリーの整合性云々よりも、作品の雰囲気を何より重視した結果が『のび太と緑の巨人伝』なのだろうと私は感じた。

以上の分析より、各項目別に得点を算出してみると、

【オープニング】2/5点
【ストーリー:前半】12/20点
【ストーリー:後半】2/30点
【動画(作画)】4/10点
【背景(美術)】8/10点
【声優(演技)】6/20点
【エンディング】1/5点
【合計】35/100点

まあ、35点くらいが妥当かな、とは思います。

書いていて非常に疲れました。今後僅かに加筆修正するかもしれませんが、これが決定稿ってことで。

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ハマーン URL 2008-04-21 Mon 21:30:18

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コミックス版を先に読んだのですが(映画は未見です。DVD待ちです)、こちらは映画よりも綺麗に物語が流れてるので、このコミックス版をそのまま映像化すれば良かったのにと勿体無い思いがします(漫画の映画化か、映画の漫画化のどちらかはちょっと分かりませんが。また、映画の方向性がコミックス版と随分変わってるのは渡辺監督の意向があるそうです)。
自分がDVDで観終わった後、不満は覚えるかもしれませんが後悔はしないだろうと思います(勝手な推測ですが…)。DVDには劇場版と漫画をそのまま映像化した再編集版の二種類を収録、なんてしてくれたら嬉しいんですけどね。

歌は個人的にリニューアルの中では一番良いと思ってるんですけどね。

確かにテレビの最新映像観たとき「ジブリっぽいなあ」と思いました。あれだけ露骨に真似事をするのもどうかと。25作まで務めた芝山監督は宮崎監督に多少のライバル意識があるそうなので、芝山監督がこれ観たらどう思うのかな…。

手描きタッチは悪くないとは思いますが、やっぱり富永氏の作画が一番気に入ってます。

昭和の風景は良いですよね。やっぱりドラえもんには昭和のイメージがぴったりです。

「ぼくの生まれた日」のワンシーンというのは、その短編映画の映像がそのまま流用されてるということなのでしょうか? そこがちょっと気になったりしてます。

やっぱり芸能人声優は…どうして作品そのもので魅せようとしないんでしょうね。

来年はあのリメイクだそうで…。制作陣には今回の反省点を生かしてほしいですね。

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今作は本当に賛否両論ですね。

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ところで、脚本の段階ではかなり漫画版に忠実だったそうですが(むしろ脚本をもとに漫画版が描かれた可能性が高い)、やはり渡辺歩監督がかなりの部分で手を加えたそうですね。

『ぼくの生まれた日』のワンシーンは、クライマックスの愛が云々というくだりで登場します。パパ・ママの顔の描き方や、画面が切り抜かれた状態で映画に登場しているので、おそらく短編映画版の流用かと思われますが、当然ながら声は現キャストのものに差し替えられていました。

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