青い空はポケットの中に - 2009年06月

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お散歩日和

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-06-29 Mon 07:27:10
  • Diary
歩くのは好きですか?

短期アルバイトも金曜日で終わり。早く終われと思っていたけど、終わってみれば何となく空虚感が漂います。最後の日、スタッフの方はちょっと涙ぐんでました。そして来月からまた新しいバイトを始めます。土曜日には試験を受けてきて無事に合格しました。時給はだいぶ下がるけど、会場が新宿で通いやすいし慣れた採点のバイトなら別段困ることもなさそうなので。

この2ヶ月間授業とサークル以外はほぼバイトに充てていたから、わずかな空き時間を利用して散歩するのがここ最近の密かな楽しみになっていました。だけど季節が私の味方をしてくれたかといえばそうでもなく……。

冬>秋>春>夏の順で好きな私にとって、夏は最も苦手とする季節です。おまけに今は梅雨時。暑い中散歩をするのならまだしも、雨はいただけません。私はハンドルネームに"Rain"が入っているくらいなので基本的に雨は好きなのですが、それは実家の瓦屋根に響く雨音が心地良いからです。木造の瓦葺住宅じゃないとこの「音」は体験できないと思います。なんでもこの音は母親の胎内にいるときの音に似ているんだとか。なるほどね。

さて、日差しが強い日は表参道から青山通りを経由して渋谷まで歩いてみました。行く手にはオシャレな店が立ち並んでいます。やっぱノーブルな雰囲気がそこはかとなく漂っていて、何だか場違いな気持ちさえ生じてきます。でもひとつ路地を入ってみれば、年季の入ったラーメン屋やクリーニング店が目に飛び込んできたりして、下町の風情すら感じさせてくれたり。戦後ファッションの街として急速に発展してきたことで、これら本来の風景がポツンと取り残されてしまったのでしょうか。

国際連合大学の向かいには青山学院大学のキャンパスがあり、青学生になったつもりで忍び込んできました。真っ直ぐ伸びる並木道を歩いていると、いかにもキャンパスって感じがします。3・4年生しかいないので思ったよりも落ち着いた雰囲気です。でも2012年から全学年が青山キャンパスに回帰するんだそうです。その頃には倍率が跳ね上がることでしょうね。そういえば青学に来たのは受験以来だから約3年半ぶりか。だがしかし、青学さんは私を落としたんだよな~。

nakameguro.jpg

次の週は渋谷から代官山を素通りして中目黒へ。この街はとってもいい雰囲気です。東急東横線のガード下から続く目黒川沿いの並木道をのんびりと歩くのがおすすめ。目黒川の桜並木は桜の名所として有名ですが、何もかも覆い隠してしまうくらい主張する満開の桜と違って、川や建物と静かに調和している初夏の緑もまた穏やかな美しさがあります。

中目黒はまだ古さを感じさせる街で、ファッション関連の店も多いのですが、ちょっと錆びた雰囲気があるのが個人的には気に入っています。古ぼけた日本家屋を改装した古着屋はポストや表札がそのままになっていて一見民家との区別がつかないし、某ファッション雑誌でプッシュされている旬なブランドの直営店も、築何十年だかの木造民家を改造した地味な店構えで、路地裏のちょっと分かりにくい場所にありました。そうした隠れ家のような店が目黒川沿いには数多く佇んでいます。

今年のセールは金曜日から始まっているところが多いので昨日は原宿に行ってみたのですが、改札口が入場制限されているくらい凄まじい混雑でした。人気店は夕方の時点でも行列が見られたし、さすがに落ち着いてきただろうと思われた話題のH&MとFOREVER21は再び長い行列を作っていました。FOREVER21はオープンして間もないころに行ってみたことがあるのですが、メンズはH&Mを更に下回るクオリティでいかにもアメリカの大衆衣料品店という感じ。よれよれの素材感に一目で分かる雑な縫製、それにダボダボのシルエットでは試着する気すら起きません。

ファストファッションの流行はとどまるところを知りませんが、日本のマーケットに適合したユニクロと無印良品には到底敵いそうもない気がします。クオリティの面から見ても、海外資本ならアメリカンアパレルでも買うか、セール時にZARAかGAPでも狙った方がいいと思います。どれも日本上陸から時間が経っているので日本人に合う物が見つけやすいという面があるからです。さっきの二者もあるいは時間を経ることで、日本向けにこなれていくことも考えられるとは思いますが。

ところで、25日にマイケル・ジャクソンが亡くなりました。私は代表作くらいしか聴いたことがないけれど、彼が世界の音楽シーンに与えた影響が絶大であったことは間違いありません。近年ではスキャンダラスな面が強調され色眼鏡で見る人も多かったのでしょうが、死の直前までリハーサルに励んでいたという努力家の一面、そして全盛期のパフォーマンスを見れば、彼が世界最大のスーパースターであったことは疑いようがないと思います。

金曜日のバイト帰りに新宿のディスクユニオンに立ち寄ったら、彼の代表作「スリラー」が大音量で流されていました。原宿に立ち寄ったときは、映画グッズを扱うショップの店先のモニターに映し出された彼のパフォーマンス映像の前に人だかりができていました。そしてそのどれもが、ある種の寂しさを湛えて私の眼に映り、そして耳に響いてきたのです。エルヴィス・プレスリーやジョン・レノンが亡くなったときのように、ひとつの時代が終わりを告げているのを無意識に感じ取っていたからかもしれません。

来月にロンドンで行われるラスト・コンサートを直前に控えた突然の死というのが象徴的ですが、芸能一家に生まれ、幼少時からジャクソン5のリード・ヴォーカルとして天才の名をほしいままにし、生まれてから死ぬまでスターとして生きることを余儀なくされた彼の人生がある意味気の毒に思えてきます。

もうすぐ7月。夏至も過ぎ、梅雨も本格化しています。2009年も残すところあと半分。何気ないお散歩が、私の大きなステップとなりますように。

Intolerance

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-06-25 Thu 01:02:18
  • Nonsense
今は昔…じゃなくって、今も今、或るコミュニティがありましたとさ。

そのコミュニティを辞めた友人は言いました。
「あいつら、外面は仲良さそうでも裏ではいがみ合ってる」と。

彼の言っていることがようやく分かりかけてきた気がします。そして俺は今、そのコミュニティにいます。

昨日も今日も、誰かが他の誰かを攻撃していることでしょう。そして面と向かえば、仲良さそうな振りをするのです。そういう事実を知った今、俺はどう彼/彼女らと接すればいいのか、ふと戸惑うことがあるかもしれません。

人間は多様な生き物。多文化主義が拡大し、あらゆる自由が保障されているこの社会では、各人の価値観もまた十人十色です。100%同じ価値観などあり得るはずがありません。そしてそうした人々がコミュニティを形成したとき、時には対立も起こることと思います。

そういう時に必要なのが、「寛容=tolerance」の精神です。「映画の父」と呼ばれるサイレント映画の巨匠D・W・グリフィスは、超大作『イントレランス』(1916年)で、いつの時代もイントレランス(不寛容)が世を覆っていたことを描き、人間の心の狭さを糾弾しました。

陰口を言う前に、寛容の心を持とうよ。言いたいことがあったら誠心誠意面と向かって話そうよ。そういう心を持たない奴がどんなにそのコミュニティに不満をもってたとしても、そのコミュニティは一向に良くならないぜ。むしろ、鏡の前の貴方自身が不満の元凶かもしれないよ。自分の胸に手を当ててよく考えてみよう。

俺は好きな女の子に告白する度胸は(残念ながら)ないけど、人の陰口は言わないし、もし言いたいことがあったら極力優しく面と向かって話すことができるくらいのコミュニケーション・スキルは持ち合わせているつもりです。そして、あるコミュニティで各人がどんなことをしていても、他者に直接的な迷惑をかけない限り、寛容の心を持つことにしています。

「コミュニケーション力」を謳いながら実は画一化されたテンプレート通りのコミュニケーションしか求めないこのファッキン社会。やれ「甘え」だ「自己責任」だと、(偏狭な)「厳しさ」を標榜することがさも素晴らしいかのように持て囃されるこのしみったれた風潮。みんなどこかがおかしい。きっとイントレランスになっているんじゃないだろうか。

そのコミュニティが、エッジの利いたダイナミックなコミュニティへと歩んでいくためには?

それは、陰口を言い合うことでも、偏狭で上っ面だけの統制を敷くことでもありません。寛容の心で人と接し、面と向かってコミュニケーションをとること。そして、みんなが寛容の心を持つようになれば、自然と心のわだかまりもほぐれていくんじゃないかとおもっています。

まずは、トレランスの精神で。

きっとこのブログを見ていないであろう誰かに向けて。

そして俺自身に向けて。

降り出した雨を見上げて

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-06-20 Sat 16:52:33
  • Essay
先日、関東地方は梅雨に入ったと聞きました。とはいえ、気温は日を追うごとに上昇しているように感じられます。雨が降ろうが槍が降ろうが、夏の足音は着実に大きくなっていくことでしょう。

梅雨が過ぎ去れば、ああ…夏が、苦手な夏がやってきます。最高気温が20度台後半になることが多いこの時期。半袖が嫌いな私としては、思い切って半袖に衣替えするか、もう少し長袖で過ごしてみようかの二者択一にちょっぴり思い悩むひととき。

月曜日は夕立らしい「夕立」に見舞われました。パンツはずぶ濡れ。ジャケットは袖がびしゃびしゃ。靴は水浸し。高田馬場では降っていなかった雨が、ここ練馬区最果ての地では激しい雷雨だったのです。

駅に留まっていれば良かったのに、その時の私には「雨宿り」という選択肢は消え失せていたのでしょうか、気づいた時には豪雨降りしきるアスファルトの上を駆け出していました。水たまりを思いきり踏みつけて、自然のシャワーを浴びることを厭わず、1キロ先の家路まで。

とその時、眼前を遮ったのは激しいフラッシュ。遅れて耳に入り込んできたのは小刻みに震える重低音。どうやら、その音と光の正体は私が最も嫌う雷だったようです。嗚呼これぞ夕立、これぞニッポンの夏。「カカア天下と空っ風」を風物詩とする群馬県民は雷には慣れっこだろうと思われては困りもの。地元民だろうと怖いものは怖いのです。

 ♪あめあめ ふれふれ もっとふれ ひとりで おかえり うれしいな

そしたら「かあさん」が「じゃのめ」で「おむかえ」に来てくれるはずもなく、当然「ピッチピッチ チャップチャップランランラン」などという軽やかな響きもそこにはありません。そこにあったのはただ「Bitch Bitch Jap Jap Run Run Run!」な状態。

くだらない替え歌を考えていたらふと、私の好きな自由律の俳人、種田山頭火の句を思い出しました。

 夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

時を隔てても、夕立は何もかもずぶ濡れにさせてしまうのです。果たして家路について、部屋でずぶ濡れになった衣服を洗濯し、ぬるま湯のシャワーを浴びていると、なんだか心までずぶ濡れになっていくような気がしましたとさ。

そんな、久しぶりに遭遇した夕立のお話。

Shiver

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-06-14 Sun 02:24:04
  • Nonsense
関東地方も梅雨入りしてジメジメした季節になりましたが、いかがお過ごしですか?

とりあえず報告。まあ他愛もない話だけど。あ、別に悲しい出来事があったわけじゃないので。

金曜日、サークルKの飲み会に参加した。それは楽しかったんだけど……あれだね、男女関係って何なんだろうね。

終わった後、酔ってめんどくさいことになったAがその彼氏Bに慰められているという構図を目撃。いつもならBが酔っ払ってめんどくさいことになるんだろうけど、今回Bは酔っておらず、完全に役得者な状態。ヤツに愛されてる(?)Aは幸せ者だね、きっと。

俺が帰れなくなったのは、S線改札前でふたりが寄り添ってたから。どうすりゃいいんだよってな感じで、草葉の陰から覗くようにそっといてみると、BとAが抱き合ってる。見ようによっては痴話喧嘩にも見えるけど、Bが跪くような恰好でAに寄り添っていた(らしい)。

よくターミナル駅の柱でカップルが痴話喧嘩みたいなことんなってるのを目撃することがある。赤の他人なら「知るか」で済むけど、今回はなにぶん見知った相手だからねえ……。いろいろとショッキングだわ。

ケイケンのない俺には、ああいう状態に陥ってる時の男の気持ちが全く分からん。

まあ…とりあえず、お幸せに(笑)

Coldplay - Shiver (Live 2003)

Today Forever

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-06-05 Fri 23:54:18
  • Diary
一日遅れてしまいましたが、6月4日に、無事に22歳の誕生日を迎えることができました。メールやメッセージをくださった皆さん、本当にありがとうございました。

当日の朝、某SNSのトップページを開いてみたら"Happy Birthday!!"の文字が。

そうか、22歳になったんだ。とはいっても数字だけが先行して、未だ新入生に間違われることがありまして(笑) まあ、老けて見られるよりはマシだと思うことにしておきます。

この齢になっても、何だかんだいって誕生日は嬉しいものです。何かきっといいことあるような、根拠無き期待が頭をめぐります。いいことも悪いことも自分次第。おかげさまで今日も穏やかな一日を過ごすことができました。

その日は授業が終わった後原宿をぶらぶら。当座の誕生日プレゼントとして、LAD MUSICIANで梅雨時に役立ちそうなナイロンパーカを購入。店員さんは私が良く行く別の店で働いていたことがあるそうで、思わず話が盛り上がりました。服屋だらけなのに、案外原宿って狭いもんですね。

その後バイトを終えて今し方帰宅。そしたらポストには宅急便の不在者票が。送り主は祖母からでした。私のことを心配して、毎年定期的に食べ物を送ってくれるのです。ありがとうおばあちゃん。届いたらお礼の電話します。手紙も書きます。お盆に帰るんでその時にまた会いましょ。

それでは、これからもよろしくお願いします。

この一年に小さな幸せありますように。

皆さんにも小さな幸せありますように。。。


P.S. 5月10日にコメントをくださったしゃんさんへ。遅くなってしまい申し訳ありませんが、コメントに返信をしておきました。よろしければご覧になってください。

映画『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』レビュー

早稲田松竹で見てきました。毎月1日は「映画サービスデー」で、一律800円で見ることができます。それに話題作2本立てということもあって館内はほぼ満席。2作合わせて約5時間もの大作なので、上映が終了したあと時計を見たら22時近くになっていました。

『バットマン ビギンズ』(クリストファー・ノーラン、2005年)は、主人公ブルース・ウェインが如何にしてバットマンになったのかを描いています。『バットマン』シリーズの実写映画版は、怪作『メメント』(2000年)で知られるクリストファー・ノーランが監督になってからダークでシリアスな作風に変化したものの、基本的にはハリウッドにおける大作ヒーロー映画としての文法を大きく逸脱することはなく、”アンチヒーロー的要素を併せ持った”ヒーロー映画として万人が楽しむことができる作品に仕上がっています。また、同一性の排除と冷徹なまでの視線、そして執拗なまでのメタ的視点によって、クリストファー・ノーランらしい映画にもなっていると思います。

まあ、ハリウッドの制約として、次回作の製作がほぼ前提事項となっているシリーズものでも、興行収入如何によっては第1作限りで打ち切られてしまうことも十分考えられます。よって、シリーズものあるいは三部作ものの第1作は、得てしてそれだけでも独立した作品と見なしうる、あまり冒険しない作風になりがちです。

『スター・ウォーズ』シリーズ(EPIV・V・VI)でも、『スパイダーマン』シリーズでも、三部作の2作目が最高傑作と評されることが多いのは、その作品がそもそも前作のヒットを前提としているために、潤沢な製作資金をはじめとする様々なビジネス的特権が得られ、前作以上に監督に与えられた自由度が高く、映画監督としての作家性を存分に発揮できる環境にあるという、両者の相乗効果が生んだハリウッドという巨大映画産業の特殊性によるところが大きいでしょう。そして第3作が成功するか否かは、これまたシリーズ・作品によってガラッと評価が変わってしまうのが面白いところです。

あとは、悪役のラーズ・アル・グール(正確にはその影武者)役に渡辺謙氏が出演しています。私は公開時に話題になったことをすっかり忘れてしまい、クレジットを見るまで気付きませんでした。スキンヘッドが特徴的な敵組織のボスで、東洋趣味的な武術や「忍者」があちこち登場しますが、まあその描写が無邪気なハリウッド的偏見に満ちていることはもはやご愛嬌ということで。

結論から言うと、物語としての強度や映画としての完成度は『~ビギンズ』の続編である『ダークナイト』の方が高いと私は判断しました。

『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン、2008年)は、同年のアカデミー賞を総なめにするなど公開時から高評価だったわけですが、なるほど王道的なアメコミヒーロー映画に対するメタ的な視点を獲得しつつ、どれだけそこから逸脱できるかということに果敢にチャレンジしているように感じられました。

前作ではやや未来都市の趣もあった舞台・ゴッサムシティも、本作ではシカゴでのロケを中心に据えることでSF的な要素は薄められ、犯罪と腐敗で荒廃しつつある現代都市として描かれています。

また、ダークでシリアスな世界観もより徹底して推し進められ、物語からカタルシスを極力排除しようと試みています。しかしながら活劇としてのスペクタクルの持続性は前作以上に高いため、観客は画面上でハラハラドキドキしつつも、なかなか物語的に救済されないもどかしさを味わうことになるのです。

「悪」に対する描写も徹底され、最大の敵であるジョーカーは、無差別テロや殺人を犯すことで、市民や街を恐怖と混乱に陥れることそのものを楽しむ極悪非道の狂人として描かれています。しかも彼は異形のクリーチャーでも特殊能力をもった超人でもなく、ピエロのメイクを施した”普通”の人間です。しかしながら彼は観客の潜在的良心を逆撫でする言動や行動を続け、ついにはバットマンまでもが追い詰められる事態になるまで物語を圧迫し続けます。

「悪」に対して本作では「正義」という語が執拗に反復されます。「正義」と「悪」という二項対立を導入しつつも、それを二者の狭間で巧みに翻弄してみせる構成は見事です。

バットマンは一部の協力者を除いて市民や警察からは敵視され続ける存在であり、その時点でアンチヒーロー的側面を持つことになりますが、さらに本作では悪役ジョーカーと自らに通底する側面をバットマン自身が感じ取ったり、味方と思われた敏腕地方検事ハービー・デントがいとも簡単にトゥー・フェイスなる悪の存在へと変貌してしまったりすることで、バットマン自身の存在理由を問い直さなければならなくなります。したがってバットマン自身のアイデンティティも揺るがされることになっていくのです。

そもそもバットマン自身の悪と対峙する手法も、決して劇中の登場人物、あるいはスクリーンの向こう側の観客の共感を得られるとは必ずしも言い難い、アンチヒーローの典型的描写がなされているのが特徴です。「正義」/「悪」とは何かという至極普遍的な主題を参照しつつも、それだけでは割り切れない「何か」を描いているのが魅力のひとつだと思います。

結末も、同一あるいは類似シーンの反復を避けることによって観客が即座に判断することを困難にしています。と同時に先程も述べたように、カタルシスや救済も物語からできるだけ排除されています。排除されているといっても、大作ハリウッド映画の文法をギリギリ違反しない限りにおいて物語的救済は描かれてはいますが。ゆえに明確なハッピーエンドではありませんが、当然バッドエンドでもありません。明確なバッドエンドが描かれてしまった時点で、それは世界中の観客に受容されることを前提とした大作ハリウッド映画の文脈から逸脱し、単なるカルト映画と呼ばれることになってしまいます。

ただ、本作は「正義」と「悪」の存在を前提にしたヒーローもののアメコミが原作なわけで、そこからすれば極めてヘヴィな結末だと言えると思います。本作が「アメコミを超えた」と評される所以はここにあると思います。ちなみにラストの描写が特に斬新かといえばそうでもなく、私は『ターミネーター』シリーズのハードボイルドさに共通するものを感じました。ま、詳しくはご覧になってください。

あとは、この映画はたぶん経営組織論とか、人文系では社会学とか心理学を専攻している人が見ると非常に興味深いのではないでしょうか。私も観ていて、「こういう状況下において人はこう動く」ということが常に意識されて作られた映画であると感じました。

私は門外漢なので詳しくは分かりませんが、ネット上で見かけたあるレビューには「この映画がゲーム理論を念頭に置いていることは明白」と述べられていました。ゲーム理論か…なるほどな、と。たしかに、一定の状況下である目的に向けて行動する個人または集団の行動を数学的に分析するゲーム理論が念頭にあるのはほぼ間違いないと思います。ゲーム理論は私もさわりだけは理解しておきたいと思っているのですが、長文が苦手な私でも理解できそうな薄くて分かりやすい本が見つかりません(数学も苦手ですがアレルギーではありません…一応元理系なので)。どなたか適当な入門書があったら教えてください。

と、まあ初見での簡単なレビューはこんなところにしておきます。

『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』は早稲田松竹で6月5日(金)まで上映中ですのでご覧になりたい方はお早めに。私はアメコミヒーロー映画では『スパイダーマン』シリーズが一番好きですが、今回見た『バットマン』シリーズ2作品も負けず劣らず強固な物語構造をもったとても面白い作品なのでお勧めできますよ。ただし、『ダークナイト』はとにかく重いので観る人を選ぶとは思いますが…。

ちなみに、この文章を書いているうちに日付を過ぎてしまいましたが、本日6月2日は「ぐうたら感謝の日」です。制定者はかの偉大なる野比のび太様です(詳しくはてんとう虫コミックス『ドラえもん』第14巻を読んでネ)。まあ普通に授業があるわけですが、ぐうたら大好きな私としてもぐうたらに感謝しつつ、残り少ない21歳の日々をのんびりと過ごすつもりです。

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