青い空はポケットの中に - 2009年04月

Home > 2009年04月

2009年04月 Archive

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

2008年度に見た映画50本

私が2008年度(2008年4月~2009年3月)に見た映画は、ちょうど50本です。

演劇映像コースに所属していながら目標の半分しか見られませんでしたが、映画を専攻していなければ一生見なかったであろう映画に巡り会えたことは貴重な体験でした。

以下、映画リストです。見た順番に並んでいます。
※『作品名』(監督名、発表年)☆=映画館で見た映画



【2008年度映画リスト】
01.『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』(渡辺歩、2008年)☆
02.『はなればなれに』(ジャン=リュク・ゴダール、1964年)☆
03.『彼女について私が知っている二、三の事柄』(ジャン=リュク・ゴダール、1966年)☆
04.『ワールド・トレード・センター』(オリヴァー・ストーン、2006年)
05.『アッシャー家の末裔』(ジャン・エプスタン、1928年)
06.『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ、1941年)
07.『極北のナヌーク』(ロバート・フラハティ、1922年)
08.『マイノリティ・リポート』(スティーブン・スピルバーグ、2002年)
09.『スーパーマリオ』(ロッキー・モートン/アナベル・ヤンケン、1993年)
10.『東京暗黒街・竹の家』(サミュエル・フラー、1955年)
11.『戦ふ兵隊』(亀井文夫、1939年)
12.『小林一茶』(亀井文夫、1941年)
13.『ONCE ダブリンの街角で』(ジョン・カーニー、2006年)
14.『現金に体を張れ』(スタンリー・キューブリック、1956年)
15.『レザボア・ドッグス』(クエンティン・タランティーノ、1992年)
16.『スリ』(ロベール・ブレッソン、1960年)
17.『東京画』(ヴィム・ヴェンダース、1985年)
18.『何かが道をやってくる』(ジャック・クレイトン、1983年)
19.『ブロークバック・マウンテン』(アン・リー、2005年)
20.『リトアニアへの旅の追憶』(ジョナス・メカス、1972年)
21.『トップ・ハット』(マーク・サンドリッチ、1935年)
22.『フットライト・パレード』(ロイド・ベーコン、1933年)
23.『サイコ』(アルフレッド・ヒッチコック、1960年)
24.『サイコ(1998)』(ガス・ヴァン・サント、1998年)
25.『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー、1999年)
26.『バンド・ワゴン』(ヴィンセント・ミネリ、1953年)
27.『雨に唄えば』(ジーン・ケリー、1952年)
28.『ロスト・イン・トランスレーション』(ソフィア・コッポラ、2003年)
29.『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』(押井守、2008年)☆
30.『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(押井守、2008年)☆
31.『アメリ』(ジャン=ピエール・ジュネ、2001年)
32.『崖の上のポニョ』(宮崎駿、2008年)☆
33.『頭文字D THE MOVIE』(アンドリュー・ラウ/アラン・マック、2005年)
34.『アイ,ロボット』(アレックス・プロヤス、2004年)
35.『女は女である』(ジャン=リュック・ゴダール、1961年)
36.『スパイダーマン』(サム・ライミ、2002年)
37.『スパイダーマン2』(サム・ライミ、2004年)
38.『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(押井守、1984年)☆
39.『紅い眼鏡』(押井守、1987年)☆
40.『人狼 JIN-ROH』(沖浦啓之、2000年)☆
41.『天使のたまご』(押井守、1986年)☆
42.『ザ・マジックアワー』(三谷幸喜、2008年)☆
43.『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』(スティーブン・スピルバーグ、2008年)☆
44.『シモーヌ』(アンドリュー・ニコル、2002年)
45.『マイ・フェア・レディ』(ジョージ・キューカー、1964年)
46.『釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束』(朝原雄三、2007年)
47.『イントゥ・ザ・ワイルド』(ショーン・ペン、2007年)☆
48.『僕らのミライへ逆回転』(ミシェル・ゴンドリー、2008年)☆
49.『キートンのマイホーム』(バスター・キートン、1920年)
50.『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール、1959年)



【個人的トップ5】
1.『はなればなれに』
ゴダールで一番好きな作品。「映画的」な映画。思わず抱きしめたくなるような映像世界。決して難解ではないオシャレなフランス映画なのでまずはご覧あれ。

2.『レザボア・ドッグス』
カッコ良すぎて痺れる。血みどろギャング映画なのにスタイリッシュ。これだからタランティーノは侮れない。「鬼才」という言葉が彼にはふさわしい。

3.『ロスト・イン・トランスレーション』
ソフィア・コッポラの感性が光る美しい作品。マイブラ、ジザメリ、はっぴいえんどなどを起用したBGM&サントラも素晴らしい。私は吹き替え派だけど、この作品は字幕で見た方が味わい深いと思う。

4.『ファイト・クラブ』
一度は見ておくべきカルト映画。アメリカでの評価がとても高く、あらゆるランキングで歴代映画トップ10にランクインするほど。ブラピの名演にも注目。ネット上・論壇問わず考察や論文に溢れているほど考えさせられる作品。ポスト9.11以前の映画では最後の作品かもしれない。

5.『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
押井守作品では(今のところ)一番お勧め。難解な部分もあるけど上質なエンターテインメント作品に仕上がっている。80年代アニメ的な演出にも注目。私はこういう映像には懐かしさを感じてしまう。



【おすすめトップ5】
1.『ONCE ダブリンの街角で』
アイルランド・ダブリンの冷たい空気感と、あるシンガーソングライターの瑞々しい音像を画面上に余すところ無く湛えた傑作。心温まる作品なのでぜひ!

2.『スパイダーマン』『スパイダーマン2』
メジャー作品だけどこの2作は見ておくべき。ポスト9.11以降変質しつあるハリウッド映画のひとつでありながら、古典的要素をも含んだ見ごたえのある作品。ストーリーがとてもよく練られているし、メガネっ子なアメリカン・ナードが主人公なのもいい。だけど『スパイダーマン3』はあまりお勧めできない。

3.『ザ・マジックアワー』
2008年の日本映画の中では賛否両論の作品だったけど、とにかく笑える。これほど笑える映画もそうそうない。演劇人たる三谷幸喜があえて演劇的演出(舞台のようなセット、日本なのに西洋的な舞台)に徹した映像も見どころ。佐藤浩市の怪演がすべてを物語っている。

4.『人狼 JIN-ROH』
監督は押井守の愛弟子。とにかく重く、カタルシスもないが何故か心に残る作品。随所に西洋の寓話を挿入した演出や学生運動を背景にしたパラレルワールド的世界観は一見に値する。

5.『僕らのミライへ逆回転』
映画ファンによる映画ファンのための映画。おバカなコメディー作品かと思いきや最後は泣かせる構成もニクいぜ!



今年度こそ100本を目指します!

何かおすすめの映画があったら教えてください。

ラブリー・チャミー

ドラえもーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!

GW突入前に済ませておきたかったこと。

もう公開から1ヶ月以上が経ちましたが、ようやく映画『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』を見てきました。

今回は幸いにしてロングラン上映の映画館が多いので、この時期でも見ることができます。前作、前々作ともに終映日を過ぎるとごく一部の映画館でしか上映されなくなってしまったので、2年連続で立川に足を運んでまで見に行ってきた記憶があります。とはいってもさすがに今回はGWで完全に終映となるでしょう。

じゃあ公開日に見に行けよって話になりますが、映画ドラえもんの上映期間中って、ちょうど帰省中な上に東京に戻ると新学期準備やら新歓活動やらで忙しくて、なかなか時間が取れないのです。

ロングラン上映といっても、この時期はほとんどの映画館が早朝の1回きりの上映なので休日に早起きしなければならず、眠い眠いと言い訳しているうちにもう5月が目前。なのでようやく決心して、新宿バルト9で8:50からの回を見てきたわけです。

さすがにこの時期になると客足もまばら。新宿バルト9は都内最大級のシネコンだけあって8時半の時点でかなりの客(主に親子連れ)が列をなしていましたが、ほとんどはプリキュアかクレヨンしんちゃん目当てだったのか、ただっぴろいシアターの中に観客は10人程度。ど真ん中の指定席を確保してゆったりと鑑賞できました。

レビューはきちんとしたものを書きたいのでそれはGW中に書くとして、記憶が冷めやらぬうちに箇条書きでメモを少々。今作は大長編ドラえもん『のび太の宇宙開拓史』(藤子・F・不二雄)とその映画版『映画ドラえもん のび太の宇宙開拓史』(1981年)のリメイクです。

  • チャミーかわいい、声も素晴らしい。
  • クレムとモリーナの声が舌足らずなのが気になった。
  • 前作より柔らかさは抑えつつも、やたらと崩れるキャラの表情はアニメ初期を意識してか?
  • 新キャラであるモリーナ(とその関連エピソード)は必要だったのか不必要なのかは一考の余地あり。
  • ラストは意外とあっさりで泣かずに済んだ。

藤子ファンの方々のブログを読むと初代『のび太の宇宙開拓史』に並々ならぬ思い入れがある方が多いようです。世代の違いなのでしょうが、私には原作のラストシーンが余りにも悲しく感じられたので、他の大長編に比べれば何度も繰り返しては読んでいませんし、初代映画版も1回しか見ていません。ゆえに原作や初代映画版のディテールを忘れつつある中、私は今作を全くの新作のつもりで見てきました。

1回見ただけの印象では脚本も破綻なくまとめられており、演出もいたって無難で、何かと粗が目立った前3作に比べれば基本的に高水準の作品に仕上がっていると思います。また、わさドラの映画版ではこれが最高傑作だと思いますが、細かいことはレビューに回すことにして(長文レビューはウザいかもしれないのでブログだけに書くかも)……。

久々に映画館で映画を見たら、改めて「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」(故・水野晴郎氏に敬意を表して)とつくづく感じましたよ。

さてと、今日は早起きしたのでちょっと一休みすることにします。

春雨に打たれながら

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-04-22 Wed 01:45:40
  • Nonsense
今度から「ひとりごと」カテゴリを新設し、特にパーソナルな内容の日記はそちらに移設することにしました。



それで、今日わかったこと。

夕食の席では、新入生に囲まれた。「先輩俺ひとり対新入生数人」って構図は案外いいもんだ。

「先輩」って何度も言われた。新入生とアドレスたくさん交換しちゃった。いろいろお話もできた。こないだは新入生も大概だと言ったけど、やっぱり新入生は新入生だ。あんたらはいい後輩になれるよ。俺はいい先輩になれるかどうか分からないけど。

ダメなのは3年生だよ。3年同士では同じ席に着かせるべきではない。何の話を始めるか分からないし、特に女はね。女同士の話に首を突っ込むつもりはないし、勝手にしやがれって感じなんだけど、俺の好きな子が最近カレシとますますラブラブだなんて話が聞こえてきたら、こっちだって吐き気のひとつやふたつ催すさ。あの子最近あんま来てないし。ゼミやバイトが忙しいのかと思いきや、実は男に現を抜かしてたってか。あん時久々に見たあの子、男ウケしそうなファッションだったのは俺の気にし過ぎだろうか。

で、男はね、酒さえなけりゃ。あん時の新入生も、奴等にノってた振りして俺のこともちゃんと見てた。俺なんてリアクションも一切取らなかったし(そーいうの嫌いだから)、ずっと黙ってたのに。君たち、齢の割に大人だね。俺をフォローしてくれるなんてさ。「他の先輩にはない優しさがある」だって。

俺も人のことはもちろん言えないけど、3年生のガキっぷりさえどうにかなりゃ、このサークル、もっと良くなるんじゃないかな。技術面でのフォローが追いついてないのも、多分そういうことが原因だ。少なくとも、裏庭含め、他のサークルはもっと大人だよ。

友人でこのブログを知ってるのは信頼できる極僅かな人のみだけど(だから好きなこと書けるわけで)、そんな極僅かな人に向けて、面と向かっては恥ずかしくて言えなかったことも含め、アンサー編として書いてみた。駄文に付き合ってくれてどうもありがとう。

オリジナルなるもの

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-04-20 Mon 23:04:46
  • Essay
もうさんざん言い尽くされた話を少しだけ。

私は表現行為に対する、「オリジナルなるもの」に対する呪縛から抜け出せていないのではないかとふと思うことがあります。

さんざん言い尽くされた話というのは、芸術とオリジナルが不可分の関係になったのはここ半世紀~1世紀くらいのことで、それまでは古典をきっちり踏まえていることが最も重要視されていたということ。つまり芸術と教養は不可分の関係だったわけです。

後にそれが崩されて「オリジナル」が至上の価値観とされるようになったのは、音楽では間違いなくビートルズじゃないかと。私は当時をリアルタイムで体験したわけではないけど、とにかく新しいことが次々に生み出されていった時代だったとのこと。その証拠(?)に、ビートルズは20世紀を経てポピュラー・ミュージックの範疇を超え、音楽の「古典」と化しています。

美術史は門外漢だからよく分からないけど、西洋美術だと印象派かなあ。ちょっと自信ない。日本文学はどうだろう。先週のウェブ文学論のレジュメに、「自分や他人の人生を材料にして、それを加工して作ったものを小説と称するようになったのは二葉亭あたりかどうか(後略)」と書いてあったので、口語体で書かれた言文一致の小説が契機なのでしょうか。

いちおう専門の映画についても。まだまだ歴史が浅いからそっくりそのまま「古典→オリジナル」の関係が当てはまるとは言えないけど、映画が発明されて114年。1895年のリュミエールによるシネマトグラフを映画の「発明」とし、そこから古典重視の時代が続いていったとすると、映画をオリジナルなるものにしたのはジャン=リュック・ゴダールであるとはっきり言えます。詳細は避けますが、とにかくこの映画監督は現代の映画に通じるあらゆる手法を作り出した人です。

「映画を『発明』した人は歴史上ふたりしかいない。ひとりはリュミエール。もうひとりはゴダールである。」
これは押井守監督の言葉。

ところで個人的な話になるけど、アーティストのPVやライブを見ても(ハイになることはあっても)別に何とも感じないのに、ニコニコ動画で素人がオリジナル作品をアップロードしていたり生き生きと楽器を演奏しているのを見るとひどく落ち込むことがあります。

なぜだろうって考える間もなく、私は「そういう類のもの」を避けるようになったし、必然的にニコニコ動画から遠ざかっていきました。余談だけど、そうした投稿作品には「○○してみた」というタイトルが付せられている場合が多く、その言い回しからは、コメントというある種の批評に対する保険と(美術でいう「習作」みたいなものか)、投稿者の自信が見て取れます。

そういった動画を見ることで、自分の中にふつふつと湧き上がる嫉妬心やコンプレックスといった醜い感情が表出するのが凄く汚らわしく感じられて嫌だったのです。

たぶん、動画サイトという身近なツール、そして投稿者の多くはプロでない(実はプロも多くいるらしいけど)一般市民という自己との距離感が、私にそういう感情を湧き上がらせてしまったのでしょう。要は「俺でもできそう」なのに「できそうもない」みたいな。そんな何か表現しようと思っても何もしない、何もできない自分が酷く憎らしかったこともあります。

それも「自分もオリジナルな作品を作らなきゃいけない」というある種の強迫観念に取り憑かれていたのが原因だったのかも。いや、もうひとつ、他者との、ひいては社会との関係が不足していたのかもしれません。自分に対するレスポンスが不足していたんですね。

だけどこと受容においては違っていて、私は毎日のように新しい音楽を聴きますが、そこで重視されるのは「オリジナリティ」でも何でもなくて、「○○っぽい」というある種の連想なんです。「あっ、このバンドオアシスっぽい!」とか、「この曲はマイブラの影響が強いな」とか、そういう連想元との関連性が強いアーティストから順に好きになっていきます。で、蔓を手繰り寄せていくようにその大元を辿ってみると、これもまたビートルズなわけで。私の音楽原体験は、中1の時に聴いたビートルズが最初です。

最近、21世紀になって、そんな影響元との関係という文脈で語られる、つまり「好きなアーティストの影響を隠さない」アーティストが増えてきたような気がします。それは捻くれた形での「古典回帰」なのかもしれないのと同時に私にとっても凄く嬉しいことで、「他者と違うこと」が至上の価値観でなくなったことは、すなわち「オリジナルからの解放」を意味するのではないでしょうか。「オリジナリティなんか何もない。だけどいい。」、私はそんな純粋な気持ちを大切にしたいと思います。

何でこんな話になったかというと、今度描く絵の構想を練っていてふと思ったからです。過去2回の展覧会に出した絵は今までほとんど描いてこなかった女の子をメインに据えた結果、意図せずガーリーな絵に仕上がってしまったのです(「ガーリー」とは、私の絵を見てくれた同級生の女性の弁)。

次に出す絵も、そんな感じになると思います…多分。自分の中にある種の「少女っぽさ」を形にしてみるのも面白いかなと思いまして。まあそんな大それたことじゃなくて、pixivで可愛らしい萌えイラストを描いている男性イラストレーターの気持ちとそんなに変わらないと思いますよ。

オリジナルの話は、未だ日本では根強い信仰のある「個性至上主義」と共通点が多くありそうだけど、そんなものは出来上がった作品に自ずと付いてくると思うようになってからは少しだけ楽になりました。自分がやりたいと思ったことをやればいいのではないかと。

そして、これが重要なんだけど、もっと他者からのレスポンスがもらえるようになりたいと思っています。

「自由とは自在のことである。」
「人は社会と関係を持つことで充足が得られる。」
これらも共に押井守監督の言葉。

私は絵だけじゃなくって、小説も書いてみたいし、作詞作曲もしてみたいから余計プレッシャーを感じてしまうわけですが、私の内にある純粋な感情を糧に、これからも少しずつ頑張っていきます。

P.S. ちょうどこの文章を書いているときに、私たちのサークルに入りたいという新入生から連絡が来ました。「Rainyblueさんのブログが面白かったので」だそうです。女子大の1年生だってよ。嬉しいなあ(笑)

藍色センチメンタル

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-04-18 Sat 02:51:22
  • Nonsense
マジでいたたまれない。どうしたらいいの?

あ、今日の日記は独り言ってか愚痴なんで、気にしないでいただければ。もちろん、もうこんなことmixiに書けないしね。

どんな気分かというと、右フックと左ストレートを同時に食らったボクサー、あるいは右頬を打たれたら左頬も打たれたイエス・キリストみたいな。まあ、酒が入っても楽しいことなんて何もない。よけい辛くなるだってことがよく分かった1日。

もっと早く来て、夕方くらいで切り上げときゃよかった。

最初は大勢で夕食に行った。

最後まで付き合った(というか、聞こえてきてしまった)俺が悪いっちゃ悪いんだけどさ、俺の隣でそんな話しないでくれ。

ラブラブだって!? プリクラも撮ったって!? デートだぁ!? もう勝手にしろよ。そっか、あん時早く帰ったのはそーいうことだったのね。前にも書いたかもしんないけど、聞きたくもない話を聞かされるのが一番辛い。昨冬の古傷がまたズキズキと痛みだした感じ。

で、結局酒の席まで付き合ってしまった。

ある後輩の奴隷っぷりにあきれた。あんたはその先輩がいないと生きていけんのかよ。新入生も大概だわ。もうあっち側に片足を突っ込みかけてる。もう結果は目に見えてるというか、先が思いやられる。

ビールを1杯にサワーを2杯あおってとぼとぼと帰宅。夜の満員電車。冷たい夜風。暗い夜道。意識も足元も悲しいくらいにしっかりしてるのに、おぼつかない足取り。イヤホンから聴こえてくるカーディガンズだけが唯一の慰め。酒なんて飲んだところで何が変わるっていうんだよ。

部屋に帰れば泣きたくなる。何が悲しいって、何に腹が立つって、それは自分自身に他ならない。

何だか深刻な問題を抱えているように見えるけど、悲しいかなすべては自分の脳内で完結しまってる話なんだわ。だから余計いたたまれないわけだけど。

そして、俺は外の世界に何ら干渉することなくその日を終え、また来週も何食わぬ顔で顔を出すんだろうな。

なんか…申し訳ない。

春うららららぁ

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-04-16 Thu 02:03:20
  • Essay
今日はお休み。春眠暁をかろうじて覚え、自転車を漕いで武蔵関周辺をかっ飛ばします。暖かくなってきたといっても、夏みたいなジメジメした暑さには程遠い、TシャツにGジャンくらいがちょうどいい季節。ペダルを漕ぐたびに全身を包み込む心地よい向かい風。春の足音は、私たちの目の前を今まさに通り過ぎ、やがて遠ざかっていくのでしょう。

暑いよりは寒い方が好きだけど、こういう季節も悪くない、そう思っていた矢先、そこに現れたのは行く手を阻む強烈な向かい風。どうやら気分屋の風が急にご機嫌を損ねたらしい。仕方なくUターン地点をもう少し手前にし、昼飯を調達するだけにして足早に部屋まで戻ることにしました。

話は変わってサークルの話。今年は新入生が続々と入ってきました。友人と運営している「裏庭の混沌と創造」なるサークルが『Milestone Express』と『ワセクラ』というサークル発行の学生情報誌に掲載されていますので、ご興味のある方はぜひ。音楽と地理の2部門が共存しているという怪しい名前に違わぬサークルですが、音楽部門の方は実質私ひとりで新歓を担当しています。もうかれこれ私の携帯に10人くらいから問い合わせが来ていて、このくらいの数でも結構テンパってしまうもんです。

地理部門の方も盛況で、早稲田大学戸山カフェテリアで行われた説明会には10人近くの人が来てくれました。地理に潜在的な需要があるという友人の言葉は本当だったんだなって実感しています。音楽部門の方はリスナーをメインに、みんなでライブに行くサークルにするつもりです。当面の目標はフジロックに行くこと。まあひとりでも行けないことはないけど、わざわざ苗場の山奥に行くんだから人数が多いに越したことはないってことで。ところで来週の木曜日、23日に新宿は歌舞伎町にある「天空の街 新宿アジア横丁」というエスニックな屋台街で新歓コンパをします。どなたでも参加できますので、来てくれるという方は私までメールを。

絵画会の方も新入生が続々と入って来て、今年はどうやら男子が多くなりそうな気配。こういうときに後輩とどう接していいか分からなくて、(活動している)部屋の入口で委縮してしまい、いつも「こんにちはぁ」と声をかけるところを押し黙ってしまったり。デッサンの指導でもできればいいけど残念ながら自己流の域を出ない私はデッサンの描き方もうまく説明できない始末。彼(彼女)らと接していて、なんとなーく出遅れていやしないかと心配になります。毎回顔を出しても、存在そのものが空気だったら意味ないし。慕われたい。頼られたい。よき先輩になるためにはどうしたらいいのでしょうか。

私は何故か後輩に恵まれないことが多くて、中学校で美術部の部長を務めたとき、勧誘に力を注いだのにも関わらず入ってくれたのは女の子たったひとり(例年10~20人は入っていたのに)。高校でスキー部の部長だったときは、とうとう新入部員0人になってしまい廃部の危機に(まあもともと3人しかいなかったけど)。そして大学では、今続けているサークルはすべて2年からの参加。だから私にとって久々に「後輩」とめぐり会えるチャンスになります。

最近話のネタにされるのが、毎年頻繁に新入生に間違われること。もうかれこれ間違われること約30回。早稲田だけじゃなくって、新歓のミーティングで一橋大学を訪れた時も2、3回声を掛けられました。友人と3人で並んで歩いていたのに明らかに私の方に寄ってくるんだもん、たまったものじゃないですよ。

そうそう、2年生のときは私に食ってかかる奴がいて、

 勧誘者「新入生の方ですか?」
 私「いえ、違います」
 勧誘者「そんなことないでしょう~(笑)」
 私「…(無視して通り過ぎる)」

そんなこと言われたって、新入生じゃないんだからしょうがない。毎度のことながら新入生と間違われてもこちらとしては何の嬉しいこともなくて、馬鹿にされた気がして正直イライラするだけです。お揃いのユニフォームなんか着ちゃって名簿持ってるそこのテニサー、俺もお前らと同類だってのに。そして今年もそれは変わらず。私の何がいけないのか分からないけど、明らかにビラを配っているのに声を掛けられるのはどうしたものか。

いつの年にも変なのがいて、この間は「新入生の方ですよ”ね”?」と断定形で話しかけてくる輩が。思わず「違うっつってんだろ!!」と言ってやりたくなりましたが、そん時は度胸の持ち合わせが足りなかったみたいです。でも私短気じゃないんでどうやったって飲み込んでしまうんだろうな。

思わず文章に毒っ気が混ざっちゃったので、話題を変えます。

「一年目の手紙」をトライ。「脳内メーカー」の次はこういうのが流行ってるんでしょうか。ニュースサイトで取り上げられていたので、まあ遊び半分で。

http://tegami.hanihoh.com/

「※胸くそ悪い手紙が届く可能性があります。ご了承ください。」と書いてあったけど、本当にそんな手紙が来るとは。こういう類の診断って、心理学的にはその診断結果が自分と違っていても、「そうかもしれない」と思ってしまうらしい。例えば血液型性格診断でA型、B型、O型、AB型それぞれの人に全く同じ診断結果を手渡してみたら、「自分に当てはまる」と答えた人の率は各血液型でほぼ同じだったとか。要は血液型に限らず占いって一種の統計学なので、肯定も否定もしにくいんですよね。私は占いやら性格診断を頭ごなしに100%否定したりしないので、お好きな人はどうぞって感じなんだけど、ついやってみたくなる気持ち、分からないでもなかったりします。

その手紙に書いてあってなんか笑っちゃったのが、

 >P.S.私以外には「一発ギャグの魔術師」って名乗ってないらしいね。

なにこれ、内弁慶ってこと? あるいはいわゆるツンデレ? 残念ながらツンデレは好きだけど私はツンデレじゃありません。

それで、診断結果の一部を抜粋。

 >【こんな問題ありませんか?】
 >◆「冷たい男や悪い男のほうがモテるんだろうか…」などと思ったことがある。
 >◆好きな人ができると、自然な自分を見失う。「頼れる居場所」を用意できない。
 >◆付き合ったり好きな人ができると、自分に疲れる。


まず、一番上は断じてないって。悪い男はともかく(中学校のヤンキー的な意味だったら)、冷たい男がモテるんだったら苦労はない気がします。2、3番目はまあ…あるかもしれない、とだけ言っておきます。でも下ふたつって誰にでも当てはまりません?

最後に、

 >Rainyblueさんにとって、「恋愛」というジャンルの知識はまだまだ未開拓ではないでしょうか。

余計なお世話です。

あれ、話題を変えたのに毒っ気が消えませんでした。慣れない話題だったのがまずかったか。いつもみたいに音楽のことでもつらつら書いてりゃ良かったのにね。

ところで、日記では一人称として「私」を名乗っていますが、この一人称がしっくりくるかといえばそうでもなくて、思えばブログを始めた高2の時に背伸びして「私」と名乗り始めたときからそのままほったらかしにしてきたんだな、と今になって思い返しています。

その人の脳内イメージを具現化するのに文章(つまり文字)は最もポピュラーに用いられる手段です。読み書きさえできれば誰でも使えるし、国や地域、民族で統一された言語体系があるというのも大きいからでしょう。文字の登場以前からある絵画は、言語ほど統一された記号体系はありませんし(故に受け手によって捉えられるイメージは言語以上に異なる)、音楽も音を出すだけなら簡単ですが、「音」を記号化して表現するには音楽理論などという小難しい、いわば”外国語”を学ばなければなりません。

でも一見誰にもできそうな、言語を用いた文章でさえ、自分でも上手く書けたと思えることってほとんどありません。なんかこう、「しっくりこない」というか、「浮いている」感じとでもいうのかな。

「私」と名乗るこのRainyblueなる人格は今目の前でキーボードを叩いている誰かさんとは違うような気がするし(別に二重人格ってわけじゃないですよ)、文体にしても「です・ます体」と「だ・である体」のどちらも使いこなせているとはとても思えません。

「だ・である体」は以前ブログで使っていましたが、なんか硬いし文章に棘がある気がして、mixiを使い始めてからは基本的(小説風に書きたいときを除いて)に「です・ます体」を使っています。当ブログの記事は、そのほとんどをmixi日記と共有しているからです。

でもこの「です・ます体」、なかなかの曲者で、小学生がよく使う文体ということもあってどうしても文章が幼稚に見えてしまいます。特に同じ語尾を繰り返したときがそう(”~ました。”/”~ました。”/”~ました。”みたいに)。でも書いていると無意識のうちにそうなってしまうので、過去形と現在系を混在させたり、体言止めを使ったり、形容詞や形容動詞で終わるときは「です」を省略してみたりするわけです。文章を柔らかく見せるために話し言葉を文中に挿入することもままあります。

ああそうだ、さっきの「現在形」・「過去形」というのも正確ではなくて、日本語には「完了」と「未完了」の区別しかない、ってのが最近の学説みたいです。いや、そもそも日本語に時制はないっていう見解もあるとか。日本語って難しいですね。

話を一人称に戻すと、いまさら「僕」や「俺」にコンバートするのも妙なので、たぶんこれからも「私」を使うんだろうなと思っています。ちなみにコメント欄は別で、好き勝手書ける日記と違ってそこは友人や訪問者とのコミュニケーションの場。つまり現実世界でのパーソナリティが強く反映される場所なわけで、「俺」と名乗っている相手には「俺」、「僕」と名乗っている相手には「僕」で対応するしかありません。「日記」と堂々と謳っておきながら「そこはお前の日記帳じゃねぇんだ!」みたいな外部性があるところがブログ(あるいはmixi日記)の面白いところだと思います。

日本語の好きなところでもあり難しいところでもある一人称、個人的には「私」と「あたし」で微妙なニュアンスが使い分けられる女性がちょっと羨ましかったりします。男性が使う最もポピュラーな「僕」と「俺」とでは、その性格は大幅に異なるように思えるので。

そんなこんなで、翌朝も春眠暁に覚えさせるためにそろそろこのくらいにしておきます。春眠暁どころか昼も宵も覚えずってね。

Oasis@幕張メッセ国際展示場

OASIS JAPAN TOUR 2009
@幕張メッセ国際展示場
2009.03.28 (Sat)
OPEN / START : 17:00 / 18:00
Opening Act : QUATTRO


oasis_ms.jpg

[Set List]
01. Fuckin' In The Bushes
02. Rock 'n' Roll Star
03. Lyla
04. The Shock Of The Lightning
05. Cigarettes & Alcohol
06. The Meaning Of Soul
07. To Be Where There's Life
08. Waiting For The Rapture
09. The Masterplan
10. Songbird
11. Slide Away
12. Morning Glory
13. Ain't Got Nothin'
14. Whatever
15. The Importance Of Being Idle
16. I'm Outta Time
17. Wonderwall
18. Supersonic
----------ENCORE----------
19. Don't Look Back In Anger
20. Falling Down
21. Champagne Supernova
22. I Am The Walrus



Come in, come out tonight!!!!

18時50分、会場が暗転。そして高らかに鳴り響いたのは"Fuckin' In The Bushes"のイントロ。何年この日を待ちわびたことだろう。私は後方のBブロックだったからメンバーが登場する瞬間はよく見えなかったけれど、今この瞬間、オアシスと空間を共にしている、その事だけは確かだった。やがてその喜びは次第に会場の狂気へと飲み込まれていった。

ライブ前半は、上げ潮のヒットナンバーが連続する過去最高にハイテンションな内容。"Rock 'n' Roll Star"で観客はこれでもかと飛び跳ね(アウトロでタンバリンを口に咥えて上を向いたまま仁王立ちしているリアムが目に焼き付いている)、"Lyla"では合唱に包まれ、"The Shock Of The Lightning"で会場は大きなウェーブとなった。災難だったのは、そのウェーブは次第にクラウドともモッシュともつかぬ状態となり、フェンス前方に詰めかけたすし詰め状態の観客が将棋倒しになってしまったこと。私は運良く難を逃れたけど、倒れた観客でBブロック前方が窪んだような状態になり、何人もセキュリティに救出されていた。ライブ序盤は、私がこれまで参加したライブの中で最も激しいものだった。

個人的に聴きたかった"Cigarettes & Alcohol"(ブルージーなイントロにやられた!)と2分弱のパンク・ナンバー"The Meaning Of Soul"でもオーディエンスの狂気は沈静化する気配を見せなかったが、ダルなサイケ・ナンバー"To Be Where There's Life"が鎮静剤として作用してようやく観客は落ち着きを降り戻し始めた。キーボード主体のCD版からアレンジされたエッジの利いたギター・サウンドがリアムのヴォーカルと相乗効果を生みサイケデリアをより高めていた、ライブ映えする1曲。演奏時間は優に6分半を超える。

ここでヴォーカルは兄貴ノエルに変わり、"Waiting For The Rapture"を披露。驚くべきは年々ノエルの歌唱力が向上していること。もはや円熟の域に達していると言っていい。この曲はドロップDチューニングによるパワーコード主体のブルース色が強いナンバー。続く"The Masterplan"はファンなら感涙モノの名曲。愁いを帯びた湿り気のあるノエルの歌声が胸に響き渡る。イントロのアコギが鳴った瞬間言葉では形容し難い感動を覚える、B面曲とは思えないセンチメンタルなバラード。

舞台袖に引っ込んでいたリアムが戻ってきて歌い出したのは"Songbird"。2分ほどの短い曲だが、あのやんちゃなリアムがこんな可愛らしい曲を書くんだと驚かされる。実質2コードしか使われていないが、ノエルも絶賛したオアシスの新機軸を感じさせる1曲。彼は自身のソングライティングに関しては殊勝で、雑誌のインタビューでノエルに褒められた際も照れを見せていた。

続く"Slide Away"はポール・マッカートニーがオアシスのお気に入りに挙げていた曲。こんな曲がシングルカットもされずにアルバムの10曲目あたりの地味な位置に収まっているのだから彼らの1stは空恐ろしいアルバムだ。ハイトーンなサビのメロディが瑞々しい壮大な曲だが、やはり現在のリアムではサビの高音部は出ていないし、アウトロの兄弟での掛け合いもノエルだけしか歌っていない。しかしリアムの歌唱法は昨年よりも改善し、すぐにマイクから口を離す吐き捨てるような歌い方を止め、丁寧な歌唱に徹していたのは非常に好感触だ。狭くなった音域は相変わらずだが、酒と煙草を控えトレーニングを続けているというリアムの今後に期待したい。

"Morning Glory"はこれぞオアシスという感じのアップテンポなナンバー。ソニー・ウォークマンのCMに起用されたことがあるので聴いたことがある人も多いだろう。しばらく落ち着いていたオーディエンスはここにきて俄かに活気を帯びてくる。覚えやすい歌詞とキャッチーなメロディは日本人にも歌いやすく、サビでは大合唱が起こる。続いて最新アルバムから"Ain't Got Nothin'"。リアム作曲のガレージっぽい曲だが、ライブではオクターブ上で合わせるノエルによるコーラスの印象がひときわ強く、彼のコーラスによって化けた曲と言っても差し支えなさそうだ。

2009年のオアシスのライブ最大のサプライズだったのが次の"Whatever"だろう。この曲はとりわけ日本(とフランス)で人気の高い曲で、今現在アサヒビールのCMでも使われている。日本での知名度・人気共にこの曲が抜きん出ていることはノエルも知っており、日本公演3日目の札幌から毎回この曲を披露してくれることになったのだ。彼もMySpace上の日記で「どうしてこの曲をやる気になったのか分からない」と書いているが、日本の、とりわけ札幌のオーディエンスがそうさせたのだろうか。ノエルのヴォーカル(2カポで音程を上げている)は美しく、特に痺れたのはゲムのハーモニカ。CDのフル・オーケスオラをバックにした壮大なアレンジもいいが、この日のようなアコースティックなセットもまた素晴らしい。「日本のファンのためだけに」と特別に披露してくれたノエルに拍手。

日本では一部ファンから「水戸黄門」(イントロが似ているから)と呼ばれている"The Importance Of Being Idle"はラーズを思わせる、いかにも英国的な曲。こういう曲がシングルチャート1位を獲得してしまうのもイギリスらしい。再び舞台袖に引っ込んでいたリアムが戻って来て、次に披露したのは"I'm Outta Time"。本人作曲の美しいバラードで、彼の崇拝するジョン・レノンに捧げられている。最新アルバムの中では屈指の名曲であることには間違いないが、ライブ映えという点ではやや物足りないと感じた。

続く"Wonderwall"はオアシスを代表する曲で、2008年のツアーから再びアコギ主体のアレンジに戻している。CDとのバランスを考えると今回のアレンジがベストだろう。そして本編最後を飾るのはオアシスのデビュー曲"Supersonic"。"I need to be myself, I can't be no one else"と高らかに宣言して彼らはデビューを飾ったのだ。その後眩いばかりの青白い照明に照らされてメンバーは堂々退場。

そして圧巻のアンコールに突入。2008年のツアーから4カポのアコギバージョンに変わった"Don't Look Back In Anger"はオアシス最大のアンセムで、ライブではいつも大合唱が起こることでも有名だ。この日最大の感動は、ノエルが私たちオーディエンスにサビを2回とも任せてくれたということだ。私も、観客誰もが拳を掲げ、ゆらゆらと揺らしながら大合唱を会場中にこだまさせた。大スクリーンに映るノエルの顔は心なしか潤んでいるように見えた。こんな光景、彼は数えきれないほど見てきているはずなのだ。だがこの日、この時、彼が日本のファンたちに感じた思いとは何だったのだろう――それがあの表情に現れていた気がしてならない。

"Falling Down"もノエルの曲で、27日に出演したミュージックステーションでも歌われていた。ケミカル・ブラザーズによってリミックスもされたサイケデリックなナンバー。やがて三度リアムが戻って来て、壮大なバラード"Champagne Supernova"へとなだれ込む。ここで驚いたのがリアムの発言。「この曲を俺の兄ノエルに捧げる」と言ったのだ。お互い悪態をついて憚らない兄弟だが、この日リアムは率直にノエルへとこの曲を捧げた。彼らも大人になったというか(40前後のオジサン達にこんなことを言うのも失礼な話だが)、きっと私たちファンの伺い知ることができない深い領域で精神的に結ばれているのだろう。この曲はCDで7分半、ライブだと10分にも及ぶことがある壮大なバラードで、体をくゆらせながら聴いていると精神世界にトリップしたような陶酔感に陥る。

アンコール最後はビートルズのカバーで"I Am The Walrus"。ここしばらくアンコールの締めだった"My Generation"に代わって約10年ぶりに復活した。ディストーション強めのアレンジはジョン・レノンの手によるアレンジよりもサイケ色が強く、もはや完成の域に達している。私にとってはビートルズのオリジナルよりオアシスによるバージョンの印象の方が強い。リアムのヴォーカルもここ一番の力強さで聴かせてくれる。アウトロでは"Helter Skelter"のリフを交えた長めのインストが続き、7分を超える堂々たる演奏が終わり、そして2時間弱に及ぶライブもここで幕を閉じた。



初めてのオアシス、私としてはもう少し近くで見たかったものの、ライブ後には燃え尽きてしまうくらい圧倒されたライブでした。そして燃え尽きて灰になる暇がないくらいのタイミングで発表されたのが、フジロックへの出演決定! 今のところは7月24日の可能性が高いとのことですが、できるだけ参加の方向で考えています。昨年最大の後悔が、フジロックに行けなかったことなので。今新歓の真っ最中だから、新入生を引き連れて、大勢で。苗場の山に男一人じゃ悲しいしね。

それじゃあ今日はこんなところで。

In a bit.

GD.

Index of all entries

Home > 2009年04月

Tag Cloud
Search
Meta
Feeds

Return to page top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。