青い空はポケットの中に - 2008年08月

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2008年08月 Archive

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読書の夏、片思いの原動力。

  • Posted by: Rainyblue
  • 2008-08-30 Sat 14:45:41
  • Essay
授業が面白くない時は、読書に限りますね(笑)

適度に暗い大教室、抑揚がなく平板な教授の声、こんな環境では寝るか本を読めって言っているようなもんですよ。それにしても、授業がだんだんつまらなくなっていくのはどうしたものでしょう。前半の週に担当していた教授達は優しく熱心で、しかもトークの幅が広くて面白く、資格系の授業なのに熱心に授業を受ける気にさせてくれたのですが、そのうち窓際族みたいなオッサンや説教臭いジジイが現れるようになり、途端に冷めてしまいました。

本自体はとても好きですが、私は人よりも本を読むのが遅く、たいてい人の2~3倍はかかってしまいます。1行が理解できないとその1行が理解できるまで立ち止まるか、前に戻ってしまうからなのでしょう。だから、友人が読書家だとそれだけで尊敬することにしているし、速読に憧れることもあります。速読といえば、司馬遼太郎は一編の歴史小説を執筆するのに資料としてトラック1台分の本を買い込み、1ページを読むのにかかる時間は約1秒だったといわれています。中谷彰宏は、90分の授業中に10冊の本を読み終えることができたと著書で豪語しています(中谷彰宏『大学時代しなければならない50のこと』より)。一体どうやって90分間に10冊も本を読むことができるのか見当もつきませんが、私は人の話す速度くらいで文字を追わないと読んだ気にならないというか、心に沁みてこないのです。本をたくさん読めば少しは読むスピードも上がるのでしょうが、今のペースを守ろうかなとも思っています。

当然、私の読書量は人よりも少ないかもしれません。文学部に合格した時、母親に「本も読まないのに文学部(笑)」と祝福されるついでにからかわれました。こんな私でも現代文が一番得意だったんですけどね…。

それでも、夏は本を読む口実が見つかる季節です。そのひとつめは、長い夏休み。ふたつめは、夏の文庫本キャンペーンです。新潮文庫、角川文庫、集英社文庫などの大手レーベルがそれぞれ「夏の100冊」を選定し、2冊買うと必ずプレゼントがもらえるのです。この時期に書店の文庫本コーナーに行くと、各レーベルが選定した「夏の100冊」がカラフルな帯を纏ってずらりと平積みにされている光景をよく見かけます。特に角川文庫のプレゼントはクオリティが高く、といってもブックカバーなのですが、毎年「ケロロ軍曹」のブックカバー欲しさに2冊買っていました。

高校1年の時は、中学時代からずっと好きな星新一の作品を2冊。彼はショートショートの第一人者として知られていますが、高いSF性と不条理な結末が藤子F先生のSF短編に通じるところがあって好きなのです。高校2年の時は確か『ダ・ヴィンチ・コード』の小説版を3冊買った記憶がありますが、映画も見てないしその本もろくに読まなかったような…。高校3年の時は『新耳袋―現代百物語〈第1夜〉』(著:木原浩勝/中山市朗)と、『NHKにようこそ!』(著:滝本竜彦)を買いました。これは2冊とも読んだのですが、『新耳袋』シリーズはいわゆるショートショートの怪談集みたいなもので、当時は結構流行っていたらしく弟も気に入って高校に持ち込んだりしていました。『NHKにようこそ!』は、いわゆるライトノベルの範疇に含まれると思いますが、その独特で軽い口語調の文体に最初は戸惑いました。これは漫画版・アニメ版の方が面白いかも。浪人時代は勉強、大学1年の時は他のことにかまけて文庫本キャンペーンになど目もくれなかったようです。

そして今年は、エコバッグがもらえる新潮文庫を2冊追加し、角川文庫の2冊も含めてさしあたり以下の4冊を購入して読み進めています。今年は角川文庫のラインアップが面白そうで、「ゲゲゲの鬼太郎」のブックカバーも狙ってあと2冊プラスかな(他にエヴァやスヌーピーのブックカバーもあります)。

森絵都『いつかパラソルの下で』(角川文庫)
山本文緒『ファースト・プライオリティー』(角川文庫)
重松清『きみの友だち』(新潮文庫)
向田邦子『思い出トランプ』(新潮文庫)

基本的に、書店に置いてあるパンフレットや裏表紙のあらすじを読んで興味をひかれたものを選びました。重松清の『きみの友だち』は、こういう暗めの青春物語が好きだというのもありますが(でも明るく爽やかな青春物語はトラウマ級に苦手)、今映画が公開中というのも決め手でした。向田邦子は「テレビ文化論」の授業で扱われていて気になっていたし、最近テレビやラジオでよく特集されているのを見かけるので。どうやら私が今のところ興味をひかれるのは直木賞系の現代文学のようです。最近伊坂幸太郎が人気で、ラインアップの中にあったので読んでみようかとも思っていたのですが、ミステリは疲れそうなのでひとまずパスすることにしました(近いうちに読みたいとは思っていますが)。

このうち山本文緒の『ファースト・プライオリティー』は読み終わりました。31歳の女性のそれぞれ最優先なことをテーマとした31篇の短編集で、1篇が10ページ弱なのでスラスラと読めます。特に「バンド」「庭」「小説」の3篇に心惹かれました。ラストを飾る「小説」の最後の行で、片思いは苦しくもどかしいが、そのもどかしさが自分を動かす宝物なのだと主人公が知るくだりは特に気に入っています。私の心境も似たようなものです。人生片思いだらけ。別に異性に限ったことではありません。受験は志望校への片思い、就職活動も企業への片思いだと考えれば、なんと人間社会は片思いに溢れていることでしょう。

先日購入した新書のうち、押井守の『凡人として生きるということ』は既に読み終わりました。押井監督の人生論で、結構売れているらしく大型書店でもあまり見かけないし、アマゾンのランキングでも100位台に入っていたこともあるようです。書いてあることは至極真っ当で、「若さに価値などない」というくだりは、将来に漠然とした不安を抱え、ともすれば生き急ぎがちな学生には心強い言葉になると思います。特に第3章の「勝負論」には大きくうなずいてしまいました。ただ、最後の章の「格差論」は、現状認識が少々甘いかなと。なるほど今メディアで流布されている格差社会批判は空虚な現状追認に過ぎずルサンチマンを煽るような内容なのは確かですが、少々の格差はおおらかに認めろとか格差社会批判の行きつく先はヒトラーやポル・ポトだというのは少々酷い気が。森永卓郎が指摘するように、現在の日本は開発途上国並みの貧困国に陥ろうとしているし、実際に餓死者も出ているのです。今の格差はとても「おおらかに認められる」レベルのものではない気がします。格差そのものよりも貧困層の増大が何よりの問題です。今、若者に小林多喜二の『蟹工船』が売れているのはどういうことでしょうか。押井監督は学生運動経験者だと本書で述べていますが、マルクスの『資本論』の解釈論争と内ゲバに終始した学生運動とは違い、今貧困に喘ぐワーキングプアの若者達が何らかの行動を起こせば、それこそ今の日本社会を少しでも変える原動力になるのではないでしょうか。

カタい話はこれくらいにして、今日は東京都現代美術館に「スタジオジブリ・レイアウト展」を見に行ってきました。16:00の入場開始までには少し時間があったので、同時開催の特別展「パラレル・ワールド もうひとつの世界」も見てきました。「スタジオジブリ・レイアウト展」はチケットが予約制で、しかも平日の最終入場回だというのにかなり混んでいて、最後の方はかなり急ぎ足になってしまい、閉館間際にやっと見終わりました。スタジオジブリ作品のレイアウト画がこれでもかと展示されていて、アニメーターの絵はパースの狂いもなく、破綻がない絵で、見ていると絵の勉強になります。正確さが要求される現場だからでしょう。これから見に行く方でゆっくり見たいという方は見終わるまで少なくとも3時間以上は見積もっておいた方がいいと思います。あとカタログは内容がとても充実しているので購入をお勧めします。

本屋で本のタイトルを眺めていて、面白そうな本を発見した時のワクワク感っていいですよね。本の寿命は短く、平積みの期間は1週間、長くて2週間だと聞きます。だからこそ、本屋は行くたびに新鮮な発見を私たちにもたらしてくれます。それゆえ、「本は見つけた時が買い時」と肝に銘じておかなければなりません。私にとっては、「読書の秋」ではなく「読書の夏」なのかも。

深刻化する食料事情

  • Posted by: Rainyblue
  • 2008-08-28 Thu 07:40:49
  • Essay
1週間毎朝6:30に起きて授業に出ていると、さすがに週末は疲れがどっと出てきますね。でも、社会人になったらそんな悠長なことも言っていられなくなりそうです。

毎日大学に行っているので、昼食は必然的にその周辺で食べることになります。しかし、日本の学生街の中で最も飲食店が充実しているであろう早稲田界隈でも、最近はどこで食べようか迷うことが多くなりました。

まず、贔屓にしていたうどん屋「うどん子」が、8月9日付で閉店してしまったのです。戸山キャンパスのすぐ側という好立地、味良し・量多し・値段安し・長居できる広い店内など、全てにおいて学生の味方となりうる好条件が揃っており、私もよく利用していたのですが、閉店してしまうとは実に残念です。閉店前には値上げしたばかりで、昨今の小麦価格高騰による厳しい粉物事情が反映されたのかもしれません。裏庭のたまり場をここにしようと決めた矢先の出来事でした。

高田馬場~早稲田界隈は学生向けの飲食店が多いとはいえ、値段のボリュームゾーンは600円~900円の店が大半で、もちろん都内飲食店の平均(1000円前後)からすれば安い方なのは間違いないのですが、私の金銭感覚からすると500円を超えると高く感じます。私が1食に500円以上を払うときは、相当の贅沢をしている気分になるのです。

そこで、金がない時はマクドナルドを利用することになります。14時~18時の間ならば、スナックタイムメニュー150円+100円マック1つという組み合わせで250円となり、それで昼を凌ぐことになります。しかし、マックもついに8月20日から値上げを敢行、100円マック3種類(しかも私がいつも頼んでいたやつ!!)が120円に値上げされてしまいました。つまり、同じメニューを頼むと値上げ前は250円ですが、値上げ後は360円になってしまうのです。昨日マックに赴いたとき、レシートに印字された360円という数字に愕然としてしまいました。

コストパフォーマンスの悪いマックなんてもはや利用価値はありません。未だ99円のメニューを提供し続けるウェンディーズの方が、今やマックよりコストパフォーマンスは高くなったし、クーポンを利用すればモスバーガーとの差も小さくなりつつあります。ファーストフード業界の競争は激化の一途を辿っているといえるでしょう。

一人暮らしをしていると、食料品の値上げを身にしみて感じることになります。例えば朝食の必需品・食パンひとつ取ってみても、今まで自宅周辺のスーパーでは8枚切りの最安価格は88円だったのですが、今では107円になってしまいました。インスタント麺もいつの間にか値上げされており、ここ最近はめっきり食べなくなりました。ガソリンの値上げは言わずもがなで、都内はまだしも車がないと生活がほぼ不可能な群馬では家計を直撃します。私の両親も、ここ最近ガソリン満タンを入れている姿を見たことがありません。ただ、ガソリンはNYの原油先物価格の下落により、9月から少し値下げされるようです。

だから、一人暮らしを切り抜ける術として、自炊の重要性がますます高くなってくるのです。例えば、カレーライスを作るとします。市販ルー1/2箱で4皿分作ると仮定すると、市販ルー1箱158円(1/2箱で実質79円)+カレーセット198円(ニンジン×1、ジャガイモ×2、タマネギ×1)+特売品のブラジル産鶏モモ肉350円(約350グラム)で、合計627円となります。米は実家からタダで送ってくれるので計算から除くとして、1食当たりの値段は約157円となり、やはり自炊の方が安く済ませることができるとわかります。これからは男も料理ができないと生きていけません。

物価上昇に応じて通貨供給量が増加すればそれはインフレであり、極端なインフレではなく緩やかなインフレ(マイルドインフレ)が経済学的には正しいというのをどこかで読んだ記憶があります。通貨供給量の減少に応じて物価が下落すればそれはデフレであり、数年前まではデフレスパイラルと呼ばれる状態でした。現在では庶民の給料は一向に増える気配がないのに、物価だけは上昇し続けています。経済は全くの門外漢なので知ったかぶりの口はききたくないのですが、これってスタグフレーションって言うんじゃないでしょうか?だとしたら非常に由々しき事態です。

食べ物の値段で一喜一憂することなく、庶民が楽に暮らせるのが一番いいんですけどね。

近況備忘録

  • Posted by: Rainyblue
  • 2008-08-23 Sat 12:49:33
  • Diary
日記を書くのを放り出していたら1週間以上が過ぎてしまった・・・。
というわけで(?)、簡単に近況報告でもしておきます。

8月10日~17日まで、群馬に帰省していました。今は東京に戻り、相変わらず学芸員資格夏季集中講座を受講する毎日です。

【7月19日(土)】

朝は新宿ミラノで『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』を見る。詳細は7月23日の日記参照。

午後は上野の東京藝術大学大学美術館で「バウハウス・デッサウ展」を鑑賞。結構な人出だった。現代の工業デザインや建築の先駆となり、美術界にまで多大な影響を与えたバウハウスの作品が一挙に見ることができる。中はかなり広いので見終わるのに2時間程度かかってしまうと思う。かなり見ごたえのある展覧会だった。

【7月20日(日)】

舞台『死の舞踏』を鑑賞。演劇集団円主催、会場は浅草にあるステージ円。原作はストリンドベリで、主演は橋爪功。演劇映像演習のレポートを出すために見に行ったのだが、緻密な舞台装置と、迫真の演技で予想外に感動してしまった。舞台なんてほとんど見たことがなかったので、演劇がこれほど迫力があるものだとは思わなくて、非常に新鮮な体験だった。ステージ円が小劇場程度の広さだったのも臨場感をさらに高めていて良かった。

【7月23日(水)】
押井守監督が早稲田にやってきた。詳細は7月23日の日記参照。

【7月28日(月)】
今日から学芸員資格夏季集中講座が始まる。今日は2・3・4限に博物館概論の授業。7限に現代映画論のテストがあり、やっとテストが終わる。ピンポイントで出題されるも、何とか解答を仕上げる。単位は多分大丈夫だろう。

【7月29日(火)】
1~6限まで授業・・・。さすがに6連チャンはキツい。

【7月30日(水)】
1~5限まで授業。

【7月31日(木)】
1~5限まで授業。
ぼちぼちテストも始まる。持ち込み可の科目が多いのが救いか。

【8月01日(金)】
授業は休み。

午後はスタジオでバンドの練習。
相変わらず"Married With Children"が上手く弾けない。これが弾けないと、ほとんど同じコード進行の"She's Electric"(私がOasisで一番好きな曲)はテンポが速いのでもっと弾けない。ギターは少しずつ上達していると思うけれど、まだまだだね。

夜は絵画会の前期打ち上げが23時まで。多くは語るまい。

【8月02日(土)】
映画『スカイ・クロラ』観賞。詳細は8月5日の日記参照。後で加筆予定。今8200字まで書けたのでとりあえず10000字は超すつもり。

漫画家の赤塚不二雄先生が亡くなったというニュースを聞く。作品はほとんど読んだことがないけれど、天才バカボンのアニメにはずいぶんと笑わせられました。謹んでお悔やみ申し上げます。

【8月04日(月)】

1~5限まで授業。

【8月05日(火)】
1~5限まで授業。すさまじい雨。戸山キャンパスのスロープを下ったところが川になっていた。MMTのS君に会う。彼も同じ講座を受講していて、3限を抜け出して前期定例ライブに出るそう。大雨の中お疲れ様です。裏庭のバンドが忙しくてしばらく行っていないけれど、皆どうしているんだろう。

シンガーソングライターの河井英里さんが死去したいうニュースを聞く。まだお若いのに非常に残念。私は『ARIA』のアニメ版で聴けるカンツォーネの印象が強いけれど、ずいぶん色々なアニメに曲を提供したり歌ったりしていた人なのだと改めて思った。謹んでお悔やみ申し上げます。

【8月06日(水)】
1~5限まで授業。

【8月07日(木)】

1・2限が授業。
午後は渋谷Bunkamuraにて「青春のロシア・アヴァンギャルド展」を鑑賞。シャガールやマレーヴィチをはじめとする、ロシア構成主義やシュプレマティスム(絶対主義)といった抽象的で独特な作品がずらりと展示されていた。マレーヴィチの農婦像は独特すぎて自分にはロボットに見えた(モアイ像にも見える)。シャガールの絵がファンタジックなことに驚く。その後は吉祥寺まで移動して合宿に必要な物を揃える。

【8月08日(金)】
絵画会夏合宿が那須高原にて行われる。私は2日目から参加した。朝は5時半起きで東京から栃木の黒磯までの3時間以上の長旅に出る。そこからまたバスでロッジへと向かう。バスで丁度他のメンバーと落ち合い、温泉へ。那須高原は避暑地だから少しは涼しいのかと思いきや東京と変わらない暑さだった。今まで話したことのない1年生が話しかけてくれたのがちょっと嬉しかった。後は、川遊びとかバーベキューとか飲み会とか。

【8月09日(土)】
合宿3日目。よほど疲れたのか、川ではひんやりした空気も手伝って終始皆ダウナー状態だった。夕方にバスで帰路に着く。この日は池袋の新文芸坐でジャン=リュック・ゴダール作品のオールナイトがあって、久々に名画座Walkerに参加しようと思ったけれど、合宿帰りの疲れた体にオールナイトはさすがに堪えるので断念。ラインアップは初期のポップな作品ばかりだっただけにちょっと残念。8月30日の押井守オールナイトには絶対参加するぞ~。

【8月10日(日)】
返却期限がこの日だったので、TSUTAYAの半額セール中に借りた『アメリ』(2001年・フランス)を鑑賞。説明的なナレーションとか、カラフルな映像とか、楽屋オチ的な演出とか、やっぱりフランス映画だなと思わせる内容。アメリのキャラクターに共感できるかどうかで、この映画の好みが分かれそう。私は嫌いではないけれど好きでもないといった印象。ただカラフルな映像はやっぱり好き。夕方に湘南新宿ラインで群馬の実家に帰宅。

【8月11日(月)】
父親は仕事、母親ははお出かけだったので家で、持参した『頭文字D』の33~37巻を読んで過ごす。プロジェクトD編あたりからだんだん飽きてきて、32巻頃から読まなくなってしまったけれど、今一気に読んでみるとまだ結構面白い。クライマックスが近いからか。この漫画をを読むと無性に車が運転したくなる。

【8月12日(火)】
高崎の109シネマズにて、家族で宮崎駿監督の最新作『崖の上のポニョ』を鑑賞。どこかでストーリーをひねってくるのかと思いきや、余りにも素直な作品だったので驚く。絵本のような世界、手書き風にこだわった動画とか、宮崎監督がいい意味で爆発した近年稀に見る快作だと思う。彼の作品は、年を重ねるごとに心象風景の純度が増していっている気がする。

【8月13日(水)】
練習がてら私が車を運転して、父方・母方両方の墓参りに行く。車庫出しは一発でできるようになった。

【8月14日(木)】
「裏庭の混沌と創造」の集いがあったが、実家の用事のためキャンセル。後で合宿の詳細だけは聞いておかなければ。

【8月15日(金)】
祖母の家で親戚一同会す。

オアシスの7thアルバムからの1stシングル"The Shock Of The Lightning"がBBC Radio 1でついに解禁。iTunes Storeではアルバムの予約が開始され、"Falling Down"のみダウンロード可能に。YouTubeで聴いた限りでは"Fade Away"や"Bring It On Down"に近いアップテンポなナンバーでかなりカッコいい。少なくとも"Lyla"よりは第一印象が格段に良いので、名盤になることを期待。サイケなアルバムになりそう。でも、今回のアルバムは大ヒットか大コケかのどちらかのような気もする。

今年はOasis、Coldplay、Travis、The Verve、KeaneなどUK勢が熱いけれど、新人バンドは相変わらず不調。ニュー・レイブはあんまり好きじゃないんだよな・・・。最近はシューゲイザーばっかり掘り下げているけれど、シビれる新人バンドの曲をもっと聴きたい。今はRipchordにとりあえず期待しているが、アルバムいつ出すんだろ。彼らはArctic MonkeysやThe View系統の初々しいバンドで、この中ではとびきりポップな曲調が持ち味。

【8月16日(土)】
北京オリンピックで、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が100mを9秒69で駆け抜けたことに驚愕。しかも最後は流して胸を叩くという余裕ぶり。しばらくこの選手に勝てるランナーは出てこないだろう。条件さえ整えば9秒5x台も夢ではないんじゃないだろうか。2~3年前までは人類の限界は9秒70と言われていたことが信じられない。

【8月17日(日)】

あいにくの雨。午後に東京に戻る。

【8月18日(月)】
1~3限まで授業。今日から授業はすべて3限で終わるので少しは気が楽だ。午後は新宿ディスクユニオンで中古のCDやDVDを物色。

ジュンク堂で本を2冊買う。
押井守『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書)
土井隆義『友だち地獄』(ちくま新書)
授業中に読破してしまおう。

夜は散らかった部屋の整理。ここ最近漫画の増加が著しいので、決して広いとはいえない本棚にどのようなレイアウトで並べようか悩む。最上段の手前には文庫版の藤子・F・不二雄作品を並べることにした。まだ『T・Pぼん』『みきおとミキオ』『21エモン』を揃える予定なので本棚にスペースを空けておく。DVDは中段の手前に。バンドスコア、車や音楽のムック、展覧会の図録などは下段に。人によってはオタク(?)扱いされそうな最近の漫画は奥の列に並べることにした。

早稲田祭・合同音楽祭の希望調査書がメールで来たので一度集まらなきゃ。
メンバーには今日あたりメールします。

今回はこのくらいで・・・。

映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』レビュー

8月2日(土)に、映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』を観に行ってきました。
公式サイト:http://sky.crawlers.jp/

この映画は、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)、『イノセンス』(2004年) などの作品で知られる、映画監督の押井守氏の最新作です。あらすじ等は上記の公式サイトでご確認ください。

場所は吉祥寺バウスシアターで16:00の回。この日は公開初日ということもあって混雑を覚悟していたのですが、客の入りは7割程で、思ったほど混んではいませんでした。ちなみに、吉祥寺バウスシアターは映画館としては狭い部類に入るかと思います。あと、客層は10代後半~30代が中心でしたが、意外に女性客が多かったような気がしました。プロモーションで「恋愛映画」というテーマを強く押し出していたためでしょうか。

以下、トピック別のレビューです。原作は未読の状態です。また、押井監督が早稲田のシンポジウムで語った内容とも照らし合わせながら考えてみたいと思います。重大なネタバレを含んでおりますので未見の方はご注意ください。

〔オープニング〕
オープニングでは川井憲次によるピアノ曲をバックに、戦闘機による空戦から始まり、タイトルバックを経て、徐々に戦闘機が高度を下げて滑走路へと着陸するシーンが描かれる。これは撃墜された戦闘機を死んだキルドレの目線から描いたシーンだという。このピアノ曲は劇中でもオルゴールが奏でる曲として繰り返し聴くことができる。映画をラストまで見ることによって、初めてこのオープニングシーンの意味が理解できるように作られれていると思う。そもそもこの映画は序盤のシーンが終盤に繋がっていくような構造をしており、後述するこの映画の円環構造とも通底するのではないだろうか。

〔空戦シーンとCG〕
戦闘機による空戦は圧巻の大迫力だ。CGに抵抗さえなければ、リアリティを感じることができるだろうし、戦闘機好きなら間違いなく画面に見入ってしまうだろう。劇中の戦闘機は全てフルCGによって描かれており、トゥーンレンダリング(3DCGを2Dアニメ風の絵にする画像処理技術)は施されていない。戦闘機の質感はかなり写実的で、空戦シーンだけを見ると実写と見まごうほど。また、空戦シーンは地上のシークエンスと交互に配置されており、メリハリのある演出が施されている。時々スロー・モーションが効果的に使われており、空戦シーンの印象を高めている。少なくとも、『イノセンス』のときにはよく聞かれた、上映中に眠ってしまうような事態はほぼ避けられるのではないだろうか。これは押井監督の言うアニメーションにおける3つのマテリアルのうち「CG」に相当する。

〔背景〕
この映画の舞台は欧州の兎離洲基地というところであるが、モデルとしてアイルランドとポーランドを設定し、ロケハンを基にして背景が描かれている。押井守の映画においては「世界観」の構築が何よりも重要であり、まずそこからスタートするというのは前の記事で述べた通り。この背景は実に写実的かつ重厚に描かれており、スタジオジブリ作品にも引けを取らないと思う。ただ、カルスト台地など、やけに荒涼としたイメージばかりが使われており、キルドレ達が暮らす地上の空虚感を表象するために一役買っている気がする。

〔動画〕
前述したリアル志向のCGや背景と比べて、動画は非常にのっぺりとした質感である。どのキャラクターデザインも非常に単純な線から構成され、輪郭線に沿ってペンキでベタ塗りしたような印象を受ける。すなわち、この映画における背景とCGは立体=3D志向なのに対して、動画は平面=2Dを志向しているといえる。少なくとも、スタジオジブリ作品のように背景と動画が違和感なく溶け込んでいる映像とは対照的で、むしろ背景・CGと動画を積極的に乖離させることを意図しているようにすら感じられる。この実にのっぺりとした、すなわち平面的な動画は好き嫌いが分かれるようで、ブログ等でこの映画の試写会のレビューを読んでみると、キャラクターデザインが気に入らないという意見が多数散見された。個人的には、キルドレの無気力・無感情な雰囲気を出すためにあえてあのようなキャラクターデザインにしたのではないかとも思う。これは押井監督の言うアニメーションにおける3つのマテリアルのうち「セル=動画」に相当する。

〔空間〕
公式パンフレットによれば、この作品の世界観について「空と地上で全く別の世界にしたい。上空は圧倒的な3Dで作りこんだ、ある意味天国のような世界。地上は2Dの、重厚な大人たちの世界」ということを押井監督はイメージしたらしい。CGと背景について比較してみると、確かに地上は重厚な背景が織り成す大人の世界、対して空は開放的で、生の情熱を感じられるキルドレの世界、という印象付けがなされているように感じられる。しかし、空が地上と比較して開放的かといえば、私は別段そうは感じなかったし、むしろ空は閉塞的であるとさえ感じられた。画面の情報量は地上と比較しても空の方が多く、そのことが空の閉塞感を高めてしまったのかもしれない。『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』を見たときにも感じたことだが、そもそも押井監督は開放的な画面作りよりも、閉塞的な画面作りで真価を発揮するタイプの映画監督なのだろう。対して宮崎駿や芝山努といった映画監督たちは開放的な画面作りを得意としているように感じられる(『紅の豚』の空戦シーン、『映画ドラえもん』のタケコプターで飛ぶシーンなど)。押井監督と同じく閉塞的な画面作りを得意とする映画監督としては、アメリカの映画監督であるオリヴァー・ストーンが挙げられる。彼は『アレキサンダー』(2004年)のクライマックスで、戦闘シーンの舞台をあえて木々の密集する森の中に設定し、しかも遠景は煙を焚いて画面を意図的に閉塞空間にしている。同時期に公開された『ロード・オブ・ザ・リング』(2001~2003年)三部作では群集シミュレーション・ソフトを使用し、上空からの大写しによる圧倒的に広大な空間で繰り広げられる戦闘シーンを映していたのとは対照的である。また、『ワールド・トレード・センター』(2006年)では、パニック映画でありながら舞台のほとんどは瓦礫の中であり、そこに埋まってしまった2人の消防士が顔だけを残しているという状態で物語が進んでいくという構成だったのも印象深い。

〔時間〕
押井監督によれば、アイルランドは体感的に日本の3~5倍の時間が流れているらしい。そこで、私は映画を見ているときに「時間」を意識するようにした。確かに、作中の時間がとてもゆっくりと進んでいるような感覚が何となくではあるが体感できた。地上の舞台は荒涼としており、余り華やかさは感じさせない。そこで、キルドレ達は現実世界たる地上で生きることを宿命づけられている。しかも、キルドレは年をとらないので、映画の冒頭からラストまで一体どれくらいの時間が過ぎたのか分からない。しかし、とてもゆっくりと進んでいるだろうというのは感覚的に理解することができた。「時間」を表現することが、押井監督の映画監督としての使命なのだという。

〔声優〕
本作のヒロインである草薙水素を演じたのは菊地凛子、主人公の函南優一を演じたのは加瀬亮である。また重要人物として、土岐野尚文を谷原章介が、三ツ矢碧を栗山千明が演じている。今回は主要登場人物4人を非職業声優の俳優が演じている。

演技が映画に溶け込んでたかといえば、菊地氏の声は少々浮いていた気がするし、加瀬氏の声は抑揚が足りなすぎるような気がした。これも、押井監督に言わせれば映画の「外部」の役割を演じてもらうためで、それで良いということらしい。演技が浮いているのはキルドレの異質性を強調するためで、演技に抑揚がないのはキルドレの無気力性・無感情性を表すためというのは何となく理解することができた。こうした演技が押井監督の意図したものであることが観客に周知徹底されていれば何の問題もないが、実際はそうではないし、この2名の演技はあまり芳しくない評判になるだろうと思う。私自身も、特に菊地氏の演技はあまり上手だとは思えない。菊地氏は、確かに2006年の映画『バベル』でアカデミー助演女優賞にノミネートされたし、聴覚障害者の女子高生という難しい役柄を演じきった彼女の功績は評価されてしかるべきだろう。しかし、彼女はあくまで言葉を発することができない役柄の演技で評価されたのであり、今回のような声だけの演技でその本領を発揮できるかは全く未知数だ。結局、菊地氏の演技は低評価にならざるを得ない。加瀬氏はよく知らないが、あの抑揚のない演技は好き嫌いが分かれるところだろう。

対して、後者2名の演技は映画の中によく溶け込んでいたと思う。谷原氏は土岐野のクールガイな雰囲気が良く出ていたし(これは谷原氏本人のキャラクター性も大きいと思うが)、栗山氏はこのまま声優でやっていけそうなくらい演技に違和感がなかった。ただし、谷原氏の演技は大人っぽすぎてキルドレらしからぬキャラクターになってしまったような気もするが。栗山氏は押井監督の個人的好みで起用したらしい。私も栗山千明は好きな女優だが、彼女はエヴァ好きを公言するほどのアニメファンとして知られており、やはりアニメに親しんでいると演技も自然と声優チックになるのだろうか。この「声優らしい」演技が押井監督の言う映画の「内部」に当たるのだろう。

〔戦闘機の意匠〕
主人公の優一たちが搭乗する戦闘機はプッシャー式、レシプロエンジンの「散香」。デザインはどことなく旧日本軍の戦闘機を思わせる。散香はプッシャー式というプロペラが後方に付いている珍しいタイプの戦闘機であり、プッシャー式戦闘機といえば旧大日本帝国海軍が太平洋戦争末期に対B-29の切り札として総力を挙げて開発した戦闘機「震電」が思い起こされる。震電は結局試作機のままで、実戦投入は間に合わずに終戦を迎えてしまった。この映画のメカニックデザイナーもドイツ軍好きの押井監督の要望でドイツ軍機っぽくデザインしたらしいが、結局震電のイメージが強く残ってしまい、結果として震電の意匠に近づいてしまったとインタビューで述べている。個人的には、旧大日本帝国海軍の戦闘機の意匠はどれも最高にかっこいいと思う(B-29の下品さに比べて、零戦のストイックな美しさは群を抜いている)。また、主人公の戦闘機は正統派の方がかっこいいという押井監督の指示により、奇抜なデザインは避けたとのこと。対して、劇中最大の敵「ティーチャー」が搭乗する戦闘機は、ターボチャージャーと、前方に二重反転式のプロペラを搭載した「スカイリィ」。映画を見ると分かるがどこか化け物じみた雰囲気が漂う禍々しいデザインで、これは英国軍機のイメージに近いといわれる。また、押井監督曰くスカイリィは前方にプロペラを搭載しており、その意匠も含めて男根の象徴ということらしい。また、プロペラ付近から弾丸を発射することが何のメタファーかはお察しの通り。つまり、スカイリィは劇中唯一の「大人」のパイロットである「ティーチャー」を表象するためのデザインだといえるだろう。劇中では戦闘機は後姿がアップになることが多いが、これは押井監督の「戦闘機は後姿が一番かっこいい」という独特なフェティシズムによるもの。ともかく全体的に戦闘機の意匠には彼の戦闘機フェチが全面に押し出されているような気がする。

〔押井監督のメッセージ?〕
押井監督によれば、この映画は多くの若者に見てもらいたくて制作したとのこと。最近彼は若者に向けた人生指南書ともいえる著書を2冊出版(『凡人として生きるということ』、『他力本願―仕事で負けない7つの力』、ともに幻冬舎刊)し、日テレやNHKに相次いで出演して若者に向けたメッセージを語っている。彼も50代後半を迎えて今の若者たちに何か言ってやりたい気持ちになったのだという。この映画の中にもそうしたメッセージを読み取ることができる ――やや遠回しではあるが。彼が言いたいのは、「人生は劇的な変化があるわけではないけど、退屈な日常の中でも昨日と明日では違う発見があるし、そんな人生も捨てたもんじゃないよ」ということだろうと個人的には思った。そうした彼のメッセージが端的に読み取れるのは、クライマックスで「ティーチャー」を撃墜することを決意した優一が発するモノローグだろう。詳細は映画を見て欲しいが、同じ日常の繰り返しの中にもささやかな違いがあるという趣旨のことを言っている。おそらく押井監督は、大仰なメッセージではなく、人生の中にあるささやかな希望を今の若者に伝えたかったのではないだろうか。

〔”キルドレ”の正体〕
キルドレという存在は、原作でも映画でもその多くは語られず、詳細は謎に包まれている。キルドレの真相の一部分は後半に碧の長台詞によって語られ、それによると、遺伝子制御の新薬を開発中に偶発的に生まれ(しかしどのようにして生まれたのかは謎のまま)、思春期の16~17歳くらいで加齢しなくなってしまう人間であるということ、上記の身体的特徴以外にも、断片的で曖昧な記憶や、無感情的な性格、頻繁に襲われるデジャヴといった特徴があるらしい。そして、キルドレ最大の謎は、彼らは戦死しても新たな肉体に個人の癖や特性、身につけた戦闘能力をそのまま引きついで生まれ変わることができるということだ。彼らが「永遠に歳を取らず、戦死しない限り死ぬこともない子供たち」と呼ばれている要因はここにある。事前情報では、彼らは唯一戦死することで死ぬことができる存在だと思っていたが、どうもそうではなく、戦死しても生まれ変わることで永遠に生き続けることを宿命づけられた存在ということらしい。こうしてみると、キルドレに与えられた運命は余りにも過酷である。彼らは本当に死ぬことが許されないのだから。そうしたキルドレの正体は、劇中で湯田川が新聞を折りたたむ癖が、湯田川の戦死後新任として配属された合田という男にも受け継がれているということ、そして主人公の優一自身も、マッチを折る癖、水素との間に感じたデジャヴといった伏線によって少しずつ語られ、エンディングまで見ることで何となくではあるが腑に落ちた感覚に浸ることができる。そして、強調しておきたいのは、キルドレの「戦死」は、映画の中では「未帰還」という状態によってのみ表象され、決して可視化されていないということである。だから彼らは本当に死んだのか、そしてどのように生まれ変わるのかといったことは映画から伺い知ることは難しい。他にも、やけに似ている水素とフーコの関係とか、母親たる整備士の笹倉と父親たる最大の敵「ティーチャー」との関連性や、カフェの前に佇む謎の老人など、暗喩じみた思わせぶりなシーンは色々あったが、1回見ただけの記憶、それにパンフレットと関連本の解説文だけではすべてを理解することは容易ではない気がする。できればもう1度見に行きたい。

〔エンディング〕
絢香が歌うテーマ曲は、ヴォーカルに力がこもりすぎていて歌詞がよく聞き取れなかった。彼女は『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』のときにも主題歌を担当しており、そのときにも感じたことだが、彼女はもっとナチュラルな歌い方に徹した方が良いと思う。ところで、エンドロールで席を立ってしまう観客が2、3人いたが実にもったいない。エンディング後のラストシーンがこの映画で最も重要なシーンであると思われるからだ。映画を見ていくうちに、あの 2人のうちどちらかが死ぬという結末は予想できたが、私もエンドロールに入る前の終わり方は実にあっけなく、「え、これで終わり?」と思っていたが、ラストシーンを見ることでようやく腑に落ちたような気がした。ただ、私の中にどこかもどかしい気持ちが残っているのも事実だ。

〔恋愛映画と円環構造〕
ラストの水素の台詞によって、この映画のテーマが恋愛であることが印象付けられる。ラストに登場するヒイラギ・イサムという新任の男に対する水素の態度は、タバコ、眼鏡、表情、そして台詞など多くの要素において優一の登場シーンとは異なっている。これは、「この映画では既に恋に落ちていたことを思い出す過程を描いている」と押井監督は述べていたが、まさしくその通りで、「あなたを待っていたわ」と最後の最後に水素が発する台詞は、「あなたを愛していたことを思い出した」という水素の意思表明に違いない。そしてその「あなた」とはヒイラギという男に向けられているが、その台詞はその男はクリタ・ジンロウ、そして函南優一の生まれ変わりだということの証左でもある。エンドロールの初めにはもう一度タイトルバックが表示されるが、これでエンディングがオープニングと繋がり、この映画が終わりのない円環構造の物語であるということが分かる。しかし、終わりのない円環構造であっても、ラストにおける水素の態度に表れているように、一度として同じ日常は存在しないということを伝えたかったのかも知れない。

〔総評〕
この映画は若者に向けて作ったエンターテインメント作品ということだが、まず、若者向けということに関しては、人間関係や将来に漠然とした不安を抱えているような「悩める若者」には一定の影響力を与えたと思う。押井監督は過去にもそうした悩める若者の心理を鋭く突いたコメントを何度か残しているし(彼の発言とされる、映画『耳をすませば』についてのコメントなど)、今回もそうした若者に対するメッセージを感じることができた。私自身も「悩める若者」を自称しており、最近はまるで風船のように人生に対する不安が膨れ上がる一方で、元々アンニュイと周りからよく言われる性格の上、さらにトム・ヨークのように悩むことが趣味になりつつあるのだが、そんな私自身にとっても何か得るところがある映画だったと思う。しかし、大多数の「普通の若者」に対してはどうだろうか。彼らはこの、余りにも過酷なキルドレの運命を目の前にすることで、この映画のささやかなメッセージ性は薄らいでしまうのではないかと思う。ゆえに、「悩める若者」という限定的な範囲内ではあるが、若者に向けたメッセージを伝えることは一応成功したといえるのかもしれない。

次に、「エンターテインメント作品」という側面についてはどうだろうか。押井監督は今作で今までの演出手法を封じ、わかりやすい演出を心がけたというし、実際今までの押井作品の中では最もわかりやすい部類の作品に仕上がっていると思う。ただ、「押井節」たる長台詞や、魚眼レンズなどの実写的手法はここにも見ることができ、この映画はまぎれもない押井作品だということを証明している。確かに空戦シーンは、宮崎駿監督(彼もまた飛行機フェチである)には負けたくないと豪語しているだけあって、その言葉に恥じない迫力に仕上がっていると思う。ただ、そうしたスペクタクル性と元々の静謐で、アンニュイで、哲学的な「押井節」とが合わさることで、結果的にこの映画をエンターテインメント映画とも、通好みの難解な作品ともいえないどっちつかずな作品にしてしまっていると思う。たしかにその2つの組み合わせはメリハリの効いた演出という点においては効果的であるが・・・。公開初日の様子を見る限り、興行成績は、残念ながら宮崎監督の最新作『崖の上のポニョ』の足元にも及ばないと思う。『崖の上のポニョ』は、盆休みで実家に帰省した時に家族と見に行く予定。

したがって、決して万人にお勧めできる映画というわけではないが、今までの押井作品の中では最も客を選ばない映画だと思うし、もっと多くの人に見て欲しい。あと、公式パンフレットは詳しい解説が掲載されているのでこの映画についてもっと良く知りたいという方にはおすすめ。

〔関連記事〕
押井守監督とともに語る新作『スカイ・クロラ』のためのシンポジウム@早稲田大学大隈講堂&『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』感想メモ

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