青い空はポケットの中に - 2008年04月

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裏庭の混沌と創造 - 4月の活動報告&5月の活動予定

  • Posted by: Rainyblue
  • 2008-04-30 Wed 23:59:10
  • Diary
フランス語の友人たちと新しく立ち上げたサークル「裏庭の混沌と創造」も、無事に4月の活動を終えることができました。4月の新歓イベントはすべて終了し、6人の新メンバーを迎え入れることができました。参加してくださった皆さんに感謝申し上げます。

現在のメンバー構成は、早稲田大9人、一橋大2人、明治大2人、慶應義塾大1人です。

ほとんどが公式ブログからの転載になりますが、ここに4月の活動報告と5月の活動予定を記しておきます。

<4月の活動報告>
いよいよ本格的な活動が始まり、3つの新歓イベントを行いました。

4/10(木) 第1回合同新歓コンパ@新宿
あいにくの雨でしたが、新宿VAGABONDにて無事挙行されました。
今回は、新入生3名、2年生1名、3年生1名が来てくれました!
来てくださった方に感謝申し上げます。

4/22(火) 第2回合同新歓コンパ@新宿
天空の街・新宿アジア横丁にて無事挙行されました。
今回は新入生5名(3名が初参加)が来てくれました!
早稲田大・一橋大だけでなく、明治大の参加者もいます。
今回も参加してくださった方に感謝申し上げます。
次回の新歓巡検だけでなく、5月中にも新歓イベントを企画中ですので、大学・学年問わず、奮ってご参加ください。

4/27(日) 新歓巡検(東京巡り)
(有名スポットから、あまり知られていない所まで、東京の様々な姿を見に行きます。)
無事に開催されました。
今回は、新入生2名・2年生2名(2名が初参加)が来てくれました!
今回も参加してくださった方に感謝申し上げます。
大手町、神保町、御茶ノ水、深川、木場、門前仲町などを散策しました。

【当日の行程表】
10:00 東京駅(丸の内北口)
10:30 平将門塚
11:00 神保町古書店街
12:00 明治大学、明治大学博物館
13:15 ナポリの下町食堂
14:15 ジャニス(レンタルCD)
15:45 岩本町駅前バス停
    ~バス~
16:00 清澄白河駅前バス停
16:10 資料館通り
16:40 木場公園
17:20 富岡八幡宮
17:30 深川不動尊
18:00 伊勢屋(和菓子)
18:40 門前仲町駅

音楽分野の活動としては、Mando Diaoのライブに行ったメンバーがいます。また、バンドでRadioheadのJust (You Do It To Yourself) を練習し始めました。

<5月の活動日程>
5/4(日・祝) 巡検(国立・多摩散策)
       (午前10時に国立駅南口集合)
        国立駅をスタートし、多摩地域を歩いて巡ります。
        動きやすい服装でお越しください。

日時未定  飲み会@吉祥寺(詳細は後日掲載)
      
5/12(月) Bobby Lee Rodgers & The Codetalkers
      @ duo music exchange
5/16(金) Leon Russell @ billboard live tokyo

当サークルでは随時新メンバーを募集しています。
4月のイベントに参加できなかった方も気軽にお越しください。

さらに詳しい情報は下記ブログをご参照ください。
”裏庭の混沌と創造”公式ブログ
URL:http://band4.blog99.fc2.com/

大山のぶ代さんが心筋梗塞で緊急入院

初代「ドラえもん」の声で知られる女優大山のぶ代(71)が軽い心筋梗塞(こうそく)のため都内の病院に緊急入院していたことが26日、分かった。今月24日に学校長を務める音響芸術専門学校(東京・西新橋)で胸の痛みを訴えて、緊急入院した。(日刊スポーツ)



私も大山のぶ代さんのドラえもんで育った人間です。大山ドラには強い思い入れがあります。ですから、大山さんの一刻も早い回復をこの場を借りて祈念いたします。

現時点で、このニュースに関するブログの記事は相当な数に上っているようです。大山さん・大山ドラに思い入れのある人がいかに多いかを伺い知ることができます。

ですが、そうした記事を見渡してみて思ったのは、大山さんを唯一視・絶対視するあまり、新しい声優(水田わさびさん)への中傷ともとれる書き込みが目に付いたことです。もちろん、純粋に大山さんの回復を祈念する日記も数多くあり、そうした方々に異論を挟むつもりは毛頭ありません。

あなたがしたいのは、大山さんの心配ですか?それとも新声優の批判ですか?もう一度冷静な視点に立ってほしいのです。それは大山さんに対しても失礼ではありませんか。あなたが大山さんを神格化するのは自由です。でもそれを、周囲の方々や次世代の子供たちに押し付けるのはやめにしませんか。

過去、「ドラえもん」というキャラクターを演じられた声優さんは4人います(その意味で、「初代」と表記してあるこのニュース記事は間違っているといえます)。
外国版のドラえもんを演じている方々を含めると、それはもう相当な数になります。
私はそれぞれに個性があると思っています。

私は大山さんの声のファンでもあり、水田さんの声のファンでもあります。
それぞれがその人なりの「ドラえもん」を演じていると思うからです。
私はその個性に優劣をつけることなどできません。

藤子・F・不二雄先生によって描かれた原作には、もちろん声がありません。
だから、ドラえもんには、色々な声があっていいと思うのです。

そうした意味で、極めて個性的な声を持ち、ドラえもんの声を26年間務められた大山さんは偉大な功績を残されました。

しかし、大山さんの功績も一朝一夕で作り上げられたものではありません。
放送開始当初(1979年)の視聴者の反応は、実に冷ややかであったといわれています。
当時のファンクラブの投稿欄などから伺い知ることができます。

新しいドラえもん(わさドラ)も、リニューアル直後の視聴者の反応はそれは冷ややかなものでした。新しいドラえもんが、これからどうなっていくかはわかりません。でも、第1話から1話たりとも見逃さずに全話視聴してきた私が言えるのは、「そんなに悪いもんじゃないよ」ってことです。少なくとも、藤子F先生の原作に対する真摯な姿勢には、目を見張るものがあると思っています。

私はこれからも、大山ドラを見続けるし、わさドラを見続けると思います。

個々人には好き好きがあることを認めたうえで、大山さんを心配するがあまり新声優を卑下してしまっている方々には、もう一度冷静な視点を持っていただきたい、そう強く思います。

いちドラえもんファンの戯言として。

映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』レビュー

終映日を2日過ぎた4月20日、ようやく映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』を観に行ってきました。

場所は立川シネマシティで10:20の回でした。平日を有効利用できる大学生のうちは、映画は客が少ない平日の午前中に見ることにしているのですが、この時期にまだドラえもんを上映している映画館は数少なく、何の因果か、昨年『のび太の新魔界大冒険』を観たのと同じ映画館での観賞となりました。

立川は最近発展目覚ましく、多摩地区最大級の都市となりつつあります。日曜日というだけあって駅前は人通りも多く、映画館の前にはチケットを求めて長蛇の列ができていました。シアターの中に入ってみると、客の入りは3分の1~半分といったところでしょうか。今日はこの映画館での終映日でしたが、ほとんどが親子連れで、思ったほど混んではいませんでした。本来はちびっ子達の声が聞こえない静かな環境で観賞したいところですが、今回はちびっ子達の反応も考慮に入れつつ、さっそく感想を書き進めていきたいと思います。自分の記憶を頼りに独りよがりな文章を書きなぐっているのでところどころ間違っているかもしれませんが悪しからずご容赦ください。(ネタばれ有り)

今回はちょっと趣向を変えて、以下の項目別に採点をして、100点満点で得点を出してみたいと思います。

点数配分・採点基準は完全に私の独断と偏見によります。基準点は初代『のび太の恐竜』の80点とします。

【オープニング】5点
【ストーリー:前半】20点
【ストーリー:後半】30点
【動画(作画)】10点
【背景(美術)】10点
【声優(演技)】20点
【エンディング】5点
【合計】100点

あらかじめ申し上げておきますが、一昨年の『のび太の恐竜2006』と、昨年の『のび太の新魔界大冒険』共に、どちらも忙しくてまともなレビューが書けませんでした。そこで今回こそはと大風呂敷を広げてはみたものの、考えれば考えるほど疲れるというか、レビューを書く筆がなかなか進まないというか、そんな映画でした。だからそんな大した感想記事にはならないかも・・・。

◆オープニング
OP曲は『夢をかなえてドラえもん』、昨年よりアニメ・ドラえもんのレギュラー放送でOP曲として使われている。曲調は穏やかな感じで、どちらかというとED曲向きかもしれない。オープニングアニメはクレイアニメーションだった。クレイアニメは以前にも使われたことがあり、今回はキャラクターたちが可愛くデフォルメされており、その他の造形物や、歌のテロップも含めてファンシーな印象だった。粘土独特の質感を重視したように見受けられ、手作り感のある動きでリアルさは余り感じられなかった。歴代オープニングの中では平均レベルといったところか。ただし迫力は足りなかった。

◆ストーリー:前半
”良かったけれど・・・。” ストーリー:前半を一言で表すとそんな感じである。

渡辺監督は、『帰ってきたドラえもん』『ぼくの生まれた日』などの併映短編作品にみられるように、日常風景の描写は相変わらず上手で、情感豊かな日常風景は美しく、見ていて飽きなかった。

ストーリーの前半は、てんとう虫コミックス第33巻「さらばキー坊」に準拠しており、そこからいくつかの場面が付け加えられていた。したがって、ストーリー前半全体を通して特に問題はなかったように感じられた。

キー坊の造形は、スクリーンで見ると思った以上に可愛らしく仕上がっていた。原作のキー坊に比べて、「可愛さ」という側面がかなり強調されたキャラクターデザインとなっている。しかし、それ故キー坊の見た目と裏腹ににインテリジェントな側面は大幅にスポイルされてしまっている印象を受けた。

特に良かった点は、のび太のママとキー坊との交流である。まず前提として、「ママの生き物嫌い」はキー坊がママの頭の上に乗っかったときにママが身震いしたシーンできちんと描かれている。その上で、キー坊が洗濯物を取り込むのをママと一緒に手伝うシーンや、家中に「0点」という文字を落書きするというキー坊の悪戯をママが全く気にも留めないというシーンで、ママとキー坊の心温まる交流が情感豊かに描かれており好印象だった。本来「生き物嫌い」であるはずのママが突然気が触れたようにある生き物を愛でるという性質は、てんとう虫コミックス第43巻「ネコののび太いりませんか」でも描かれており、その点でも説得力のあるシーンである。また、あくまで傍観者として温かく見守るというのび太のパパのスタンスも的確な描写だったと思う。

赤いジョーロをもった女の子が登場してからしばらくは、ジブリ作品の影響を感じた。特に『となりのトトロ』の影響だろうか。ジョーロの女の子の笑い方などはどことなくメイを彷彿とさせるし、その後キー坊とのび太がグルグル回って空を飛ぶシーンなどはもろにトトロの影響だと思われる。なぜキー坊が空を飛べたのかは大いに疑問ではあるが。後半でも、ジブリ作品の影響とみられるシーンはいくつも見受けられるが、予想していたよりは「ジブリっぽさ」は感じなかった。

◆ストーリー:後半
”(悪い意味で)非常に疲れた。” ストーリー:後半を一言で表すとそんな感じである。

とにかく、疑問点だらけなのだ。

まず、裏山に捨ててあった不思議な物体にドラえもんが「かたづけラッカーDX」を吹きかけたところで、ストーリーは急展開を迎え、キー坊とドラ・のび太たちは地球外へと飛ばされる。飛ばされた先で黒い木々の間から地球が垣間見えることでのび太たちはここが地球ならざる場所だと知るわけだが、私は「じゃあのび太たちが今いる場所ってどこ?」という疑問が早くも生じてしまった。地球の植物のサンプルを回収するために「緑の星」から派遣された宇宙船の一部か、または不思議な物体と緑色のスライム状の物体の一部なのか、それとも地球と緑の星をつなぐ通路の一部なのか、スクリーンに映し出された映像だけでは把握できなかった。

のび太たちが緑の星に到着し、船に乗せられたシーンで緑の国民が騒いでいたけれど、これはのび太たちを歓迎しているのだとしたらあまりにも不自然だし、不可解だった。多分、議会が開かれ、王女が来るということで騒いでいたとも解釈できなくもないが・・・。何にしても説明不足だ。

後半で特に疑問だったのはリーレの心情変化である。一体リーレというのはいかなる人物で、何を考えていて、そしてどう変わったかというのが非常に理解しにくかった。結局リーレは何がしたかったのだろうか?映画のパンフレットには「かなりのわがままだけど、孤独なさびしさを抱えている」と書かれている。書いてある文章を見れば、「ああ、そうなのか」と思ってしまうのだが、物語上では「わがまま」とか「孤独でさびしい」などの心情が読み取りにくいのだ。最初はいわゆる「ツンデレ」なキャラクターとも思ったし、彼女がところどころ不可解な表情を見せる場面では「黒幕あるいは裏があるキャラクター」なのかと思ってしまった。

分かりやすく言うと、リーレは「本当は地球人を絶滅させる意思などない心優しい少女で、孤独から来るさびしさゆえわがままだったが、キー坊やのび太たちとの交流を通して素直な心を取り戻した」ということが言いたいのだろう。しかし、やたら怒りっぽい場面が後半に頻出したために、リーレは本当に地球を破壊する意思があるのかないのかと、私の考えが揺らいでしまった。特にのび太と取っ組み合うシーンではむしろリーレが好戦的な人物に見えてしまうし、よりわがままになっているように感じられる。だから大臣シラーに緑の巨人復活(地球総攻撃)の許可を求められ葛藤するシーンが生きてこないし、浮いてしまっているのだ。リーレが頭を抱えているシークエンスはなぜあんなに悩んでいるのか、それとも別の力に操られでもしているのか、という邪推まで私の中に生じさせてしまう始末だった。国家元首という緑の国民を代表しなければならない公の立場と個人としての感情に揺れ動いていたのだろうか?そうならばもう少しそのあたりを丁寧に描いてほしかったところだ。

キー坊とリーレの関係も不明確だ。キー坊がリーレの靴を戯れに取り上げ、それをリーレが取り返そうとするところからキー坊とリーレの追いかけっこはスタートするわけだが、何故あそこまでリーレはキー坊を執拗に追いかけ回すのかが理解できなかった。

関係といえば、緑の星に住む種族の相関関係もわかりにくい。「森の民」は、どうやら緑の危機は内なる問題(=緑の星の問題)だと知っていて、争いが何の解決にもならないことを知っている、緑の星における古の民だとわかる。では、地上に住む緑の国民は彼らに敵対心を持っているのかということや、森の民と王族との関係など、描かれているようで今ひとつピンとこない。緑を破壊する人間に敵対する緑の国民が、実は森の民の生活を脅かしていたというメタ構造なら面白いし、実際そうであるかのような描かれ方をしていたのだが、そういうことを分かりやすく伝えるには少々描写不足だった。

上記と関連して、緑の星の古の文明の話が森の民が語る物語によって描かれていた。「いばりんぼう」という単語が説教臭くて鼻についたのは置いておくとして、これでますます緑の星に住む種族の関係が分からなくなった。緑の星における古の文明は一度戦争により見るも無残な姿になり、クライマックスにその荒廃した文明の跡が登場するが、突如その文明跡が登場したのか分かりにくいし、時間軸も不明瞭だ。古の文明の物語は、クライマックスののび太の台詞「考えが違っただけで、なぜケンカしなきゃいけないの?」に活きてくるのだとは思う。要は、一度失敗したが反省してそこから立ち直った緑の民(おそらく古の文明における支配種族だったのだろう)と、それを知らない緑の国民という関係なのだろうが・・・。

物語がクライマックスを迎え、ラストに近づけば近づくほど、ストーリーはますます訳が分からなくなっていく。特に、「緑の巨人」(私には「緑の巨木」に見えたが・・・)が復活し、長老ジィが再登場したあたりから、ストーリーにおける舞台、すなわち今のび太たちはどこにいるのかが全く分からなくなってしまった。ストーリーの後半に入ったあたりから、キャラクターや舞台の位置関係が分からなくなっていったが、ここにきて頂点に達した感がある。「緑の巨人」が復活するシーンや、スライム状の物体が巨人のようになるシーンでまたもや「ジブリっぽさ」が噴出。ジブリ作品、とりわけ宮崎駿作品は「ウニョウニョしたもの」や「スライム状の物体」が頻出するし、巨人の描き方も独特だ。ストーリーの描かれ方を含めて、こういうクライマックスの重要なシーンでこうした「ジブリっぽさ」を出してしまうと、何のためのオリジナル作品なのかと思ってしまう。

長老ジィが「宇宙は愛に満ちあふれている云々・・・」を語るくだりはもはや感想を通り越してもはや何が何だか分からない。そうしたらもう地球や緑の星が一面お花畑になるわ、緑の国民は改心しちゃうわ、息つく間もなくストーリーは解決してしまうのだから。

結局、キー坊が何者で、なぜ緑の巨人の復活に必要なのか?ドラが持っていたあの緑のタケコプターみたいな道具は?長老ジィは人智を超えた存在なのか?長老ジィが持っていた「証」と称する黒い葉っぱのような物の意味は?そもそもこの映画のタイトルでもある「緑の巨人」とは一体何者?この他にも疑問点が多すぎてストーリーを追うどころではなかった。ところで、「ぼくの生まれた日」のワンシーンが流れたのはちょっと反則かも。

批判的なことを書きすぎてしまったので、ストーリー後半の良かった点を挙げると、議会でリーレが演説をしたシーンで、しずかちゃんの「えらい人の一言で決まっちゃうのね」という言葉は非常に生きた台詞で良かった。一見、地球よりも文明の発達したように見える緑の星の統治機構(議会)が実は非民主的かつ権威主義的であることを示すことで(ここで少数派の声がかき消されてしまう描写も秀逸だ)、その後のシラーが発する地球に対する厳しい台詞によって我々観客が一方的に下の立場に置かれることを防いでくれている。一般に環境警告的な作品は、そのメッセージ性の強さゆえ説教臭くなりやすく、受け手が一方的な悪者にされてしまうことが多いのだが、この映画ではそうした説教臭さはあったものの、緑の星の負の側面を描くことで(地球人=観客)を一方的な悪者に仕立て上げていないところが良かったと思う。議会の様子や装束を着たリーレが「スター・ウォーズ エピソード1」の銀河共和国議会やクイーン・アミダラに似ていたというのはこの際目をつぶることにしよう。

また、ラストシ-ンはかなり良かった。特にのび太のパパとママが「のび太の親であること」を感じさせる演出に長けていたと思う。やはり、親は何も言わずとも子供の思っていることは分かるものであり、そして優しく子供を包み込んでくれる存在であると思う。このラストシ-ンは、のび太のパパ・ママの「親らしさ」を十二分に感じさせる演出で、ラストシ-ンとしてふさわしいものであった。

◆動画(作画)
リニューアル後のドラえもん(わさドラ)における映画3作品では、最もこなれていた印象がある。上記3作品におけるキャラクターの作画はレギュラー放送におけるそれとは違う、手描き感を重視した柔らかい質感のデザインになっている。そのためドラえもんがぬいぐるみのようにつぶれたり、のび太の髪の毛はなびくし、各キャラクターはこれでもかというくらいグニャグニャと動きまくる。個人的には嫌いではないが、賛否両論分かれるところであろう。前々作『のび太の恐竜2006』では、各アニメーターの個性を尊重したのか、作画が統一されておらず、やたらと動きが激しいシーンがあったり、シーンごとにキャラの顔が違ったりした。前作『のび太の新魔界大冒険』では、キャラクターの柔らかさをことさら強調したかったのかドラえもんはまるでぬいぐるみのようだし、のび太たちはまるで無脊椎動物のようだった。今作はそういう意味ではバランスの取れた動画だったと思う。

◆背景(美術)
上記3作品の中では最も好印象だった。私が渡辺歩監督作品で最も好きなところは背景美術といっても過言ではない。リアルで情感に溢れ、どこか懐かしさを感じさせる風景描写は実に美しい。これがドラえもん映画に合っているかについては意見の分かれるところであろうが、少なくとも私は映画というスペシャルな舞台には合っていていいと思う。そもそもリアルタイム(藤子・F・不二雄先生存命中)におけるドラえもんの舞台は1969年~1996年で、最も多く描かれていた時代は1980年代だから、ドラえもんが常に現代を舞台にする作品であるとはいえ、少し懐かしさを感じさせるくらいの背景の方がドラえもんらしいといえるのではないだろうか。

◆声優(演技)
レギュラー陣は声質・演技ともに安定してきており、特に問題はなかった。ただ、前々から各方面で指摘されていたように、のび太が少々凛々しすぎるように感じられた。のび太役の大原さんの演技に関しては、もう少しダメな部分も強調しないと、まるでのび太が出木杉のように感じられてしまう。とはいえ、今回はのび太が必要以上に泣き叫んでいなかったのは良かった。

リーレ役の堀北真希さんは、声質も合っていたし、特に少女としてのリーレを演じる際は瑞々しい声で良かったと思う。ただ、王女としてのリーレの演技はもうひと頑張り、というところだった。しかし、そもそもリーレというキャラクターがいかなる人物なのか非常に分かりにくかったために、もしかしたら彼女の演技に問題があるのではと思わせてしまったのは残念である。これは彼女の演技の問題というよりは、リーレというキャラクターの不明瞭さに帰結するだろう。これらを全て彼女の演技のせいにしてしまうのは酷な話だ。

他にも、長老ジィを三宅裕司氏、パルナを有田哲平氏が演じている。どちらも演技には問題なかった。しかし三宅氏はどうしても顔が思い浮かんできて長老ジィのキャラクター性が際立ってこない。有田氏はそもそも気付かなかった。

今回耳についてしまったのは、アフレコ体験の子どもたちの声が予想以上に多かったことである。そもそも、キー坊を演じているのは一般視聴者の中から公募で選ばれた8歳の少年である。他にも、比較的重要なキャラクターをアフレコ体験の公募で選ばれた子供たちが演じており、やはりその棒読み具合というか、無理して読まされている感が強く感じられてストーリーに集中できなかった。子どもたちは一生懸命演じているのだろうが、やはり素人の子供を重要な配役に起用するべきではないと思う。特に、最後にキー坊が話すシーンで子供の演技力不足が露呈してしまっており、「可愛らしいけど、実は聡明な」キー坊のインテリジェンス性を感じることができなかった。もっとも、この映画ではキー坊が聡明だというのはほとんど言及されておらず、元気で可愛らしいというキャラクター性を重視していたのだろう。ただ、そうすると『のび太と雲の王国』に今一つ繋がってこないというのが気がかりではあるが。もう一つ言えば、芸能人を声優として起用することは、もはやアニメや洋画(特にディズニー系)の吹き替えではもはや常套手段となりつつある。中には吹き替えの重要配役すべてを芸能人が演じていることを売りにする映画も存在するくらいだ。しかし、どうしても声より前に顔が思い浮かんでしまう芸能人を起用することには慎重になってもらいたいものだ。話題性とか、いろいろ大人の事情もあるのだろうが、声優という職業をもっと尊重すべきではないか。

◆エンディング
ED曲は絢香の「手をつなごう」。歌としては普通だが、ED曲としては前2作品に比べて印象に残りにくい曲だった。エンディングアニメも何だかシンプルというか、悪く言うと手抜きに感じられた。

◆総括
渡辺歩監督は、「雰囲気重視」の監督なのだと思う。今まで彼がドラえもんに携わった作品はほぼすべて見てきたが、今回の映画を見てそう確信した。論理よりも感覚、右脳型の監督とでもいうべきか。

私は、どちらかというと右脳型の人間だと思っている。しかし、映画を見るに当たってはストーリーの意味とか整合性を重視してしまうし、それは多くの人も考えを同じくするところであろう。しかしながら、そもそも「意味」とか「論理」といった概念にアンチテーゼを投げかけるような前衛映画ならまだしも、本来子供たちが楽しめるように作られるべき映画ドラえもんが、これほど分かりにくい作品に仕上がってしまったというのでは、批判的な意見を述べざるを得ない。おまけに、分かりにくい上にとっ散らかったストーリーがひどくご都合主義的に解決してしまうのだからもはや何と言うべきか・・・。

映画館で場所を同じくしていたちびっ子達の反応は、随所に挿入されるギャグシーンではいつも笑い声が起こっていた。ただ、映画も終盤になってくると、ソワソワし始めたり、私の近くに座っていたちびっ子などはスクリーンに背を向けて母親に抱きつき始めるという状態だった。子供向け映画で1作品2時間というのは上映時間としては少々長いと思う。90分前後できっちりまとめて作った方が面白くなったと思うし、残りの時間で以前のように併映作品を上映してもいいかもしれない。とにかく、子供を飽きさせない作品作りというのはとても重要だ。子供が反応するのがギャグシーンだけというのは余りにも寂しすぎるのではないだろうか。

「靴」とか「苗木」とか、ストーリーのキーとなる伏線はあったものの、あざといくらいに分かりやすい伏線と非常に気付きにくい伏線とが混在していたように感じた。伏線回収も今一つ把握しきれず、どれが伏線でそうでないのか判断しにくかった。

この映画に足りなかったのは、「ワクワク感」とか「冒険感・静かなシーン」、あるいは「カタルシス」といった感覚ではないだろうか。「ワクワク感」に関して言えば、例えば第4作『のび太と海底鬼岩城』でのキャンプや食事のシーンのように、異世界をワクワクしながら探索している場面がない。また、「冒険感・静かなシーン」に関して言えば、例えば異世界に危機迫る状況で、夜、焚き火をしながらこれからのことを話し合ったり、キャラクターの交流が描かれているシ-ンである。これは異世界で冒険していることを観客に感じさせるだけでなく、次の迫力あるシーン直前のブレイクとしての効果をもつ。こういう緩急をつけたシーンが不足していたのではないだろうか。また、「カタルシス」に関して言えば、やはりのび太たちが敵を倒すシーンがないだけでなく、あまりに場面転換が唐突であったり、事件の解決が人智を超えた存在によってあっけなく解決してしまったりと、ドラやのび太たちが「自分たちで物事を解決」するシーンが圧倒的に不足してはいないだろうか。

上記に関連して、今作は「ドラえもんやのび太たちはいったい何をしたの?」すなわち、のび太たちやドラえもんの存在までもがストーリーの背景と化し、空気化してしまったのである。最近の映画ドラえもんによくみられる傾向であるが、ドラの道具を何かしらの方法によって使えなくしてしまっていることがある。特にオリジナル作品については「もはやドラえもんの道具はストーリーの足枷にしかならないのか」とも思えてくる。そもそも『ドラえもん』という作品を形作っている面白さの一つは、間違いなく「道具」にあると思う。ストーリー上にいろいろと制限を加えることがあったとしても、ドラの道具を効果的に使ってこそ映画ドラえもんであると思うのだ。しかしこの映画におけるドラの役割は、「植物自動化液」をかけた時点ですでに終わってしまっているといってもいい。のび太たちも、ストーリ-における役割分担が明確ではなく、目まぐるしく動くストーリーにただただ翻弄されてしまっている印象が強い。メインキャラを思う存分活躍させてこそ、映画ドラえもんといえるのではないだろうか。

言ってしまえば、この映画は「キー坊とリーレの物語」なのだと思う。ドラえもんとのび太たちはこの映画ではもはや脇役でしかないのではないかとすら思える。確かにストーリーの前半ではキー坊とのび太たちの交流が美しく描かれてはいたが、色々な意味でインパクトの強かったストーリー後半のことを考えると、前半部分はプロローグ程度にしか感じられなくなってくる。

結論として、この映画がどうだったのかといえば、「思ったより良かった」といえる。少なくとも、映画ドラえもんにおけるワースト作品ではない。何故なら決して「つまらない」作品ではなかったからだ。この映画よりもっとつまらない作品は他にもある。では、何故「良かった」「つまらなくはなかった」といえるのかは、ひとえに渡辺歩監督が「雰囲気重視」の監督だからであろう。ストーリーの整合性云々よりも、作品の雰囲気を何より重視した結果が『のび太と緑の巨人伝』なのだろうと私は感じた。

以上の分析より、各項目別に得点を算出してみると、

【オープニング】2/5点
【ストーリー:前半】12/20点
【ストーリー:後半】2/30点
【動画(作画)】4/10点
【背景(美術)】8/10点
【声優(演技)】6/20点
【エンディング】1/5点
【合計】35/100点

まあ、35点くらいが妥当かな、とは思います。

書いていて非常に疲れました。今後僅かに加筆修正するかもしれませんが、これが決定稿ってことで。

他の方のレビューも読みたいのでトラックバックは大歓迎です。

ジャン=リュック・ゴダール特集@早稲田松竹

水曜日のことになりますが、早稲田松竹で映画を見てきました。

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早稲田松竹に入るのはこれが初めてです。この映画館は高田馬場駅から早稲田通りを真っ直ぐ行った先にあります。いわゆる名画座の一つで、東京には年々数は減りつつもこうした映画館が数多く存在するとのことです。

登下校中に早稲田松竹の前を通るたび、「なぜ古い映画ばかり上映しているのだろう?」と疑問に思うことがありました。というのも、そもそも私の地元である群馬県には名画座なるものが存在しないのです(後で知った話ですが、相次ぐシネマコンプレックスのオープンに伴って閉館を余儀なくされた古き良き映画館を、名画座として再生するプロジェクトが前橋市で行われているそうです)。したがって、過去の映画を専門に上映する映画館があることを私は上京して初めて知ったことになります。田舎者の考えだと、それで商売になるのだろうかと思ってしまいますが、早稲田松竹も一度閉館の憂き目に遭い、そのほかの名画座も閉館に追い込まれつつあるようです。魅力的な上映ラインアップを見ると、この1年間早稲田松竹を素通りしてきたことが悔やまれます。一応映画が専攻だしこれからは早稲田松竹に足繁く通うことにします。

その日に観賞した映画は2本。2本とも、フランス映画におけるヌーヴェル・ヴァーグの旗手であり、巨匠であるジャン=リュック・ゴダールの作品です。1年の時に受講した映画の授業で彼の『勝手にしやがれ』(1959年)という作品が取り上げられ、それ以来フランス映画、とりわけゴダールの作品に興味を抱くようになりました。そういうフランス映画に疎い人間が書いたレビューなのでひどく陳腐かもしれませんが読んでいただける方はどうぞ。

『彼女について私が知っている二、三の事柄』
(1966年・フランス・90分・カラー)
原題:Deux ou trois choses que je sais d'elle

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まず、タイトルがとても良い。フランス語の原題を見る限り原語に忠実な訳だが、さすがフランスというか、洒落たタイトルである。タイトルだけに関して言えば、5本の指に入るほど好きかも知れない。

この映画では、1966年のパリにおける、公団住宅に住むある主婦ジュリエットの売春の実態をドキュメンタリー風に描いている。当時のパリは新首都圏拡張整備計画による公団住宅地帯の建設が行われ、パリの街は大きく変化を遂げようとしていた。劇中では断片的に、あるいは唐突に、巨大な公団住宅の建設風景が挿入される。主人公(?)の主婦ジュリエットは売春をしているが、台詞は生々しいものの映像におけるそうした描写は極力控えめになっている。

正直言って、1回見ただけでは理解することが困難な映画だった。断片的な映像の組み合わせを見ていると、ストーリーはあるようで、実はないように見える。また、登場人物が発する言葉は台詞なのか、独白なのか、ナレーションなのか、あるいは何か政治的意図をもったスローガンの類なのか明確に判断できない。そして、その言葉一つ一つが抽象的かつ哲学的で、何を意図して発せられた言葉なのか容易には理解できない。字幕を追い、その言葉の意味を考えているうちに映画は容赦なく次のシーンへと移り変わってしまう。

映像表現の面からいえば、無線機のカラフルな基盤、煙草の火が付いている部分、ミルクと砂糖が溶け合ってぐるぐると回っているコーヒーカップをアップで写した映像はカラフルで美しいが、ある種の禍々しさを感じる。これらのシーンはどれも比喩的に使われているのであろう。

全体として、政治色の強い映画だと感じた。劇中では登場人物がベトナム戦争について語るシーンがたびたび登場する。また、唐突に米兵に傷つけられたベトナム人の写真が劇中に挿入される。主人公の主婦は、昼間は売春宿を託児所代わりに子供を預け、ブティックで服を買い、美容院で髪を整え、カフェで男を探している。その前後にド・ゴールの推し進めるパリの急進的なな都市計画を伝統的なパリの崩壊だとしてナレーションで批判している。要するに、主婦の姿を通した、高度にアメリカナイズされ、アメリカ的な資本主義及び消費社会に変貌を遂げつつあるフランスと、アメリカそのものに対する痛烈な批判なのだと思われる。私の印象だと、ド・ゴールはアメリカ・ソ連それぞれと距離を置き、第三極として今日のフランスのスタンスを形成した政治家と見ていたが、ゴダールに言わせれば彼の政策、特に急進的な国有化・公共投資による統制経済も、アメリカ的な市場原理主義と同じく批判の対象だったのである。

ラストシーンは、芝生の上に洗剤や加工食品など大量生産・大量消費社会の産物である工業製品が大量に並べらた映像が映し出される。そして、ナレーションが観客に変革を促すある種の呼びかけともとれるメッセージを発してこの映画は終了した。

全体として、容易に理解することを妨げるような映画だと感じたが、当時のフランスの急激な都市化政策、そしてベトナム戦争を推し進め、消費社会の元凶であるアメリカを批判するための政治的映画だと理解すれば、ギリギリ鑑賞には堪えうるだろう。ちなみに、以後のゴダールの映画は次第に政治色が濃くなっていくようである。

『はなればなれに』
(1964年・フランス・96分・モノクロ)
原題:Bande à part

bandeapart.jpg

1本目の映画のせいで、難解な映画を覚悟していたが、この映画はポップな青春サスペンス活劇として楽しむことができた。この作品の方が断然私の好みであり、私が今まで見た映画の中でもトップクラスかもしれない、と思えるほどであった。かのタランティーノ監督の最も好きな映画としても知られている。

親友同士だが地球の表と裏ほど性格の違うアルチュールとフランツという2人の男が、オデュールという女に出会い、彼女の家に眠る大金を強奪しようと試みるというのが、ストーリーの骨子である。

この映画はゴダールが31歳の時の作品ということだが、この映画には特に若さと勢いを感じることができる。

ゴダールをはじめとするフランスのヌーヴェル・ヴァーグの映画監督たちは、元は若手映画批評家であり、彼らが映画製作を始めた時は映画制作に関するイロハを全く知らなかった。彼らは映画制作に関してはほとんど素人だったのである。それ故映画表現における斬新な手法を次々に編み出し、「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」と持て囃されることになる。

カフェで1分間の沈黙ゲームをするシーンでは、映画も実際に1分間、音声が全てシャットアウトされている。私はこのシーンが一番気に入っている。どこかで真似できる機会があれば真似したいと思えるくらい。このシーンは、ビデオ・DVDよりも映画館で見た方がより共感できるだろう。暗い密室の中で100人以上が同時に沈黙してスクリーン上の光の明滅を凝視しているという、映画館というある種異常な空間においてこそ、このシーンは生きてくるのである。なぜなら映画もまた、観客と同じく1分間沈黙を共有するのだから。

ルーブル美術館を3人が手を取り合って9分43秒で駆け抜けるシーンは、後の映画で何度も真似されたとのことだ。また、突如フランツとアルチュールがビリー・ザ・キッド射殺ごっこを始めるシーンはゴダールの即興的な演出が冴えわたっている。この映画では最も有名であろう、3人がカフェでマジソン・ダンスを踊るシーンはミュージカル風だが、演者のダンスが下手なのがまたいい味を出している。

そして、ヒロインのオデュールを演じるアンナ・カリーナの殺人的な可愛さである。彼女のキュートさは、個人的にはオードリー・ヘプバーン以上だと感じる。ゴダール自身も例外ではなく、彼女と一度恋に落ちるがすぐに振られてしまった。

ラストでは自らナレーションを務めるゴダール自身がこの映画を「物語は三文芝居のように終わる」と言い(彼のナレーションは、他にも登場人物の心情を語るとき「ここでは括弧を開き・・・」と表現するなどなかなか独特である)、劇中で大金強奪の作戦を「B級犯罪小説」と登場人物に言わせている。これは、彼の単なる自虐とも取れるし、上記の演出とともにゴダールによる映画に対するアンチテーゼとも取れるかもしれない。

このように、この映画は印象的な演出が目白押しで、見ていて飽きることがない。また、この映画はポップな青春活劇という側面と、フィルム・ノワールに代表されるような犯罪サスペンスという2つの側面から楽しむことができる。

ゴダールの映画の中では最もわかりやすいと思われるで、彼の作品、あるいはフランス映画に抵抗を持っている人には、とりあえずこの映画をお勧めしておく。

と、いうわけでレビューは終わりです。最後まで読んでくださった方に感謝申し上げます。

MANDO DIAO Japan Tour 2008

つい先程のことになりますが、Mando Diaoの来日公演ライブに行ってきました。

mando.jpg

こんなに身体を揺さぶり、飛び跳ね、大声で歌ったのは何年振りだろう。とにかく盛り上がったライブでした。生で聴くことによって、改めてMando Diaoを再確認できました。

Mando Diao(マンドゥ・ディアオ)はスウェーデンのロックバンドで、現在までに4枚のアルバムを発表しています。初期は「セックス・ピストルズとジャムるビートルズ」と形容されたように、パンキッシュなビートルズといった感じのバンドで、2ndでポップ路線になり、3rdでC&Wやエキゾチックな要素を取り入れ、4thではそれに加えてストリングスを大々的に導入し、方向性を広げつつあります。彼らの魅力は、一貫して美しいメロディーにあると思います。個人的にはやはり1stの頃のガレージ・ロック然とした佇まいが好きなのですが、今後彼らがどのような方向に向かっていくのか注目されます。

会場は渋谷CLUB QUATTRO、Open 18:00 / Start 19:00でした。ライブは16日と17日に行われますが、16日の分はどうやら売り切れなかったみたいでした。キャパが900人程度のライブハウスも埋まらないとは、彼らの人気にも陰りが?と一瞬思ってしまいます。でも、バンドの近くでライブを体験できるので、このくらいの規模が丁度いいような気もします。

18時前に渋谷に降り立ってみると、とにかく人が多いったら・・・。平日の夕方はこんなに混むんだ、と改めて実感します。とにかく目眩がするような人の多さでした。渋谷にはもう何度も足を運んでいますが、人の多さ故未だに慣れません。ライブ会場は、渋谷センター街の途中にあります。普段、渋谷に行ってもセンター街を通ることはあまりなかったのですが(ちょっと怖いイメージがある)、今回は通ってみることにします。

会場の前に着いてみると、少々の人だかりができていました。整理番号が後ろのほうの人が入場待ちをしているようです。私は期限ギリギリにチケットを取ったので整理番号は最後の方です。待つこと少々、会場の中に入りました。

客層は10代~20代といったところで、学生が中心でしょうか。明らかに私より若そうな人も結構いました。外国人もちらほらと見かけました。私もそうですが、彼らの音楽をリアルタイムで聴いてきた世代ってことなのでしょう。

物販コーナーでTシャツを購入し、ジンジャーエールを飲みつつ待っていると、孤独感が一瞬頭の中をよぎります。やはりライブは友達と行った方が一段と楽しめるような気がします。そうこうしているうちに、ライブが始まります。

オープニング・アクトはKameraというバンド。メンバーの風貌はグラム・ロッカーみたいです。曲調はポストパンク風というか、80'sニューウェーブといった感じでしょうか。曲はみな似たような感じでしたが、ダンサンブルで、ヴォーカル・演奏ともに安定していたと思います。

そして、いよいよ真打・Mando Diaoの登場です。メンバー、特にフロントマンのグスタフとビヨルンが登場すると周りから大きな歓声が上がり、会場が波打ちます。観客が一斉に前の方に押し寄せてきたので押しつぶされそうになってしまいました。

やはり、彼らを間近で見ることができるというのは嬉しいことです。実際にメンバーを目の前にしてみると、ビヨルン(G, Vo)は風格があるし、グスタフ(G, Vo)は長身でクールかつ格好いいし、CJ(B)は写真よりも可愛らしい。サミュエル(Dr)は若干太ったように見えました。

1曲目は"One Blood"、最新の4thアルバム"Never Seen The Light Of Day"からの選曲です。ミドルテンポの曲で、会場が段々と熱気に包まれていきます。

2曲目は"White Wall"、2ndアルバム"Hurricane Bar"より。ここからアップテンポに。サビでは、早くも大合唱と大ジャンプが起こります。私も周りに負けじと歌い、飛び跳ねます。

個人的に、前半のハイライトは3曲目の"Paralyzed"、1stアルバム"Bring'em In"より。サビと、後半の絶叫するパートでは我を忘れたかのごとく叫び、飛び跳ねていました。

以降のセットリストは次の通り。

4. Mexican Hardcore
4thより。イントロが好きな曲。やはりサビで大合唱が起きました。

5. Never Seen The Light Of Day
4thより。歌いやすくメロディーが耳に残りやすい曲なので、ライブ向きの曲なのだと改めて実感しました。ここでも合唱が起こりました。

6. TV & Me
3rdアルバム"Ode To Ochracy"より(セカンドシングル)。3rdの中ではかなり好きな曲。この曲はリズムとメロディーが日本人向きだと思っているのだけど、やはりそうなのか終始大合唱で盛り上がります。

7. Good Morning, Herr Horst
3rdより(サードシングル)。C&W調で、西部劇で使われそうな曲。「ラーラーラララララー・・・」という部分では、歌詞がなく歌いやすい部分なので客の声が一段と大きくなりました。

8. Train On Fire
4thより。ストリングスが印象的なアップテンポの曲。サビのコーラスが重なる部分では、観客が合いの手を入れるように歌っていました。

9. Dalarna
4thのラストを飾る7分超のインスト曲。正直あまり印象に残っていない曲なのですが、ベースのCJの独奏にスポットライトが当てられていた部分からしばらくはこの曲だったのだろうなと今思い返しました。グスタフとビヨルンは小休止のつもりだったのでしょう。

10. Welcome Home, Luc Robitaille
3rdの1曲目。ルク・ロバタイユとは、実在のアイスホッケー選手の名。彼らのアルバムは、どれも1曲目は印象に残る曲です。イントロのリフが格好いいので好きな人も多い。客の盛り上がりも上々。

11. To China With Love
1stより。ビヨルンがダミ声のように歌うボーカルが特徴的。彼のボーカルに着目して聴いていましたが、歌唱力・声量ともに上達しているようでした。アウトロの「ラーララララー・・・」という部分ではやはり大合唱が起きます。

12. Chet Baker
3rd国内盤のボーナストラック曲。アコースティックギターの弾き語りによる素朴な曲。ライブではエレキギターによる弾き語りだったが、曲が始まる前にビヨルンが前の方の客に"What's your name?"と訊いていた。あれは何だったのだろう。歌詞をその人の名前に変えたのだろうか(この曲名は有名なジャズ・トランペット奏者の名前から取られている)。

13. Song For Aberdeen
3rdより。陽気な印象の曲。私は身体を横に揺らしつつ曲に身を任せていました。

14. If I Don't Live Today
4thより(ファーストシングル)。イントロで歓声が上がります。2分と短い曲なので観客の盛り上がりもいい感じ。この曲はストリングスが大々的に使われていて、ライブではどのように演奏されるのだろうと思っていましたが、トランペット&サックスという控えめな構成でした。

15. Mr. Moon
1stより(サードシングル)。彼らのバラードの中では最も有名で、この曲が好きな人も多い。ビヨルンがソウルフルに歌い上げる曲。MCでグスタフが"My favorite song..."と言い、歌い出しで大歓声が起こります。ライブでは若干アップテンポになっており、私も終始飛び跳ねていました。

16. God Knows
2ndより(セカンドシングル)。とても好きな曲。ポップなノリのいい曲で、グスタフ&ビヨルンのツインボーカルがとても印象的な曲。コーラスの部分はほぼ観客に任され、ここ一番の大合唱になりました。

17. Long Before Rock'n'Roll
3rdより(ファーストシングル)。ここで観客の熱気は最高潮に。波打つ観客に押し倒されそうになりながらも絶えずステージ上に視線を向けつつ、飛びまくりました。ここでライブは一旦終了し、メンバーは舞台袖に戻ります。

ここからはアンコール。アンコールでは、彼らの曲の中で最も有名で盛り上がる曲で観客を迎え撃ちます。

18. The Band
1stより(セカンドシングル)。5本の指に入るくらい好きな曲。オルガンの旋律がとても気に入っていて(オルガンは彼らの魅力の一つでもある)、曲自体は日本のパンクロックバンドにありそうでとても馴染みやすい。一度カラオケで歌ったことがあるのですがキーが高すぎてうまく歌えず。今回、ハイライトのオルガンは管楽器で補強され、新加入のキーボードはあまり目立っていませんでした。演奏も安定しており、会場が地響きを立てるくらい盛り上がっていました。

19. Sheepdog
イントロのリフが余りにも衝撃的な、1stの1曲目を華々しく飾る曲(ファーストシングル)。「Mando Diaoといえばこの曲」というくらいの曲です。「すべてはここから始まった」とか「この曲に誰もが熱狂した」とか、思わず三流音楽雑誌のような文言を並べたくなります。この曲がライブの締めくくりを飾ります。会場は前々曲・前曲を超える最大級の盛り上がりを見せます。この曲では偶然会場の前の方に流されてしまったことで幸運にもメンバーの間近で聴くことができました。

ライブ前は、きっとメンバーは米粒くらいにしか見えないのだろうと思っていましたが、実際はかなり近くで鮮明にメンバーを見ることができました。セットリストを見返してみると、彼らの曲は実にライブ映えする曲ばかりだと感じました。ライブを聴いてみて印象が変わった曲も結構あります。

全部で2時間弱のライブでしたが、終わってみてふと我に返ると、足は棒のようで、身体はヘトヘトでした。全体として、初期のころに比べて演奏力・歌唱力ともに上達して安定感が増し、かなり満足のいくライブでした。もっとリフが明快に聴こえるようになればも今まで以上に良くなると思います。次回彼らが来日したときも、きっとライブに行くでしょう。

<同一記事>
裏庭の混沌と創造 - MANDO DIAO Japan Tour 2008

藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」に入会

ようやくというか、お金の余裕ができたので、藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」に入会しました。

ネオ・ユートピアの存在は中学生くらいから知っていて、大学生になったら入ろうと思っていたのですが、去年は新生活がスタートしていろいろと忙しくすっかり忘れていました。そして、大学2年生になったことをきっかけとして、入会しようと思ったわけです。

本日、会員証と会誌43~45号が届きました。会誌のほうはまだパラパラとページをめくってみた程度ですが、図版がふんだんに使用され、情報量も濃密で、藤子ファンは必見の内容だと思いました。

特に、43号の”日本テレビ版『ドラえもん』特集”は、俗に「幻のドラえもん」または「旧ドラ」と呼ばれる、1973年に半年間だけ日本テレビで放送されたアニメ『ドラえもん』について詳細にわたって特集されています。私がドラえもんに興味をもち始めてからずっと気になっているトピックスの一つである『日テレ版ドラえもん』に関する詳細な資料が掲載されているのはうれしい限りです。

非公認のサークルとのことですが、豊富な図版の使用や、藤子系サークルでは最も有名であることを考えると藤子不二雄先生の半公式ファンクラブといってもいいような気がします。

ネオ・ユートピアに入会して何が変わるかというと、藤子先生に関する様々な情報が入ってくるというのと、各種イベントに参加できるということでしょうか。入会がもう少し早ければ、2月の藤子アニメ上映会にも参加できたのでしょうが、次回のイベント等で藤子ファンつながりのブロガーの方々とお会いできる機会があるかもしれません。その時はよろしくお願いします。

※今週は書きたいことがたくさんあるのでエントリーの更新頻度はいつになく高いと思います。

ルノワール+ルノワール展

  • Posted by: Rainyblue
  • 2008-04-13 Sun 23:59:43
  • Art
renoir

先日、3限後がガラ空きだったので、渋谷Bunkamuraにて開催されている『ルノワール+ルノワール展』を見に行ってきました。
(公式サイト:日本テレビ / Bunkamura

印象派を代表する画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと、その息子で映画監督のジャン・ルノワールの2人に焦点を当てた展覧会です。

ルノワールの息子が映画監督であることは、今まで知りませんでした。ジャン・ルノワールは、フランス映画の巨匠であるフランソワ・トリュフォーが師と仰ぎ、ジャン=リュック・ゴダールに多大な影響を与えた、実は偉大な映画監督だったとのこと。私が所属している演劇映像コースの担当教員にもフランス映画の専門家がいるし、先日の補充登録で『フランスの映画・映像論』を申請したので、ルノワール親子について知っておくことは損にはならないだろうというのが、この展覧会に足を運んだ動機です。そういえば、第二外国語もフランス語だった(笑)。

会場に入ってみると、ルノワール(父)の絵画の隣にルノワール(子)の映画が映し出され、ルノワール親子の作品を対比させることに主眼が置かれていました。絵画(父)・映画(息子)と、表現媒体は違えど、両者の作品には驚くべき類似性があるということを鑑賞者に伝えたかったようです。

例えば、ルノワール(父)の有名な作品である《ぶらんこ》(1876年) ―写真上段左― のオマージュとされるシーンがルノワール(子)の映画である『ピクニック』(1936年) ―写真上段右― に出てきます。同様のことが、ルノワール(父)の作品《田舎のダンス》(1882-1883年) ―写真中段左― とルノワール(子)の映画『恋多き女』(1956年) ―写真中段右― 、そして《陽光のなかの裸婦》(1875-1876年頃) ―写真下段左― と『草の上の昼食』(1959年) ―写真下段右― にも言えるとのことです。展覧会は終始こんな感じの構成でした。

renoir_balancoire00.jpgpic_intro7.jpg


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renoir_torse00.jpgpic_intro5.jpg


絵画の隣に映画が映し出されているという展示構成はなかなか面白かったと思います。私はどちらかというと現代アート(作家名とかはあまり知らないけど)が好きな人間で、絵画だけの構成はともすれば退屈に感じがちなのですが(私が苦手なのは中世絵画で、基本的に近代以降の美術はほとんど好きです)、この展覧会は終始新鮮な気持ちで見ることができました。ゆっくり見ても1時間少々で見終わると思います。

私は基本的に印象派の光の効果を多用した作風が好きで、印象派の画家の中では特にモネとセザンヌがお気に入りです。今までルノワールの絵画はあまり知らなかったのですが、この展覧会でルノワールの作品の大まかな形を知ることができました。展示されていた絵画の中で特に印象に残った作品は《陽光の中の裸婦》(1875-1876年頃)ですが、ルノワール(父)の作品に関しては全体的に有名どころといわれる作品は少なく、最も有名であろう《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1876年) ―写真(下)― も展示されていなかったのはちょっと残念でした。

Renoir21.jpg


ジャン・ルノワールの映画作品を、私はこの展覧会で初めて知りました。彼は映画監督としてはあまり商業的に振るわなかったそうですが、彼の作品は後期のカラー作品でその真価が発揮されているような気がしました。『フレンチ・カンカン』(1954年)の陽気な雰囲気、『恋多き女』(1956年)における印象派の絵画を思わせる人物の美しい色使い、『草の上の昼食』(1959年)における風光明媚な風景描写など、ルノワール(父)との共通点は確かに見出せます。東京国立近代美術館フィルムセンターでは現在『ジャン・ルノワール監督名作選』を開催しているので、見に行ってこようと思います。あと、早稲田松竹では今ゴダールの作品を上映しているのでそれも見に行くでしょう。

P.S.① 私が友人たちと大学で運営しているサークル『裏庭の混沌と創造』のブログにも、同一記事があります。<記事はこちら>

P.S.② 当ブログのアクセス数がついに4万人を突破いたしました。これもひとえに読者の皆様のおかげです。これからもマイペースながらも更新を続けてまいりますので、これからも『青い空はポケット中に』をどうぞよろしくお願い申し上げます。藤子不二雄関連の記事も少しずつ増やしていくつもりです。

裏庭の混沌と創造

  • Posted by: Rainyblue
  • 2008-04-04 Fri 23:58:25
  • Essay
いつもより花を咲かせるのが早かった桜が、もう葉桜になり始める季節となりました。

今、フランス語の友人たちとサークルを作っています。今日で、4日間にわたる新歓活動が一段落しました。サークルの名前は、『裏庭の混沌と創造』。これは、ポール・マッカートニーの2005年にリリースされたアルバム"Chaos And Creation In The Backyard"が由来で、K君の命名によるものです。音楽と旅行をメインに活動するI大・K大とのインカレサークルです。普段活動しているフランス語バンドを継承発展させ、そこにメンバーの友人たちを加えて結成されました。外でライブをするのが当面の目標かな。そのためにはもっと腕を磨かないとね。

3月30日に実家から東京に戻ってきてから今日まで、ほとんどこの新サークルの仕事にかかりっきりでした。大変だけど充実した日々だったわけですが、このところ他方面が疎遠になりがちなのでそのことが気がかりだったり・・・。

イチからサークルを作るのはとても大変です。ビラ作り、ビラ配り、プラカード作成、新歓コンパのセッティング等々・・・。大学公認サークルと違って、全部自分たちで何とかしなければなりません。自分は大口を叩けるほど仕事をしたわけではなく、せいぜいプラカードを作り、頭上に掲げ、あるいはせっせとビラを配って貼るだけの単純作業ばかりでしたが、見ず知らずの新入生を前にビラを配るのは内向的な自分にはとても骨の折れる仕事でした。己のメンタルのキャパシティの少なさ故、常に冷や水を浴びせられているような気分でした。

新歓期の大学は、1年で最もカオスな時期です。まず、サークル員の目つきが違います。何か獲物を狙っている獣みたい。新入生も、誰もかれもこの時ばかりはトップアイドルもびっくりするほど上級生から声をかけられます。入学式終了後、講堂からぞろぞろと出てくる新入生を取り囲む上級生の群れは、ハリウッドスターを出待ちする熱狂的なファンも真っ青です。そんな客観視したつもりの文章を書いている自分も、この時ばかりは群衆内におけるマジョリティの一員だったわけで。自分も1年前はあんな感じだったのかと、ふと思い返します。すごく最近の出来事なのに、すごく昔の出来事のよう。それだけ自分の周辺が目まぐるしく動いた1年だったということなのでしょうか?

新入生、入ってくれるといいな。新入生だけでなく、上級生、他大学の方も歓迎します。サークルの詳細は右記URLからどうぞ(http://band4.blog99.fc2.com/)。

映画ドラえもん『のび太と緑の巨人伝』はまだ見に行けていません。近いうちに必ず見に行きます。今年から、映画に対してもっと貪欲にならないとな。最新作を見に行くだけでなく、DVDをたくさん見たり、早稲田松竹に通いつめたり・・・。一応映像専門のコースに進級したわけだし。

My Bloody Valentineがフジロックに出演するというのは、少し前に耳にしました。フジロックかあ・・・マイブラのためだけでもすごく行きたいけど、一人じゃハードル高いだろうなあ。苗場の山奥じゃ、日帰りは無理だろうしね。そして、マイブラのリマスターBOXが6月25日に発売されると聞いて、さっそく HMVで予約しておきました。BOXの発売は、過去に何度か中止になっているそうで、今回も過度な期待はしないでおきます。HMVのニュースには、" ニューアルバムも大方完成し、早ければ年内に発売も"とアナウンスされていました。そうだとうれしいんですけどね。あ、レディオヘッドも6月にベスト盤を出すそうですね。10月の来日公演は絶対に行きます。オアシスの、ノエルが歌うMTVアンプラグドは、BGMに最適。オアシスのニューアルバムも、もちろん楽しみです。

さて、Radioheadの"Just"でも練習するか・・・。もっとあらゆることに貪欲になりたいし、何か創作したいし、もっと積極的な自分になりたい。

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