青い空はポケットの中に - 2005年08月

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ドラえもん(わさドラ)第19回「ゆめふうりん」「きせかえカメラ」

◆「ゆめふうりん」

脚本:早川正 絵コンテ・演出:安藤敏彦 作画監督:間々田益男
出典:てんとう虫コミックス第2巻

風鈴という日本の風物詩に、「夢」という概念を結びつけた道具。「チリ~ン」と風鈴を鳴らして眠っている人を呼び出すという使い方に風情を感じる。私が眠っている人を何人か呼び出そうとしたら、こういう道具はまず思いつかないだろう。他のひみつ道具のように、強制的に素早く引っ張って来られるような道具を考えるかもしれない。そんなところに、この道具の魅力を感じる。

今日もほぼ原作通りの展開なので、手短に書きたいと思う。

・大人ののび太
声付きで登場。今ののび太はやや女々しい声なので、男っぽさが際立っていたように感じた。威張り散らしてちびっ子たちを指図する様子が描かれることで大人ののび太の痛々しさが引き立っていた。

・ドラえもんはあやとり派
ジャイアンの威圧に屈して皆が相撲を選択する中、空気の読めない(?)人がのび太のほかにもう一人。ドラえもんである。団子みたいな手であやとりができるのかとか、そんな突っ込みはさておき、ドラがのび太の見方(単にのび太と同じく空気が読めなかっただけかも)をしてくれたのはかわいらしかった。

・「あちまれェ」
ここは素直に「来ました!!」とでも言っておこうか。私の好きなシーンの一つで、きちんと再現してくれたのは良かった。ちなみに「ケロロ軍曹」(原作)の中でもパロディで使われている。

・おねしょ蛇口
そういえば、「(秘)スパイ大作戦」ではおねしょが改変されていたのだと今更ながら思い出した。あれは確かにいただけなかったが(視聴当時は妥協したものの)、今回はあっけなく登場。この道具はひみつ道具の中でも際立ってナンセンスかつマヌケな道具なので登場したのは素直に嬉しかった。普通のおねしょはちとマズいが、人為的に起こすおねしょなら大丈夫ということか。

・ゆめふうりんの演出
BGMはいつものように印象に残りにくいものの、ゆめふうりんが鳴るときの演出は、涼しそうでかつ風情が感じられて良かった。

全体としては無難にまとめられていたという印象だった。


◆「きせかえカメラ」

脚本:高橋ナツコ 絵コンテ・演出:安藤敏彦 作画監督:中村英一
出典:てんとう虫コミックス第3巻

大長編・映画ドラでお馴染みの「きせかえカメラ」。今回はその初登場話。

・バケツにつまづくのび太
原作の話だが、単行本103ページ5コマ目と104ページ1コマ目のあいだの「間」は、この話の中でも特に好きシーンの一つ。ページを分断し、バケツにつまづく過程をあえて省略することでのび太のマヌケを際立たせている。わさドラではスローモーションを駆使するなどして詳しく描かれていた。

・サイズ調節機能
原作にはない新たな機能として、きせかえカメラのサイズ調節機能が加わった。服のデザイン画をきちんと体の大きさに合わせないと、サイズに合った服が作れない。確かにこういう機能があった方が理にかなっていると思う。

・ジャイ子の登場
元々ページ数の少ない話でどこかで付け足しをする必要があったが、今回はジャイ子を登場させていた。台詞は少なめだった。前よりは聞きやすくなったが、やはり個性的過ぎる声だったからか。ジャイ子の描くデザインはオーソドックスながら上手な絵だった。漫画家志望のジャイ子にはもってこいのシーンだったと思う。スネ夫のデザイン画は原作そっくりそのままだった。

・マジックファッションショー
元々がページ数の少ない話のため、ここでもいくつかシーンが追加されていた。話の前半に出てきたジャイ子のデザイン画をスネ夫のデザイン画と交換していた。シーンとしては少々間延びした印象を受けた。最後の女の子の「キャー」という悲鳴は文字と地球まで登場させてド派手な演出だった。安藤氏らしい演出でこれはこれで良かったのではないかと思う。最後は服がなくなるという展開もそのままやってくれて良かった。

「マジック」と「ファッションショー」の組み合わせは結構いけるかも。マジシャンとファッションモデルが一緒にファッションショーを開催したら面白いものができそう。でももう既に誰かがやってそうだ。

全体としては、部分部分で間延びしたシーンが多く、テンポがイマイチの気がした。それ以外は良かったところも大きいので、まずまずの出来とする。

来週は、「ご先祖さまがんばれ」(1巻)の1本。30分という大枠でどう料理してくるのか、楽しみだ。初期作品ラッシュはまだまだ続きそう。

それと、今日のケロロ軍曹は非常に面白かった。

ドラえもん(わさドラ)第18回「古道具きょう争」「怪談ランプ」

◆「古道具きょう争」

脚本:大野木寛 絵コンテ・演出:三宅綱太郎 作画監督:久保園誠
出典:てんとう虫コミックス第1巻

のび太とスネ夫の意地の張り合いが、ドラえもんやパパ・ママ、しずかちゃんたちをも巻き込んで騒動に発展する話。初期作品らしく、スネ夫の露出が多く、ジャイアンは、原作では話にほとんど絡んでこない。どんどん古い道具に交換されていく様がナンセンスで面白く、テンポの良いドタバタギャグ作品に仕上がっている。「きょう争」の「きょう」がひらがななので、「狂争」としてしまうと面白いかも。

今日の話は概ね原作通りだったので特筆すべき点は少ないが、色々な古道具を見ることができて興味深い話でもあるので、以下気になった点を列挙してみたい。

・タイムシーバーと珍品堂
未来から古い道具を取り寄せることができる道具は「タイムシーバー」。今となってはそれですらレトロな道具に思えてくる。今回は珍品堂の店員の声が関西弁になっていた。商売っ気を強調するために変更されたのだろう。関西弁もなかなか良かった。「電波販売」というネーミングも何だかレトロだ。まあ1974年の作品だから仕方がないのだが、インターネットが普及した現在はドラえもん世界の「未来」が何だか懐かしさすら覚える存在に思えてくる。

・蓄音機とレコード
エジソンが発明したものとして有名。ラッパ型のスピーカーはさすがに迫力がある。スネ夫はクラシック系のレコードをかけていたようだが、ノイズが入っているなどといった細かい演出が行き届いていた。

私の世代は完全にCD世代で、レコードは父のもっている古いものしか見たことがない。私の生まれた年には少しずつCDが普及し始めていたのだが、ビートルズのオリジナルアルバムのCD化が完了したのもこの年であり、CD化元年とも言えそうだ。最近はiPodばかりで音楽を聴いているが、我が家にはレコードプレーヤーがないので、いつかレコードの生音というものを体験してみたい。

・鉱石ラジオ
私が鉱石ラジオの存在を知ったのもこの話の原作から。「大人の科学」等の雑誌でも作ることができるそうだが、機会があったらこのラジオの仕組みについて調べてみたい。のび太が交換に出したラジオは原作では「トランジスタラジオ」になっていた。恐らく、そのラジオも現在では「古い物」扱いされているに違いない。

・どてら
大きめに作り、綿を厚く入れた広袖の着物で、防寒・寝巻に用いる。1974年当時のジャイアンの家にはあっても不思議ではない。着物を着て、ぞうりを履いたのび太が空き地に登場したことで、どてらや着物が「大したことない」という皆の評価が強調される結果に。ちなみに我が家では冬季に「はんてん」をパジャマの上に着て防寒用に使っている。手軽に着られてかつ暖かいので便利だ。

他にも、甲冑(戦国時代のもの?)や千年前の鎧(十字軍時代のもの?)が出てくる。昔の人はあんな重いものを着て戦っていたのだろうか。石器時代の服が出てきたり、のび太が葉っぱ一枚になったところで場面はドタバタギャグの様相を呈してくる。

この後の展開における肝はやはりママの狂いっぷりなのだが、原作でも過剰な自主規制により「ちょうちょ、ちょうちょ、ひーらひら」というママの台詞が「どーしましょ、どーしましょ」に変更されている。ちょうちょの何が悪いのか、私にはさっぱり理解不能だ。今回のアニメ化に関しても、ママの狂い方はかなりマイルドな味付けがなされていて物足りなかった。

ただ、古道具に関しては作画が丁寧に細かく描かれていて上出来だったし、ママが狂う代わりに「よよよよよ・・・」と泣いたのは平安調であり、ママの十二単と相俟って効果的な演出になっていたと思う。また、ママの周辺の平安時代の部屋や小道具まで細かく描かれていた。

他にも洗濯板にたらい、古箪笥にランプ、道具箱、柱時計、交換式電話などの様々な道具が登場した。ママが十二単になる前の着物はわさドラでは袴だったが、原作では大正デモクラシー期か昭和初期の物らしい洋装を身にまとっていた。女性の袴は卒業式に先生が着ていた時しか見たことはないし、古い洋装に至っては歴史の資料集でしか見たことがない。昭和初期のバスガール(現在のバスガイド)が原作のママと似たような恰好をしていたのを写真で見たことがある。私の地元の歴史博物館では毎年秋に「むかしのくらし」という企画展が開催されており、私もよく見に行っていた。その頃の記憶がよみがえってくるようで何だか懐かしかった。

タコ口のおまわりさんが出てきたのは良かった。その後、とうとうのび太の家までが竪穴式住居になってしまう。ここまでやるのはまさにナンセンスギャグの真骨頂。原作では1ページを丸々使った大ゴマを用いている。結局道具が元に戻るまで未来の道具で生活することに。落ち着きのない未来の道具がなんとも微笑ましくて滑稽だ。作品としては良くできていて楽しめた。感想というよりは思い出話になってしまった気もするけれど・・・。

◆「怪談ランプ」

脚本:高橋ナツコ 絵コンテ・演出:三宅綱太郎 作画監督:久保園誠
出典:てんとう虫コミックス第2巻

夏にはピッタリの怪談話。怪談話というよりは、怪談をネタにしたギャグ話とでもいうべきか。怖がるというよりは笑って楽しむ作品とした方が適切であろう。

冒頭、何か怖い話をしてくれとママにせがむのび太。しぶしぶママは「『こわい』話」を始める。結局、「怖い」と「強(こわ)い」を引っ掛けたオチなのだが、ここでドラが「こわい」の解説を付け加えてくれた。ややテンポは悪くなったが、原作を読んだ時でも「こわい」の意味を知らなかった人が多かったようだから、今回の話に説明を付け加えるのは必須であろう。私はこの話の原作を2・3回読んだ時点で「こわい」の意味を「ああ、硬いという意味か。」と気付いたが、もともと「こわい」が使われない地域の方は、理解するのが困難だったのかもしれない。「こわい」は主に藤子不二雄両先生の出身地・富山の方言として知られているが、私の地元・群馬でも普通に使われる言葉であり、「こわい」が通用する地域は比較的多いものと思われる。もともと「こわい」は古語の「強飯(こわいい)」などに見られるように古くから使われてきた言葉であり、現在でもお赤飯のことを「おこわ」と言うのにその名残を見ることができる。私は方言研究が好きで、自分の地域を中心に様々な地方の方言を知るのはとても楽しい。読者の皆様も自分がお住まいの地域の方言を調べられてみてはいかがだろうか。ちなみに、富山の方言と群馬の方言を知るには以下のサイトが詳しい。

・富山                  
「富山弁ゼミナール」         

・群馬
「医療人のための群馬弁講座」

今回で特に良かったのは、ジャイアン・スネ夫・しずかちゃんのそれぞれの怪談がそれぞれ別の作画・場面で一つのまとまった話として描かれていたことだ。それぞれの怪談を楽しむことができたのと同時に、いつにも増して丁寧に作られている印象を受けた。

包丁からバナナの改変はあったものの(バナナのほうが泥棒のコミカルな様子が強調されてアニメ的には良いかも)、今時サザエさんにしか通用しなさそうな古風な泥棒も原作通り描かれており好感が持てた。やはり泥棒はこうでなくっちゃ、とも思わせてくれる。

全体としては、3人の怪談の流れ、のび太の驚き具合などがテンポ良く描かれており、作品として満足度の高い出来であったと思う。

次回は「ゆめふうりん」(2巻)と「きせかえカメラ」(3巻)の2本。初期作品ラッシュはまだまだ続きそうだ。今回の話を見ても、初期作品のほうがわさドラのテイストには合っているようだ。

ドラえもん(わさドラ)第17回「かげがり」「テストにアンキパン」

◆「かげがり」

脚本:早川正 絵コンテ:しぎのあきら 演出:佐土原武之 作画監督:富永貞義
出典:てんとう虫コミックス第1巻

初期の話でホラー色が強い。原作を読み始めた頃、この話を読んで怖くなった覚えがある。今読んでも怖いと感じるし、数ある原作の中でも怖さは随一だろう。漢字で書くと「影狩り」・・・ひらがなでも十分怖いが、漢字で書くともっと怖い。SF短編あたりに使えそうなタイトルだ。

わさドラでは夕暮れの表現が秀逸だと以前にも書いたが、今回は猛暑の表現も素晴らしかった。画面全体にもやもやした陽炎のような効果を挿入することで暑さを表現していた。

ドラとのび太が「のび太の影」(以下影)を様々な場所で探す時のたたみ掛けはテンポが良かった。家中の色々な場所で、ドラとのび太は影を探す。おかげで野比家の各部屋をほぼすべて見ることができたのではないだろうか。

影の演出・表現について。影の台詞は原作ではカタカナである。アニメでは主に音声によって言葉を伝えているが、音声が使えない漫画ではひらがな、カタカナ、漢字、記号、描き文字など様々な文字の表現手段を用いて言葉を伝えることができる。音声というある意味絶対的な表現手段が使えないために、平面上の視覚による表現方法が発達しているのだろう。すなわち、影の台詞がカタカナで書かれていることによって、影の非生物性や狡猾さなどが伝わってくるのだ。今回は影の表現方法にもう一工夫必要だと感じる部分があった。具体的には、影の色合いの変化をもう少し段階的にして欲しかったのと、影の台詞に関しては音量が少ないのはいいとして演技力に若干の不満があった。もう少し、影の邪悪な雰囲気を毒っぽく描いてくれたらと感じた。総合的には決して悪くはないのだが。

ママのお説教シーンはママの演技力が光っていた。また、お説教を利用した巧みな場面転換も秀逸だった。

全体としては、原作の再現度も良くできていたし、アニメ追加部分も良くできていた。

◆「テストにアンキパン」

脚本:高橋ナツコ 絵コンテ・演出:三家本泰美 作画監督:志村隆行
出典:てんとう虫コミックス第2巻

勉強に対する、小学生のささやかな願望が凝縮(?)されているこの道具は、数多くのひみつ道具の中でもやけに知名度が高い。やはり、勉強やテストのことで子供達は多かれ少なかれ悩んでいるのだな・・・と実感。その実用性はさておき、「暗記」と「パン」を半ば強引に結び付けてしまう藤子F先生の発想力には脱帽するしかない。

やかんと枕を持ってドタバタと慌てふためくのび太は原作通り。その他にも様々なのび太のあわて様が見られて面白い。学校を吹き飛ばそうとしたり、先生をゴリラに変身させようなどと提案するドラは初期作品ならでは。

今回はアニメ追加部分が秀逸だったが、のび太が0点を取ったテストの内容もまたナンセンスな笑いを誘った。のび太は前回の理科と社会のテストで両方とも0点を取ってしまったわけだが、そのテストの内容が何と○×選択式のテストだったのである。1教科20問、計40問の○×テストで両方とも0点を取ってしまうののび太は奇跡としか言いようがない。正解する確率は2分の1なのだから、適当に書いても理論上は5割前後取れるはずなのに。ちなみに、このテストでの1問ごとの正解率は2分の1なので、40問全て不正解になる確率を計算すると・・・

(1/2)^40 = 1/2^40 = 1/1048576

1048576分の1、つまりドラが言っていた通り約100万分の1となる。すさまじい確率である。

のび太がしずかちゃんの家に行く場面では、初期特有のしずかちゃんの高慢さが和らいでいた。これは藤子F先生もしずかちゃんの性格については徐々に修正していったのだから、妥当な判断であろう。また、のび太がアンキパンの能力を実演して見せる場面では、暗記する本が電話帳から百科事典に変更された。子供部屋に電話帳があることの不自然さの是正や、しずかちゃんの頭のよさを象徴させる意味では妥当な変更だと思う反面、「阿井上男」(あいうえお)や「柿久家子」(かきくけこ)といった藤子F先生らしいギャグが消えていてちょっと残念。

パパが料理を作る理由は、原作の「母の日」だと時節に合わないので、「明日テストがあるのび太を応援するため」に変更。パパらしい優しさが感じられて好感が持てる演出だった。今回はしずかちゃん家の「草もち」といい、パパが作った「カツ丼」といい、のび太やジャイアンがアンキパンを食べる時の表情といい、「旨ドラ」がきっちり表現できていたので感心した。食べ物の表現に関しては、私は藤子F先生の右に出るような漫画家に出会ったことはまだない。

ドラがのび太にアンキパンを押し込む描写はさすがにカットされたが、のび太やドラがアンキパンという道具に翻弄される滑稽さが小気味良く描けており、作品として大変出来が良かったと思う。

アンキパンの実用性は、排泄してしまえば記憶がきれいさっぱりなくなることを考えればかなり低いと考えた方がいいのかも。やはり、地道に勉強することが大切だと考えさせられた今日この頃。

来週は、「古道具きょう争」「怪談ランプ」の2本。最近は最初期の作品でたたみ掛けるつもりらしい。「怪談ランプ」の「こわくてこわくて・・・」は、今の子供たちに理解できるのだろうかということが既にあちこちで語られているが、これは藤子F先生の地元・富山でよく使われる方言である。「こわい」の通用する地域は比較的多く、私の地元・群馬でも「かたい」ことを「こわい」と普通に言う。「お赤飯」のことを「おこわ」というのもその名残である。私は方言研究が好きなので、方言について語るのは楽しいが、それはまた来週ということで。何はともあれ楽しみに待つことにする。実生活の関係上、更新は現在わさドラの感想1本に絞っています。

ドラえもん(わさドラ)第16回「ドラえもんの大予言」「白ゆりのような女の子」

◆「ドラえもんの大予言」

脚本:高橋ナツコ 絵コンテ・演出:塚田庄英 作画監督:中村英一
出典:てんとう虫コミックス第1巻 セワシの声:松本さち

この話は、単行本1巻の第2話に収録されている。連載でいえば、「小学四年生」の第2回目に掲載された最初期の作品である。連載第1話「未来の国からはるばると」の翌月に掲載されているため、ある程度第1話と関連性をもって描かれている。基本的には連載最初期にしばしば見られるドタバタギャグ作品で、ドラも幾分頼りない。何しろ最初期の作品なので、今日始めて見た人やそうでない人も多少違和感を覚えたかもしれない。

冒頭ではのび太の孫の孫であるセワシがわさドラ初登場。原作では後半のみに登場するが、わさドラ初登場ということを考えると、今回のように冒頭に登場させた方が明らかに親切であろう。ドラが取り出した古ぼけたアルバムには、包帯でぐるぐる巻きにされてベッドに横たわるのび太の写真が。セワシとドラは今日これからのび太がダンプカーにはねられて全治1ヶ月の大怪我を負うとのこと。全治1ヶ月では、今時大した怪我ではないかな?あの写真ののび太の様子からすると、全治3ヶ月、いや半年以上くらってもおかしくないような気がした。のび太はしずかちゃんとの約束を断ろうとしていたが、ドラ焼きに目がくらんだドラは結局のび太と共に源家へ行くことになった。

「まかせとけ!泥船に乗った気でいてくれ。」と言ったドラに対し、のび太とセワシが唖然とする。ドラはあわてて「あー、大船に乗った気でいてくれ!」と訂正するが、不安感は拭いきれない感じだった。これはアニメオリジナルの台詞だが、初期の頼りないドラらしくて好印象だった。

その後、のび太は、

・タイムテレビの映写で、何度も10秒後の危機を知って回避する。
・おもちゃの車を壊して持ち主の子供が泣き出し、その子の親父に殴られる。
・小池さん(←わさドラ初登場!)の家に上がりこんで通り抜ける。
・庭で運転の練習していた車に追いかけられる。
・泥棒に間違えられて「運転手」にぶたれたる。
・その家にダンプカーが突っ込んでくる。
・屋根づたいに移動したが、車の潰されそうになってしまう。
・駆けつけたセワシの勧めたタケコプターでやっとこさしずかちゃんの家にたどり着くが、しずかちゃんの家に遊びに来ていたガン子の投げた車のおもちゃが顔面を直撃する。

などと、結局自動車の呪縛から逃れることはできなかったものの、小さなケガで済んだ。最後に、もう一度アルバムを開いたのび太が冒頭の包帯写真を見て、「でも結局、こんなケガはしなかったんだよ。この写真はなに?」というオチで終わる。アニメオリジナルのオチで上手く締められていた。解釈の仕方によってはすごく怖いことにも思えてくる。あのケガの写真はなんだったのか。私はあの写真を撮ったのは誰なのだろうかと思ってしまった。どこでもドアに対する突っ込みが全くなされなかったのはいささか配慮不足の気がしたが、全体としてはテンポも良く楽しめる作品に仕上がっていた。

◆「白ゆりのような女の子」

脚本:高橋ナツコ 絵コンテ・演出:塚田庄英 作画監督:原 勝徳
出典:てんとう虫コミックス第3巻

のび太のパパが戦時中の学童疎開での思い出話をドラとのび太に話して聞かせ、2人がタイムマシンでその謎を探る戦争話+タイムトラベル作品。終戦後60年ということもあってこの話はタイムリー。戦争の話は祖父(故人)や祖母から聞いているので私も少しは知っているつもりだ。これからの世代は条件反射的ではなく、そのプロセスまで含めて自ら戦争について考え、理解していくことが求められている。反抗心の強い年頃なのでうさん臭そうな反戦デモに反発を覚えてしまう今日この頃。

わさドラの他の回で原作を一部改変したことへの指摘を制作側が受け入れたからかどうかは分からないが、今回は本当に原作通りに作られていて、ここで感想を書いてもただのあらすじの羅列になってしまうので詳しくは原作を読むか、ご自身の記憶で補完して欲しい。

確かに、今更パパの子供時代が戦時中の話をそのまま放送するのはどうなのかという意見も出てきそうだ。アニメとして工夫を加えるべきだという意見もごもっともだ。ただ、原作重視を謳うわさドラの方向性からすれば今回の話作りは正しかったと思うし、キャラクターの性格、時代設定などは柔軟に捉えていった方が良いと思う。「(作中の登場人物に、時代に合わせて)現代的な衣を着けさせてはいるが、土管のある空き地というのは私が子供の頃の原風景そのものなのです。」とは藤子F先生の言である。すなわち、たとえプッシュホンやカラーテレビやプレステ風のTVゲーム機が出てきても、王冠の話や戦時中の話を放送しても一向に構わないと私は思うのだ。その後に「ぞうとおじさん」や柿の木の話を放送しても良いだろう。わさドラは「無国籍な雰囲気」ならぬ「無時代な雰囲気」があるではないかと評していた方がおられたが、私もその意見に同調したい。ドラの連載をリアルタイムで経験していなければ必然的に単行本で読むことになるが、1巻から順番に一気に読み進めていっても不思議と違和感なく読み通せるものである。気になるのはストーリーや絵柄の方で、時代設定などはそれほど気にしない場合が多い。これだけ原作のバックボーンが膨大にあり、かつ背後に大山ドラがあるという状況では、キャラの性格や時代設定などはその時々の原作に合わせて柔軟に対処し、一貫性を(良い意味で)なくす方向で考えていった方が作品作りもスムーズに行いやすいのではないだろうか。もちろん、Aパート(前半)のセワシ登場部分のように、分かりやすくする配慮はもちろん必要だが。大山ドラを絶対信奉するように、「○○はこうあるべきだ!」などというある種の教条主義的なものに陥るのだけは避けたいものである。やはり、この話は戦時中のパパの思い出間話でないと感動も薄い。

さて、原作通りとはいってもアニメとして印象深いシーンもあったのでいくつか挙げておきたい。

パパの回想シーンにおける「白ゆりのような女の子」。原作と同じく目をプラネタリウムのように誇張した少女漫画チックで描かれていたが、アニメ化されたものをブラウン管を通して見てみるとなかなか印象深い人物に見えてくる。

背景がきれいだった。特に、昭和20年の時の景色はわさドラの淡くすすボケた感じの背景画によくマッチしていた。

子供時代ののび太のパパが入水自殺を図ろうとするシーン。親元から離れる学童疎開での孤独や重労働・空腹による苦しみ。母への思い。見ている人まで深刻な気持ちにさせる台詞回しもさることながら、河原の風景が淡い色調で描かれていて美しい。夕焼けも相俟って幻想的なシーンを作り出すことに成功している。

特に良かったのが最後のシーン。原作ではドラが撮った写真を破いてしまっていたが、今回はドラがポケットにそっとしまい込んだ。私はこちらの方が好みかも。また、ドラとのび太の表情・台詞も優しい感じが出ており、写真をそっとしまうことで「思い出は美しいままにしておいてあげよう」という2人の優しい気持ちが伝わってくるシーンだった。

作品としてはやはり良くできていたのではないだろうか。

♪『踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭』

作曲・編曲:沢田 完 
作詞:マイクスギヤマ 
歌:水田わさび(ドラえもん)・森の木児童合唱団 
振り付け:真島茂樹

ミニシアターの代わりに夏休み中だけだとは思うが、「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭」が最後に流れた。事前情報から察するにいったいどんな踊りが出てくるのかと身構えてしまったのだが意外や意外?、いたってオーソドックスな音頭に仕上がっていた。個人的にはなかなか気に入った。

曲は盆踊りの曲の典型的な節回しを基にしたオーソドックスなもの。メロディは歌謡曲風に抑揚が付けられていて覚えやすいものとなっていた。歌詞はマイクスギヤマという人が書いた。”はねるたんそく ほがらかに”というくだりはおおはた氏が指摘されているように大山ドラ版の「ドラえもん音頭」を意識したものであろうし、”ドリラン パリラン ドンニャ コンニャ パッパ”というくだりは、”ホンワカパッパ””キミョウキテレツ マカフシギ””ナルケマ レバンガ ガピカッピ”など、藤子F先生の書く意味不明で独特な歌詞を意識したものであろう。ただ、F先生の書く歌詞は意味不明な部分がありながらその部分はリズム良く書かれており、覚えやすく親しみやすいものになっている。その点を踏まえると今回のくだりはまだまだF先生の歌詞には及ばない。真島氏の振り付けも特にとんでもないところはなく、無理なく踊れそうだ。大山ドラ版「ドラえもん音頭」は私が保育園児だった頃、毎年盆踊り大会で踊らされていたので思い出深い。群馬県の伝統的な盆踊りである「八木節」はリズムも節も難しく踊るのに苦労したが、ドラえもん音頭は親しみやすく、この曲を踊るのが一番の楽しみになっていた、そんな思い出がある。

来週は「かげがり」「テストにアンキパン」の2本。「かげがり」は小学校の頃読んで軽いトラウマになったくらい怖かった思い出がある。来週にも期待。

ところで、iTunesミュージックストアが突如日本でも配信開始した。1曲150円~200円でクレジットカードがプリペイドカードで曲が購入できる仕組みとなっている。まだまだ未参入のレーベルもあり、品揃えも今ひとつだが、これからできるだけ多くの曲がここで購入できるようになって欲しい。個人的には洋楽アーティストのシングルがなかなか買えないので、B面曲も拡充していって欲しいところ。

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