青い空はポケットの中に - 2005年04月

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2005年04月 Archive

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ドラえもん(わさドラ)第3回「どくさいスイッチ」

わさドラも今回で3回目の放送を迎えた。30分1話の放送形態はアニメドラ初の試み。いつも通り7時前にテレビの前に座り、放送を迎える。気がつけば、30分間ほとんど無心で見ていたのではないか、と感じた。今回は理屈ぬきで感動した。童心(といっても数年前だが)に帰らせてくれるような素晴らしい作品だった。

基本的に私の感想は原作と比較したりして考察・分析的なことを書いているが、この話は「純粋なアニメ作品」として見ても、本当に面白いと思える出来であった。

まず話を追ってみる。

ジャイアン率いるジャイアンズは河原のグラウンドで試合中。結局大差で負けてしまうのだが、「合計20点、お前のために損したんだ。」というスバラシイ論理の飛躍でその責任の全てをのび太に押し付ける。「20発殴ってやる」→「グラウンド20周走れ」に変更されているが、まあ気にしない。ただ、今回のスタッフは頑張っているのであまり文句は付けたくないのだが、このPTA的ヌルさがまだ拭いきれていない感がある。ジャイアンはバットで殴る位してもらわないと!そういうものに蓋をしても、面白くも何ともないし、ためにもならないと思うのだが・・・。こういうヌルさを打破し、「子供向け」に一滴の毒を加えるというのがわさドラの勝負所のひとつではあると思う。だからバットを持って殴りかかってくるからこの後の展開が真実味を帯びてくるのではないか。ジャイアンはいい子ちゃんではない。周りから見れば「普段は」単なる凶暴ないじめっ子、恐怖の存在でしかない。

「暴力は悪い。だけど暴力は存在する。
少し前、大人たちは暴力を排除しようといろんな物を規制した。
その結果、少年達はどうなったか?
大人たちが考えてる以上に彼らの現場はワイルドだ。
裏に入って眼の届かなくなった暴力はさらに危険になった。
僕は暴力を否定も肯定もできない。(一方的な行使を除いて。)
ただ、それによって生じるリスクを無視せず少年達を描いていこうと思う。」
「ホーリーランド」という漫画の著者である森恒二氏は自分の作中でこう述べたという。

「面白いものには毒がある。怖さもある。ドキドキして、泣いて、そしてホッとする。一歩成長する。そして強くなる。子供だってそういう物語を面白いと思う。小さい頃から俺はそれは一緒だったな。毒のない物を与えようとする親の感覚の方が、子供を温室に閉じ込めて悦に入る、子供の望むものがわからない大人の押し付け、自己陶酔だと思うがどうか。」
某掲示板より引用させていただいた。

イソップ童話やグリム童話、更には日本昔話。今でこそ勧善懲悪的な作品になってしまっているが、その歪められた話のつまらないことつまらないこと。自己陶酔的な大人の横槍で、更には教科書に取り込むため、そういう行為の名の下にあらゆる物語の面白さはどんどん削がれていったのだ。子供に暴力シーンを見せなければ世の中から暴力がなくなる訳でもあるまい。まあ、「バトルロワイヤル」みたいなのは嫌いだが(あれは1滴の毒ではなくて90滴の毒のような気がするので)、ジャイアンなんてそうでもあるまい、カワイイもんさ。


ちょっと横道にそれてしまったが、今赤色で述べたことはわさドラに対する批判ではない。事件が起こると、何でもかんでもテレビだのゲームだの漫画だのネットだのが槍玉に挙げられる(テレビメディア自身はテレビに対する批判をあまりしないのがまた醜い。)そういう現実がある以上配慮せざるを得ないのではないか。私たちは別に責任がないからいいのかもしれないが、実際に責められる立場の人間としては慎重になってしまうのだろう。あまりにも「良い子のお友達」になりすぎたドラえもん。それを悪いことだと言うつもりは毛頭ない。だが、その重圧はかなりのものになっているのではないか。そのスタッフの気持ちはよく理解できるのだ。そういうところを気にしなくても、わさドラはアベレージ的に面白い作品に仕上がっているから立派であるし、わさドラはかなり頑張っているほうだと思う。

ジャイアンは今回は長台詞があった。素の少年声といった感じだが、演技は今ひとつ。まだ役を自分のものにしきれていないような気がする。ただ、木村昴君はまだ14歳。これからどんどん経験を積んで役作りに励んでいってもらえばいい。今気づいたのだが、木村君って私よりも3歳年下なんだね。自分のことを若いと思っていた私だが、もう私よりも年下の少年がジャイアン役を演じているわけだ。

「ぐやじ~い!」のび太はドラえもんに言う。ドラはのび太を元気づけようと練習に誘うが、のび太は聞く耳を持たない。「ジャイアンさえいなかったらこんな目に・・・。どっかへ引っ越していかないかなあ。」寝転んだのび太は虚ろな目でつぶやく。個人的には共感できる印象深い台詞だ。「○○さえいなければなぁ・・・。」誰しもそんなことを考えた経験があるのではないだろうか。他ならぬ私もそのひとりであった。それを見たドラは、のび太に「どくさいスイッチ」という道具を差し出す。

ひとしきり道具の説明が終わった後(独裁者の説明ではナチスっぽい描写が薄れて石ノ森作品のような描写になっていた。ただし、始皇帝、ナポレオン、ヒトラーといった例は出ていたが)、いとも簡単そうにハエを消してしまう。そしてドラのつぶやく「悪魔のささやき」。

「な、かんたんだろ。じゃま者は消してしまえ。住みごこちのいい世界にしようじゃないか。」

原作では影のかかった演出に下から見上げるような構図が強烈でゆっくりとそそのかしているように見えるのだが、わさドラでは人を消すことがいとも容易いことのようにさらりと言ってのける。こういうシリアスな場面はわさびさんには苦手のようで、あえて感情を込めずにクールにさらりと言ってのけることで逆に怖さを醸し出している。迫力は足らないがこれも方向性としてはアリだろう。

クールなドラと対照的に人を消すことは恐ろしいことだと考えるのび太だが、いざ本当に消してしまうことが出来るようになっても普通の良心がある人間ならそう簡単に実行には移せない。のび太がためらうのはごく自然な感情だ。しかし、襲いかかるジャイアンを目の前にしてついカッとなりジャイアンを消してしまう。今更のように後悔するのび太。皆に問いただしてもジャイアンなど知らないという。どうやら消すというよりは初めからいなかったことになるらしい。悲しむのび太を慰めようとしずかちゃんがのび太に「バスソルト」をプレゼントする。これはアニメオリジナルのシーンだが、これは後の場面への伏線となっており、なかなかニクイ演出で良い。

ここでジャイアンの母ちゃんが初登場。竹内都子さんの声はアニメに自然な感じ溶け込んでいたね。ミヤちゃんはハマリ役だ。

ジャイアンを消しても結局スネ夫がボスになるだけであった。のび太はまたカッとなりスネ夫を消してしまうが、誰を消してもまた他の誰かが代わりになるだけであった。「あぁ・・・、またやっちゃった・・・。」つぶやくのび太。帰宅するとママまでもがのび太を怒らせようとする。「お願いだからぼくを怒らせないで。」その後のび太は消した人を元に戻して欲しいとドラえもんに頼むが、「無理言うな。」と、いともあっさりと返されてしまう。「その、ジャイアン『とかいう奴』・・・」ドラえもんまでジャイアンを知らない素振りをする。「これが君の望んだ世界だ。」ドラは言い放つ。こういうところを子供向けだからといって媚を売ることなくやってのけてくれるところがいい。

「恐ろしいスイッチだなあ・・・。カッとなるとつい・・・。押したくなるもんな。神経がくたびれちゃうよ。」

この台詞、今考えると深い。この作品は昨今のキレやすい子供たちにもぜひ見てもらいたいと感じた。私ものび太と同じくずっといじめられっ子だった。「キレてしまっても、どうせ駄目だろうな。」と変に落ち着いてしまい、やり返すこともなく、現実逃避することもなく、ただひたすら少年時代の藤子A先生のように黒い焔をメラメラと燃やしていたこともあった。

昼寝をするのび太。夢の中までも皆はよってたかってのび太を馬鹿にし、責め立て、コケにする。しずかちゃんに、とうとうドラえもんまでもが・・・。「みんなでよってたかってぼくのことを。誰もかれも消えちまえ。」寝言を叫んだのび太が振り下ろした手の先にはどくさいスイッチが・・・。

さて、ここからの展開がこの作品の肝と言える。「のび太の孤独感」をどこまで表現できるのか?

後半はアニメオリジナルの展開が多いが、これがまたいい雰囲気を醸し出しており、演出も素晴らしく、原作を超えたとさえ思わせるようなシーンもあった。

一人遊園地で楽しむのび太。明るい音楽。楽しげなアトラクション。しかしそれがかえって遊園地の持つ無機的な冷たさと相俟ってのび太の孤独感を浮き彫りにさせることに成功している。最初と最後に映し出されるメリーゴーラウンド。それはのび太の感じた楽しさが一過性の表面的なものに過ぎないと言うことを表しているのではないか。「ジャングル黒べえ」や「宇宙開拓史」に出てきたパオパオを登場させたのはファンサービスだね。これはファンとしてはもちろん嬉しかった。遊園地で一人で遊ぶことがどんなに虚しいことか、よく分かる気がする。のび太以外誰もいない遊園地で軽快な音楽を流しながら動き続けるメリーゴーラウンドは一種のホラー的な怖さをも感じさせる。

一人たらふく食うのび太。誰もいなくなった商店街に立ち寄り、のび太は好きなだけ食べ物やおもちゃを持ち出していく。楽しそうに見えるのび太とコミカルな音楽が、なんだか痛々しさを増幅させていた。いくら好きなものが好きなだけ食べられるといったって、小学生が食べられる量などたかが知れている。ラジコンも、一緒になって遊んでくれるドラや自慢相手のジャイアンやスネ夫もいない。ここで「ゲームは相手がいないとやれないんだな。」の台詞がほしかったところ。これもシンプルに核心を突いた台詞だからだ。だが、一人で遊んでも何も楽しくはない、そのようなニュアンスだけでも子供たちには伝わったのではないか。

一人空き地に佇むのび太。原作にもあるシーンで、あえて雑草を黒色で描くなど、このひとコマだけで藤本先生は天才だと思わせてしまうくらい印象的なコマだった。のび太の荒涼とした悲壮感をがらんどうの空き地とシンクロさせている。のび太は支配者になったはずなのにどこかやるせない。支配者になるということは、支配される側がいて初めて成立するのだ。一人だけでは支配者にはなれない、そのことをのび太は気づき始めている。それとも気づきたくないのか。その荒涼とした雰囲気も水彩画風の背景画とよくマッチしていた。くどさがなくさらりと流してくれたのも良い。

突然の停電。誰もいなくなってしまったのだから、電気を管理する人々ももちろんいない。そんなことは知る由もなく慌てふためくのび太。電話をかけようにも、どこにかけていいか分からない。その電話すら通じない。普段私たちは何気なく電気・ガス・水道や電話などのインフラを使っている。しかし、それがなくなってしまったらどうするのだろうか。ただ慌てふためくことしか出来ないのではないか。普段何気なくそこにあったものが突然消えるということ。「人は一人では生きていけない。」そのことを伝えるためにも停電は重要なファクターとなっていたと言えよう。

一人屋根に登り、夕日を眺めるのび太。なぜ夕日を眺めるのだろう。なぜ屋根に登るのだろう。夕日はそれだけでなんだか悲しいような、寂しいような思いにさせる。高いところからのび太は夕日を眺めているが、下を覗いたって、前を見たって、もちろん上を見上げても誰もいない。夕日は何かの終わりを告げる鐘の姿でもある。突拍子の出来事とはいえ、のび太は世界の全ての人間を消してしまい、一度はそれを喜んだはずだ。しかし、誰もいない地球での支配者の姿なんてどんなに空しく滑稽であることか。夕日と、それを見つめる一人少年の姿は端的に孤独感や空しさを表すのには重要であった。ここでのギターソロの音楽は印象的だった。

一人お風呂に入るのび太。ここでしずかちゃんの「バスソルト」が登場する。「疲れているのよ。」バスソルトを手渡す時、しずかちゃんはのび太にこう言った。独り言を言いながら暗いお風呂に浸かる。薄暗い懐中電灯が、一人でいることの侘しさを私たちに実感させる。一時的な安息感・安堵感。それが普段の日常をのび太に思い出させ、逆に孤独感・悲壮感を増幅させている。溢れる涙。それを紛らわそうと、のび太はお湯に顔を浸ける。でも、泣いているのび太の姿なんて、隠したところで誰が見てくれているのだろうか。誰も見てくれやしない、世界にはのび太しかいないのだから。だから、隠す必要なんてないのだ。だけれど、それをのび太は認めたのか?それとも認めたくないのか?誰もいないという現実。これは悪い夢であって欲しい。虚構と現実との狭間で葛藤するのび太の心がバスソルトの香りと共にまざまざと浮かび上がる。さらに、バスソルトがしずかちゃんとの繋がりを思い起こさせる。「疲れているのよ。」そうだよな、疲れてるんだよな。認めたくない現実。そんなのび太の心の動きを表すのには最適の演出だったといえよう。

のび太は一人屋根に登りむせび泣く。

「出てきてよう・・・。誰でもいい。ジャイアンでもいいから出てきてくれえ!一人でなんて・・・、生きていけないよ・・・。」

「気に入らないからってつぎつぎに消していけば、きりのないことになるんだよ。わかった?」

隠れていたドラえもんが現れる。泣きつくのび太。ドラがどくさいスイッチのボタンを押すと、ポツリ、ポツリと電灯がつき始め、その規模はみるみるうちに増していった。これは独裁者を懲らしめるための道具だったのだ。この演出は秀逸であった。また、電灯が人と人との繋がりを暗示させてくれるような気がした。

「まわりがうるさいってことは、楽しいね。」最後は野球の練習をするドラとのび太、それを眺めるジャイアンとスネ夫とのコミカルなシーンで終わる。(異常に長い手のドラは見たかったなぁ・・・。)

原作はわずか15ページの短編なのだが、シンプルにさらりと纏め上げているところが藤本先生のすごさであると思う。いとも簡単に世界を破滅に追い込んでしまうような「異色SF短編」的なノリも見られる。だが、ドラえもんらしく教訓が付けられている。のび太に道具を行使させることで逆説的に孤独の恐ろしさを知る。子供は怖いと思うだろう。しかしそれによって成長していくのだ。他の道徳作品よりも何十倍も面白いし、ためにもなる。基本的にドラはのび太を諭さず、自己啓発に持ち込む。大山ドラ晩年のような教育番組的な道徳ではなくて、童話的な道徳だ。そういった風刺を、嫌味なくシンプルな絵とコマ割で自然に描きこんでいる。今回のアニメは、この原作を踏襲しつつ、更にアニメオリジナルのシーンを加えることで更なる高みを目指すことに成功している。アニメオリジナルのシーンや演出も、間延びすることなく30分枠の中で丹念に描きこまれている。スタッフが「直球勝負で、とにかく丁寧に作っている」とも感じた。声優陣のキャラ作りや演技にまだ不十分な点が感じられたことは残念であったが、それも時間と共に解決していくであろう。演出や高橋ナツコさんの脚本も秀逸で、映画併映短編作品としても十分に通用する仕上がりであった。中編・短編・超短編と、ありとあらゆる尺の作品が自在に放映できるようになったのはうれしい。

今回のドラえもんミニシアターは「落ちないつな」(出典はぴっかぴかコミックス1巻より)。作品ごとに作画を変えているようだ。これも毎週の楽しみが増えたと言える。作品自体も面白く、試みとしては素晴らしいのだが、これは番組の最後に持ってきた方が良い気がする。

また、変に原作を意識せずとも、そして大山ドラを意識することなく、極論すればドラえもんという存在自体を知らなくても純粋なアニメーション作品として見れば昨今の数多あるアニメ作品の中でもかなり「面白い」と思える作品になっているのではないだろうか。藤子・F・不二雄先生のスピリットを損なうことなく、アニメとして無理のないような動きに変換させている。新スタッフは、不評を覚悟でそこに挑んでいる。いつにも増して「志の高さ」を強く感じる。そして、色々なものと比較せずとも十分に面白いと思える作品に仕上げられている。まだまだ改善の余地はあるといえるが、長い目で見守っていくことには何のためらいもない。

「良薬は口に苦し」・・・「どくさいスイッチ」を一言で表すとしたら、こんなところかな。

来週は「驚音波発振機」と「オールマイティパス」の2本。ついにジャイアンの歌と星野スミレが見られるわけだ。楽しみに待つことにしよう。

わさドラ第2回視聴率と今後の放送予定

ビデオリサーチによると、アニメドラえもんの第2回放送の視聴率は13.5%だったとのこと。初回から2.5ポイント下がる形となったが、大山ドラ後期の平均視聴率12.0%よりも高いようで、比較的わさドラが受け入れられ始めているようだ。アニメ部門でも第3位にランクインし、結果としてはまずまずであろう。声が変わってもそのまま見続ける人、わさドラの新たな魅力に気づき始めた人、前回見逃して今回始めて見た人、もう見ないと離れていってしまった人、裏に魅力的な番組がなかったので見た人・・・視聴者層は様々であろう。

しかし、アニメというのはずいぶんと色々な種類があるもんだね。自分はアニメにはほとんど興味を示さないし、無論声優の名前もほとんど知らない(山寺宏一さんは大好きだけれど)。ただ、知らないことを言い訳にしたくないので、記事を書く時には出来るだけ事前調査をしている。そのお陰で声優の名前を何人か覚えることが出来た。見るアニメといったら、「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「サザエさん」「あたしンち」「名探偵コナン」くらいであろうか。それでも、ドラとクレしん以外は不定期に見る程度。でも、宮崎駿作品は大好き。全ての映画を何度も繰り返し見た。オタク・カルチャーは結構興味があるし、軽蔑もしていないのだが何せ私の通う高校は男子校でその手の輩がウジャウジャいるもので・・・。「高飛車」か「オタク」が結構な数を占めている、そんな中に挟まれて反面教師だらけの私であった。

「もっと、ドラえもん」にアニメドラの今後の放送予定が掲載されたのでここに載せておこう。

4/29 どくさいスイッチ(前編・後編)

5/6  驚音波発振機
    オールマイティパス

5/13 タイムふろしき
    タンポポ空を行く

5/20 マル秘スパイ大作戦
    ハロー宇宙人

5/27 のび太の地底王国(前編・後編)


やはり原作漫画の名作からニクいチョイスをしてくるね。

では、ちょっとした見所でも徒然と。面白ければ定期的にアニメオリジナル作品を持ってきてもいいかもしれない。そういうのは全然OK。

・どくさいスイッチは第2回放送の感想でも触れた通り、藤本先生のブラック色が強い作品。しかし、最後はくどくなく、さりげない教訓で終わらせているところが藤本先生らしい。教訓がイヤミにならないかどうか、そしてドラの「悪魔のささやき」がどのように再現されるか!?公式ページを見る限り、「バットを持って殴りかかるジャイアン」と「悪魔のささやきに似たシーン」のカットが掲載されており、期待大。売れっ子脚本家の高橋ナツコさんがどのように料理するのか、心配でもあり楽しみだ。

・驚(狂)音波発振機ではやっとジャイアンの主役が見られる。あの歌を昴君はどのように演じるのか、そして爆弾で家を吹っ飛ばそうとしたブチ切れドラは!?

・オールマイティパスでは星野スミレが初登場!!どんな感じになるのか、楽しみだ。

・タイムふろしきは初期の作品だ。ドタバタっぷりがどのようになるか。原作では白黒テレビや手回し脱水機付洗濯機などが出てきたが、時代を感じさせる事物を現代風にどのようにアレンジするのだろうか。

・タンポポ空を行く・・・来ましたね。ドラえもんの感動作でも5本の指に入るくらい好きな作品。タンポポを通してののび太の成長がほのぼのとした雰囲気で描かれている。漫画を読んだ時、思わず目頭が熱くなってしまった。大原さんの演技に期待。

・マル秘スパイ大作戦の見所は、何と言ってもスネ夫のお漏らし、ジャイアンのままごとだろう。

・ハロー宇宙人では、ハルカ星人の描かれ方に注目。

・のび太の地底王国はコミックス26巻収録の作品(原題は『のび太の地底国』)。みんなでひとつの国を作り上げる楽しさが描かれており、出木杉の活躍も光る(もしかしてここで初登場?)。しかし最後には独裁政治を暗に批判する風刺めいたオチが付けられている良作。

見る、見ないは勝手だけれど、見ないことを自分の子供や友人に吹聴して悪評をばら撒くような大人げないマネはやめて欲しいな。

新雑誌「もっと、ドラえもん」創刊

「ぼく、ドラえもん」の後継雑誌として小学館より「もっと、ドラえもん」が創刊された。発売当日に近所の書店で購入した。でも、どうやら前日から売っていたらしい・・・。「ぼくドラ」と同じように定期購読を申し込めば良かったのだが、「ぼくドラ」定期購読終了後に小学館から送られてきた定期購読の案内が「早よ申し込まんかい、ヴォケ!!」と言わんばかりとは言いすぎだが、少々ぶっきらぼうな書き方だったので、申し込むのをいささか躊躇していた。実際の内容は年5回刊、1380円というだけあってなかなか充実していた。これなら後4回は定期購読を申し込んでも良さそう。

実際の内容を手短にレビュー。

◆付録(フィギュア)
この雑誌の目玉なのだろう。全5回分を集めるとドラ・のび・しず・ジャイ・スネの5人が乗ったタイムマシンのフィギュアが完成すると言うもの。そのせいで化粧箱がかなり厚くなってしまっている。この付録には余り興味を示していなかったのだが、質感や仕上がりは良好。今回はドラえもんとタイムマシンのコックピットだ。基本的な造形は新アニメ版に準拠している。ドラの唇のふくらみや、タイムマシンの計器類もちゃんと再現されている。読者の収集欲を露骨にくすぐろうとしているようだが、この仕上がりなら満足できるレベル。完成写真を見る限りいわゆる「スネ夫の立体化」には苦労した模様。「ぼくドラ」1号のDVDのような貴重な付録がなかったのは残念だが。

◆本誌レビュー
・新生アニメドラの舞台裏の特集は声優陣や監督のインタビュー。特に目新しいことは言っていないが、友達に徹したいわさびさんの思いが伝わってきた。今回は原作を基準に声を選んだわけだから、本来のドラらしい友達としてのドラを演じてくれたらと思う。

・2006年公開の映画「のび太の恐竜2006」の特集では、恐竜好きの渡辺歩監督が「恐竜博2005」を見に行ったり、制作陣で恐竜の勉強会を開いて最新の学説を取り入れようとしていることなど、かなりの力の入れようだ。私の勝手な想像だが、もし藤本先生が「のび太の恐竜」をリメイクすることになったとしたら、やはり恐竜は最新学説のものを取り入れてくるだろうと思う。藤本先生は化石を収集されていたりとかなりの恐竜好き。元祖「のび太の恐竜」執筆・制作の際も当時の最新学説を研究して実際に取り入れていた。私も小さい頃から恐竜が好きで、今でもその興味は尽きない。だから新しい映画がどのようになるのか、楽しみに待ちたい。私も「恐竜博2005」をゴールデンウィーク中に見に行く予定。

・新生アニメ版の美術設定の特集は非常に興味深く、見ていて飽きない内容だった。美術監督は清水としゆき氏。ここで出木杉の設定画が初公開。前よりイケメンになっている。見比べてみると今回の出木杉の方が明らかに原作に近いが、前の出木杉と比較してみると前の出木杉はかなりシンエイ動画被れした作画だったと感じた。ジャイアンの家は「剛田商店」になり、懐かしい個人商店の雰囲気が良く出ていた。原作では剛田家の家業は乾物屋だったり八百屋だったりと余りはっきりとしていないので苦労する部分だが、上手く出来ていたように思う。時代設定のイメージは15~20年前くらいだという。現代的な衣を着けながらも懐かしい町並みの雰囲気は残すというFテイストがどこまで再現できるか、見物である。

・のび太特集は「ぼくドラ」と内容が被っている部分も多く、目新しいことなし。芸能人インタビューは、「のび太に共感できる」という人は良かったのだが、何か鼻に付く書き方をしている人もいた。

・切通理作氏のエッセイは、ドラえもんという作品を本当に良く理解していると感じ取れる文章で好感が持てた。また、幻の日テレ版ドラにも言及しており(全話見たというのがすごい)、目からうろこの内容であった。確かに学級委員選挙で買収行為をするようなのび太の話なんて、誰も見たいとは思わないのかも。実際の内容も妙に陰気でダークな雰囲気だったらしいし、今でこそ私を含めドラファンの強烈な興味関心の対象となっている日テレ版ドラも、やはり不評だったのだろう。

全部書いてもしようがないので、ぜひ書店に立ち寄って実際に手にとって見てはいかがだろうか。

私のドラえもん・藤子不二雄ファン遍歴

私事だがこの場を借りて、自分の藤子ファン遍歴について振り返ってみたい。

私が初めてみた藤子アニメは、記憶の範囲内では「笑ゥせぇるすまん」だったと思う。このアニメは大橋巨泉さんの大人向け番組「ギミア・ぶれいく」内で放送されていたものだ。多分父親が見ていたのを一緒に見ていたのだと思うが、このアニメは私の心に強烈な印象を与えた。このアニメは大ヒットし、当時子供向けだと思われていた藤子アニメのブラックな一面を世間に知らしめるきっかけとなった。この「笑ゥせぇるすまん」は完璧と言っていいほどの出来で、最もAイズムを感じさせるアニメであろう。再放送も繰り返し行われ、私もその度に観ていた。近年になって、喪黒福造のモデルはA先生と親交のあった大橋巨泉さんだったことが明らかになった。幼少時にこのような黒いアニメを見てしまったのだから、そのショックは相当なものだったに違いない。ただ、幼少時の感想など、たかが知れている。幼い私はただ単に喪黒の「ダーーーーーッ!!!」が見たいがために見ていたに違いない。再放送されても「喪黒って、悪いヤツだな」位にしかその当時は思っていなかっただろう。人間のエゴを深くえぐり出したとかそういうことに気づいたのは、ごく最近のことである。私が最初に触れた藤子作品は意外にもF先生の作品ではなくA先生の作品だったのである。

藤子アニメといえば、「キテレツ大百科」も忘れてはならない。個人的に思い入れの強い作品である。このアニメは原作の話数の少なさを優れた脚本によって補うことが出来た好例であった。作品の出来も大変素晴らしく、「サザエさん」の視聴者をチャンネルを買えずにそのまま視聴させることに成功した。視聴率も常に20%を超えていたように思う。当時はドラえもんよりも面白いと思っていた。キテレツは初出時の掲載誌が「こどもの光」という農協系の雑誌で、年齢層も高めに設定されていたという。ドラえもんよりは冒険色の強い作品が多く、当時の私を夢中にさせた。また、リニュー版ドラで使われているような淡い背景画が印象的であった。これは非シンエイ動画作品でありながら、藤本先生の評価も高かったらしく、大健闘であったのだろう。最終回の時は悲しくて涙が出てしまった。後番組のこち亀は好きな漫画だったので継続して見ていたが。

ドラえもんに関しては、やはり物心の付く頃から見ていた。その頃から今に至るまで、ほぼ毎週見続けている。大山のぶ代さんの声も私の心に深く刻み込まれ、「どうしてこんなにもドラえもんに合っている声なのだろう!」と感慨深く語ったこともあった。大山さんの声が素晴らしいと考えているのは、大山ドラ派の方々とも変わらないと思う。タイトルバックでいえば私は「グリーンバック」世代なので大した年数は見ていないのかもしれない。ただ、季節ごとのスペシャルやレギュラー放送のBパートを通じて、過去の作品には多く触れられたと思っている。大晦日は紅白でも格闘技でもなく、我が家では昔から「ドラえもん」だった。それは今でもそうだし、これからもそうであろう。

原作に初めて触れたのは、小学校の入学祝いに「小学一年生 入学準備号」を買ってもらったときである。どんな話が載っていたかは失念してしまったが、連載が再録中心になってからも「作者のことば」として藤本先生のメッセージは掲載されていた。その後、小学校3年生の時に学校の図書室に「ドラえもん」と横山光輝氏の「三国志」が入庫した。学校に漫画を入れるなんて当時の小学校の先生はずいぶん思いきったことをしたものだと思うけれど、ドラえもんはすさまじい人気で、図書室にドラえもんの単行本が残っていることはないほどであった。紛失も多く、学期末の一斉書庫点検でも(私はずっと図書委員をやっていた)、45巻全てが揃うことはなかった。「三国志」の方は、綺麗な形でほぼ全巻残されていたけれど(注:横山光輝氏は素晴らしい漫画家である。ただ、当時の小学生には受けなかったというだけであろう)。

アニメの影響で原作漫画も少しずつ買い始めた。その頃は夢中になって読んだのを覚えている。最初のほうに買った単行本は汚れや折れ曲がりや傷だらけでボロボロになっている。わずか6,7年前の出来事なのだが、よほど夢中になって読んだのだろう。今読み返しても更に面白いし、新たな発見がある。

そんな私をドラえもんファン・藤子不二雄ファンにさせたのは、奇しくも藤本(藤子・F・不二雄)先生の逝去がきっかけであった。私は生前の藤本先生をほとんど知らない。記憶に残っているのは、アニメドラの番組内で映画「2112年ドラえもん誕生」で藤本先生がアテレコに挑戦する映像が放送されたことくらいである。「『ドラえもん』の生みの親 藤子・F・不二雄氏が死去」とテレビのワイドショーの画面に映し出されたのはそれから1年後、私が小学4年生の時であった。リポーターが藤本先生宅の前で中継をしていて、お決まりの過去を振り返る映像が流されたのは記憶に残っている。当時私がどのような感想を持っていたのかは記憶が定かではないが、その後追悼特番として放送された「のび太の日本誕生」や「驚きももの木20世紀」という番組内で放送された藤本先生の追悼特集を見たことは覚えている。「驚き~」内では再現ドラマ形式で藤本先生の生涯が放送されていたが、「ペンを握ったまま机の上で気絶して、その3日後に亡くなった」という内容が画面上に映し出された時、私はその壮絶とも言うべき最期に、子供心に強いショックを覚えたことは覚えている。

その後私は「藤子・F・不二雄」という漫画家に強い興味を抱き、小学6年生の時には横浜ランドマークで開催された「藤子・F・不二雄の世界展」を見に行った。当時の私にはまさに「目からうろこ」の展示物ばかりで、いたく感激したのを覚えている。私は確かに生前の藤本先生は知らないが、早いうちに藤子作品や藤本先生の人物像に少しでも触れることが出来たのは良かったと思っている。

その頃からかなりのペースでドラの単行本を集め始め、ドラの原作の世界にどっぷりと浸かっていった。後で読み返したり、大人になってから読み返しても新たな発見があるのもドラの原作の大きな魅力であろう。私にとっての原点は、ドラえもんの原作漫画である。コロコロコミックも買い始めた。その頃は藤子プロの手による「のび太の南海大冒険」の映画原作が連載されていた。読んでみて、「なんだ、つまらない。」・・・その頃の私の率直な感想であった。それでもミニ四駆やハイパーヨーヨーやビーダマンなどの流行に囲まれながら育ち、結局コロコロコミックは中学を卒業するまで買い続けた。当時から流行っていたポケモンは私の嗜好の直球ストライクゾーンに入り込み、今でもポケモン(ゲームだけ)は好きである。

もうひとつショックを受けたのは藤本先生の「SF異色短編集」を読んだ時である。「ミノタウロスの皿」と「みどりの守り神」をその時読んだが、絵柄はいつも読んでいるドラえもんと変わらないのに、何かやるせないもどかしさを感じたのだ。と同時にこのような漫画を描ける藤本先生に強い畏敬の念が生じた。

私がインターネットを利用し始めたのは中学生の頃。当時は藤子ファンサイトやドラえもんファンサイトが最も活発な時期で、「重箱の隅系」や「データベ-ス系」など、実に様々な種類があった。現在ではその多くが淘汰されてしまったが、この藤子・ドラファンサイトを通じて私は多くの情報を得たし、リアルタイムで原作に触れている方々が本当にうらやましく思えたものだった。現在ではブログを開設するに至っている。

世間から見ればマイナーな存在だが、私はこれからも藤子作品をこよなく愛するだろう。ドラえもんの未収録作品など、知りたいことはたくさんある。藤子ファンの興味は尽きない。

ドラえもんリニューアル雑感

リニューアル版ドラえもん(以下わさドラ)の放送開始後、立て続けにエントリを立てたが、今回で5つ目である。よくもまあ、ここまで書けるもんだと思うけれど、いちドラえもんファンとして、どうしても黙っていられないのである。ただ、当ブログのスタンスとしては穴だらけかもしれないが、あくまで冷静に、客観的な記述を心掛けているつもりだ。

さて、遅れてしまったがわさドラ第1回の視聴率は16.0%だった(ビデオリサーチ調べ)。微妙な数字とも言える。私はもう少しは行くかな、と思っていたのだが、初回だけ高くて後は下降線をたどりっ放しというのもなんだか嫌である。その週でドラえもんよりも視聴率が高かったアニメはサザエさんしかないし、そのサザエさんも20%に届いていない。アニメも多様化・細分化し、1980年代初頭のドラブームの頃のようにコンスタントに20%超、ましてや最高31.2%なんて取ることは事実上不可能であろう。その点から考えると、わさドラは概して好評だったと言えなくもない。このままコンスタントに14%前後で安定してくれればいいのだが。

ドラえもんはリニューアルによって、今までとは別物と言っていい程変わってしまった。その反響はすさまじく、いまだに沈静化する様子はない。むしろ、活発化しているようにさえ感じる。その多くが否定的な書き込みばかりで、声優交代発表から一貫してリニューアル支持を貫いてきた私には「本当に、俺はこの考えでいいのか」と、気持ちがぐらつく場面もあったのだ。しかし、それでも私はわさドラを応援し続けていくだろう。

否定的な意見も私はなるべく真摯に受け止めてきたつもりである。中には筋の通った論理的な意見があり、私も考えさせられた。しかし、短絡的な中傷は無視するとして、客観的に考えても「納得がいかない」という意見が見られたのも事実だ。今回はドラえもんのリニューアルに際しての私の意見をまとめてみようかと思う。

実際、否定派の方々の意見を抽出してみるとそのほとんどが声に関するものであった。声に関しては違和感を感じるのは仕方がないので否定的な意見ばかりなのはとうに分かっていたのだが、「大山ドラを愛しているからこそ受け入れられない」というのは納得がいかなかった。極めて主観の入った意見だと思うが、それはハタ迷惑な論理とも言える。散々ボロクソにけなしておいて、自分は被害者面をしている人が多かったからだ。何というか、皆自分の「ドラえもん観」が絶対だと思っており、だからわさドラは駄目なのだと言う。それは各自のエゴのぶつかり合いとすら思えたのだ。ただそういった人は単なる中傷をしたかっただけのようで、即物的な連帯感が味わえなくなったのか、2回目の放送後は姿を消しつつある。

大山ドラも最初から受け入れられていたわけではない。特に最初はファンの間では不評で、声に関するものから作画に関するものまで様々であった。日テレ版ドラを見ていた人の間では大山さんの声にものすごく違和感を感じる人も多かったという。日テレ版ドラ自体はダメダメな作品だったらしいが。もし、1979年当時にインターネットが普及していたら、大山ドラはメチャクチャに叩かれていたと思う。それも、論理はわさドラに対する否定的な意見とそう変わりはないだろう。そうやって20年以上かけて大山ドラは皆に親しまれる存在になったわけで、改めて前声優陣の偉大さや有能なスタッフ陣には敬服の念が起こるのである。このことについてはMisttimes.com Blogで更に詳しく書かれている。今回初期の大山ドラについて触れたのも、それに触発されたためである。

私も含め、わさドラを肯定している方々に対する批判なのかは分からないが、「大山ドラを否定している」というのがあった。これに関しては、全くの誤解である。ドラえもんファンを派閥に分けることは実はあまり好きではないのだが、私に関して言えば「原作派」であり「大山ドラ派」であり「わさドラ肯定派」なのである。一概にどれが良くてどれが駄目なんて決め付けることは出来ない。まず、ドラえもんの原作は私にとって絶対的な存在だ。それは譲れない。だからといって他のものを頭ごなしに否定することなど、私には出来ない。

私は大山ドラに強い愛着があることには変わりない。大山ドラがなければ、現在ドラファン・藤子ファンをやっている自分はないのだから。だからこそ「わさドラ」を応援していこうと思うのだ。最初から頭ごなしに否定している人を、私は理解しがたい部分も正直ある。「本当に、ドラえもんが好きなのか?」と。大山さんは数年前からインタビューで引退については語られていた。2001年に癌を患い、ドラえもん降板制作側に申し出たこともあったが、「冗談でしょう」と、笑ってスタッフに返されたと言う。野村道子さんもアキレス腱を怪我して車椅子でアテレコに参加されたこともあったという。年齢に関しては隠しきれない部分も出てきてしまったのだ。

2004年に入って来年度の映画ドラの中止が発表された。そして2004年11月、「『ドラえもん』の大山のぶ代さんらが降板、声優交代へ」という衝撃的なニュースが発表された。「いよいよ、その時が来たか」と思った。と同時にひとつの時代の終焉にやるせない悲しみを覚えたのである。その後、雑誌「ぼく、ドラえもん」やネットを通じて情報を収集し始めた。新声優が発表され、放送開始されると言う一連の流れの中でかなりの時間が経過した。新しいドラえもんがどのような路線でいくのか、とにかく色々な情報をかき集めた。「原作回帰」路線だと判明すると、不安や悲しみは大きな期待へと還元された。テレビや雑誌でのインタビューを通じて、旧声優陣がどのような思いで交代を迎え、新シリーズをどのように考えているのか少しは知ることが出来た。「新世代に託そう」そのような思いが伝わってきた。だから、私はわさドラをすんなりと受け入れることが出来たのだと思っている。

しかし、大山さんの声に強い愛着を感じている方の中には純粋に大山さんの声が好きで、癒されていたと言う方が多いのも事実だ。そのような方々にとっては、がらりと違う声、作画に今までのドラえもんを否定されたような気がして言いようのない嫌悪感を感じるのであろう。そのような方々には新しいドラえもんの面白さを理解してもらえないかもしれないし、説得するなんて返って逆効果であろう。「ドラえもんはもう見ない!」そう感じるのも、また致し方ないのかもしれない。ただ、そういう気持ちがあるのは仕方がないとして、どうかまっさらな気持ちでこれからもわさドラを見ていただきたいのだ。1979年頃は藤子アニメは藤子ファンからは非難・バッシングの対象であった。長い年月をかけて着実に支持を集めていったし、クオリティの方も格段に進歩したのだ。

これだけ否定的意見が多いのもまた、それだけ多くの関心を集めているということである。15日の放送後にブログや掲示板を回って、誰もドラのことを話題にしていなかったら、私は深い悲しみを覚えるだろう。まだまだドラえもんは大きな関心を集めうる存在なのだ。これから長い年月をかけて多くの人に支持されることを、願ってやまない。

俗に大山ドラ末期と呼ばれるアニメドラは、なるべく肯定的に捉えてきたと書いたこともあった。確かに前向きに捉えてきたことは事実だが、どうも毎週の放送を観ても面白く感じなかったのだ。俺も大人になったのか、そう感じることもあった。ただ、藤子・F・不二雄という大きな舵取りがいなくなってしまってからは、アニメドラは迷走を続けたということは否めない。ネタ切れの面もあったのだろう。しかし、過剰な演出や多分に教育的な面が誇張され、本来の話の面白さが削がれていったと感じることも多かったのだ。話もどんどん幼稚化し、原作漫画を自分で買うことが出来る年齢になる以前に、子供たちはテレビの前から離れていってしまった。近年は確実に軌道を外れ、下降線をたどっていたのだ。声優の演技は申し分なかったが、声は衰えを隠せなくなってくる面もあった。ドラえもんも、昔は保護者と友達を両立していたのに、過剰な保護者面しか見えなくなっていた。どこかで、てこ入れの可能性を感じたことは事実だ。

エンディングがナマズになってからは、もう目も当てられない状況だった。この元凶はあくまでテレ朝のプロデューサー側なんだろうけれど、ナマズに関しては肯定的な言葉が微塵も浮かんでこない。これに関しては主観と自信を以って大いに軽蔑させていただきたい。それでも、「グルメテーブルかけ」や「45年後・・・」は原作に非常に忠実な再現で希望の光が見えたと感じたのと同時に「最後の花道」のような哀しさも感じてしまった。それも、大山ドラ最終回の「ドラえもんに休日を?!」で見事に打ち砕かれたが。旧声優陣は最後まで立派だった。今回のリニューアルでドラを壊した元凶の存在が根本から抹消(?)されることを切に願う。

わさドラの実際の放送を見て、詳しい感想はその他エントリを見ていただくとして、「軌道修正」されたというのは強く感じた。「勉強べやの釣堀」を見れば、大山ドラを否定したり破壊したりという考え方ではこの作品は作れないこともわかった。

声優に関しては、「原作のイメージに最も近い声」というコンセプトで選ばれた。決して物まねではない。たとえ物まねならば今より非難は少なかったとしても、まだ過去の栄光にすがろうとする嫌な一面が見えたかもしれないし、大山さんの本来の声を忘れてしまうかもしれない。また、その物まねさんは生涯大山さんと比較され続けるであろう。そんなのは余りにも不憫だ。わさびさんは、「他の新声優候補が皆大山さんの物まねをしているのに対し、彼女は自分の素直な声を出していた。」とテレビで監督が述べていた。まだまだ未熟な面もあるだろう。だが、彼女の素直な声が、ゆっくりでもいいから皆に愛される声になって欲しい。

大山ドラも昔は原作に近かったのだ。声優・制作陣・そして原作者が一体となってアニメドラを盛り上げてきたのだ。原作とアニメは共通しているのである。だから近年外れてしまった軌道を、元に戻そうというのは至極まともな事だと思うのだ。元に戻すだけでなく、原作を多分に意識したと思われる部分が、随所に見受けられたのは、本当に原作が好きで子供たちに原作の面白さを伝えたいという制作陣の意気込みが伝わってくる。

問題点も挙げておこう。声に関しては仕方あるまい。これは時間が解決してくれるものと思っている。BGMの印象が薄いことと、規制への配慮が見られることは再考の余地があるといえる。特に、薬系の道具の変更や、のび太の部屋から零戦の模型が消えたことを指摘した人もいた。ただ、のび太にきついことを言うドラは復活していたし、もうひと頑張りだと思った。OP・EDも、改善の余地があると言えよう。

第1回目の放送直後はすさまじい反響であったが、「話がつまらなくなった」という意見を見かけたときは原作を否定されたような気がして、悲しかった。2回目の放送後は短絡的に中傷をする輩が消えて落ち着きを取り戻しつつある。そして個人的に嬉しかったのは、「声や絵はまだ違和感があるけど、話は面白かったよね」という意見が見られたことだ。「のろのろ、じたばた」を見て、そう感じたのだろう。「久しぶりにドラを見て笑ってしまった」という意見も嬉しかった。わさドラを通して、ドラえもんの本来の魅力である「話で面白く感じる」面に多くの人が気づいてくれればと思う。

私はわさドラを応援していくことには変わりない。ひとつだけ言いたいのは、最近はドラえもんの漫画を読んでいない人が増えてきた。特に若年層の意見を見てそう思った。ドラえもんが好きなのに漫画を読まないなんていうのは余りにももったいないことだ。だから、この機会にぜひ原作漫画を読んで欲しいのである。そうすれば、今回のリニューアルを理解するうえでの一助になるかもしれないし、とにかく漫画ドラの世界にどっぷりと浸かって欲しい。


ドラえもん(わさドラ)第2回「のろのろ、じたばた」「のび太のおよめさん」

新装リニューアルしたドラえもんもいよいよ第2回の放送だ。先週の放送を観てから、次の金曜日がどんなに待ち遠しかったことか。今日はリアルタイムで見られたが、帰宅して6時30分にテレビをつけてから始まるまでの30分間の長いこと長いこと・・・。そのことは後で書くとして早速感想を記したい。これからは毎週感想を書くことになりそうだ。

◆オープニング
前回とほぼ同じ。今日の放送でのただひとつの変更点が、歌詞のテロップが歌にあわせて太くなる処理が施されたこと。他のアニメやカラオケなどでもよく見られるものだ。とにかく、テレビの前で親子で歌って欲しいのだろう。

◆「のろのろ、じたばた」
コミックス第5巻収録。初期のドタバタ作品の中でもかなりの傑作であり、私のお気に入りの話のひとつでもある。この話の肝は前半の「クイック・ドラパート」と後半の「スロー・のび太パート」の対比の面白さであると思う。また、やはり今回も薬系の道具なので「気分コロン クイック用とスロー用」という道具に変更された。個人的には、細かいことだが原作でドラが「ドン」と2つのビンを置くシーンが印象的なので、ちょっと残念。そのことが「薬は嫌いなんだよ。」というのび太の自然なセリフが「コロンは嫌いなんだよ。」という小学生としては不自然なセリフに変えさせてしまった。テレ朝もフジテレビみたいに、下らない自主規制とやらには毅然と対応して欲しいのだが。
最初に文句を言ってしまったが、作品としては原作を忠実に再現しており、非常に高い出来だ。久しぶりにアニメドラを見て笑ってしまった。ドラがのび太にズケズケときついセリフを言っているのは見ていて爽快だった。「わさドラ」の本領発揮と言ったところか。クイックを付けたドラのパートでは、「すばやく呼び鈴を押す」から「食べたら、さよなら」までのの流れが非常にスムーズで、テンポは良かったのではないだろうか。原作の絵も、視覚的にダイナミックに表現されていた。そして、あの伝説の名セリフが・・・

「やきいもは、食べる前におならをする。」(ボム)

来ました、来ました。どうなることやらと思ったが、テレビの前で思わず吹き出してしまったし、きちんと再現されていてので安心した。原作でも十分面白いのだが、実際に音声に変換してみると、この言葉の持つ珍妙さが笑いを喚起している。原作と同様、控えめにドラがおならのような動作をしていたが、「ドラえもんって、おならをするの?」という突っ込みはこの際ナシ。初期の設定が固まってない時期の原作ドラは、細かいことを気にせずに読むのが一番だ。わさびさんはこういうドタバタには合っているとは思うのだけれど、ドラが早口になったときにはやや聞き取りづらかった。ここは彼女の演技力の向上に期待したい。
次に、のび太がスローを付けるのだが、個人的にはスロー・のび太パートのほうが好みである。大原さんはたまに素の少女声になってしまうことがあるのだけれど、スローなのび太の演技は良かった。この話の中で最も好きなセリフ、

「ウファー ファー ファー ファー」

もちゃんと上手い具合に表現されていた。スローなのび太の間抜け面も、よく表現できていたと思う。しかし笑えるね、あの顔。カタツムリとの競争シーンでは、ジャイアン・スネ夫との絡みが新たに追加された。そういえば、この話はほとんどドラとのび太しか登場しない。原作では見知らぬ少年の役をアニメではジャイ・スネにやらせたのは良かったと思う。ドラが「ジャイアンスネ夫ジャイアンスネ夫ジャイアンスネ夫・・・」と早口で連呼するのはわさドラ独自の名セリフだ。そして私が子供心に強く印象に残ったシーンである、「ただい、まあ。」と言ってからの静止のび太は、時間の変化のシーンもうまく処理されており、良くできていた。和み目をしたまま、パパが帰ってくるまでずうっとつっ立っているのび太は、私も同じくのろまだったので子供心に強い印象を与えたのだ。最後のドラの「青森まで行ってきたよ。」もそのままだった。「北海道」ではなく「青森」というのが時代を感じさせるが、これも名セリフだ。
細かいことでパパは帰宅してから和服を着ていたが、これも原作どおりの再現に驚いた。いまどき和服は着させないだろうと思っていたが、やはりパパは和服が一番だ。

欠点もある。全体として迫力不足の感が否めない。やはり、BGMがあまりに目立たなさ過ぎる。大山版の「のろのろ、じたばた」も見たことがあるが、ドラやのび太の動きとBGMがシンクロしていて絶妙なリズム感があった。沢田さんにはもっと頑張ってほしい。

◆「ドラえもんミニシアター」
今回からの新たな試み。藤本先生の超短編を本編とは違った手書き風タッチで描くというもの。出典は「ぼく、ドラえもん」16号付録の未収録作品集の中の「さよならハンカチ」だ。2ページしかない作品だから、こういう形でアニメ化するのだろう。確かに、幼児誌や低学年誌に掲載された作品は2・3ページのものも多い。だから、こういう形で超短編がアニメ化されるのは大変いい試みだと思う。絵コンテ・演出は楠葉宏三氏で原画は関修一氏の「世界名作劇場」コンビだ。絵は手書き風だがタッチは意外にも藤本先生風で、Fイズムが感じられた。埋もれてしまうには惜しい超短編群を、どんどん発掘していって欲しい。私のお気に入りの作品「ボールに乗って」がアニメ化されるのはいつの日だろうか。楽しみに待つことにしたい。

◆「のび太のおよめさん」
コミックス第6巻に収録。ドラえもんのストーリーの中でもかなりの重要度を占める作品だ。なにしろ、のび太が将来しずかちゃんと結婚するのが判明した話だからだ。わさドラから見始めた人もいるだろうし、のび太としずかちゃんの話を最初に持ってきて視聴者に認識させようと言う意図があるのだろう。話の導入部はアルバムを家族で見るシーンではなく、下校途中にジャイアン・スネ夫にからかわれるというもの。「丸井マリ」の登場にはニヤリとしてしまった。原作の誕生日がらみのエピソードは今の季節にそぐわないためカットされた。これは特に違和感はなかった。アルバムのシーンはドラのみの登場。やはり、パパママに対して敬語を使うドラは不自然だったので、わさドラのパパママに対する今回のようなスタンスは良いと思う。また、この話で先生が初登場した。声は高木渉氏だ。「GTO」や「名探偵コナン」でお馴染みの方なので、私でも分かった。先生の叱り文句はややアナクロ的で、如何にものび太の先生といった感じだった。近未来の背景画は本当に「近未来」のように上手く描かれていたように思う。大人のしずかはかかずさんだったが、やはり大人の女性役となると自然な演技だと思った。スネ太郎のママ役はは高山みなみさんだ。スネ夫のママよりも早くスネ太郎のママ役で登場した。声に関しては大丈夫だった。あの怖いスネ太郎のママの作画も原作通りだった。話は淡々と進むが、個人的に好印象だったのがドラが未来ののび太の家を通り過ぎるときに、大人のしずかが「ドラちゃん・・・。」とつぶやくシーンだ。あれは非常に良い追加だったと思う。あれは大山ドラ中期のような原作以上と思わせる改良だったように思う。ラストはちょっとあっさりしていた。作品としてはまずまずの出来だった。

◆エンディング
今回もエンディングはなく、次回予告のみだった。やはり、ゴールデンタイムのアニメとしてはエンディングがないと締りが悪い。「パンポロリン!」で述べられているように、普通のアニソンを望む制作側と、話題性の大きいタイアップ路線を望むテレ朝側とのせめぎ合いなのだろうか。

ちなみに、ジャイアンの母ちゃん役が竹内都子(ピンクの電話)に決定したということだ。彼女は役者・声優経験もあるし、ドラえもん役でオーディションも受けていたとのこと。制作陣から直々にオファーがあったらしい。決して話題性だけの起用ではなく、声優だろうがタレントだろうがオーディションは厳正に行われたということを示すものだろう。

次回は、「どくさいスイッチ」(前編・後編)だ。3話目にこの話を持ってくるとは、原作重視の路線は本物らしい。ドラえもんの中でも1,2を争うブラック・風刺話であり、「人は一人では生きていけない」ということをこれほどまで上手に、しかしさりげなく伝えている作品である。藤本先生の天才性が発揮された傑作だと思う。次回が本当に楽しみだ。脚本は高橋ナツコさんだ。有能だがかなり個性的な脚本を書くことで有名な方だが、この話をどう料理するのか、心配でもあり楽しみでもある。「ちょっと、怖いお話だよ」と予告でドラが言っていたのにちょっぴりニヤリ。

声に関してはあまり書いていないけれど、わさびさんは前回に比べて落ち着いてきたし私の慣れも想像以上に早かった。というよりは、私はドラえもんの声は色々あって良いと思っているし、大山さんもわさびさんも「ひとつの個性」として別々に認識しているので、違和感とかそういうものとは別次元で捉えているのだ。私は原作も、大山ドラも、わさドラも同じように好きなのだ。それぞれには共通した面白さがあるし、違った良さもある。そしてそれぞれが皆「ドラえもん」である。私の中では複数のドラえもんが共存しているのだが、それは全体としてみれば「ひとつのドラえもん」なのだ。

何と言うか、わさドラの第1回放送を観てから、これほどまでに金曜日が待ち遠しくなったことはない。子供の頃に感じた「ワクワク感」や「ドキドキ感」がよみがえってきたようだ。とにかく、この路線を維持してくれるのであれば、私はわさドラを大いに支持したいし、これからも応援していこうと思う。

ドラえもん・ルネサンス

今回のドラえもんはよく、「原作回帰」と言われる。確かに、「ぼく、ドラえもん」23号の制作陣のインタビューを読む限り、スタッフは原作が好きで、原作の面白さを子供たちに伝えたいという意気込みが感じられた。実際の放送を観ても、不満点は突付けばいくつかは出てくるが、全体としては原作の持つ面白さを伝えようとした制作陣の取り組みは評価できる。

声に関しては、違和感を感じるのは仕方がないのだから、今はあまり多くを語る気はない。確かに水田さんの声はかなり甲高く、没個性のようにも思える。「原作のドタバタを演じるのにはいいが、彼女らに感動作は演じられるのか?」という意見もごもっともなのかも知れない。しかし、たった1日の放送と26年間蓄積したものを比較するのは余りにもアンフェアというもの。ただ私は「これもドラえもんの声なんだな。」と思ったし、声優としての水田さんたちのこれからの成長を願うばかりである。私にとっては富田耕生さんも野沢雅子さんも(お二人の演じるドラの声はサンプル音声で聞いただけだが)、大山のぶ代さんも水田わさびさんも、ついでに言えば黄色いドラを演じた高橋和枝さんも横山智佐さんも、私にとってはドラえもんである。だから私はいち藤子ファンとして暖かく見守ることを心掛けようと思う。

どうも、否定的意見ばかり見てきて精神的に疲れてしまったようにも思える。掲示板上での反論や指摘ももちろんしたのだが、こういう否定派だか肯定派だかの言い合いを見ていると、なんだか悲しくなってしまう。私が反論や指摘をしたのは否定派を納得させるためではないし、「もう見ない」という人がいれば、人の考え方は人それぞれだから、それはそれでいいと思う。だけれどせめて後何回か見た上で判断をして欲しい。個人的な印象だが、否定的意見は感情的で時には単なる中傷やパッシングにも思えるような意見が多かった気がするし、「まず声ありき」で芋づる式に作品や作画まで批判してしまったのではないだろうか。もっと脚本や作画に深く言及した批判的意見が見てみたかった。もしあれば、私はその意見を最大限に尊重したい。

ところで、15日の放送前のスーパーJチャンネルで「すべて見せます舞台裏 新ドラえもんの『秘密』」と題したリニューアル版ドラの特集を放送していた。それは公式ページで事前に知っていたので、私は録画予約をしておき、放送後の翌土曜日に視聴した。まず、「どこが違うの?3つの変化」と題してキャラクターの絵の変化を取り上げていた。そこでは原作のカットも登場し、しきりに原作重視であることを強調していた。3つの変化と言うのは「ドラえもんの頭が大きくなった(2.5頭身から2頭身に)。」「スネ夫の身長が小さくなった」「しずかちゃんが黒髪になった」というもの。確かに原作に準拠すればそのようになる。原作を知らない視聴者に配慮してのテレ朝のアピール作戦だろうか。
新シリーズの初アテレコシーンも紹介された。13時間もの長きに渡る収録で、やはり初回と言うことで緊張している声優さんが多かったようだ。ここで特に印象に残ったのは、「(最終選考の時と)あまり変わっていませんけど、原作とか読んでもらえました?」と関さんにスタッフが詰問するシーンだ。やはり、原作の面白みを伝えたいという真剣なスタッフの思いが伝わってくる。当たり前のことだけれど、関さんに限らず新声優陣の方々には原作を必ず読んで欲しい。
次にジャイアン役の木村昴君とドラ役の水田わさびさんにスポットを当てた特集。まず驚いたのが木村君。なんとドイツ人の父と日本人の母を持つハーフだったのだ。さらには父親はオペラ歌手で音大教授、母親は声楽を学んだ音楽一家とのこと。当の昴君も父親と母親に挟まれていい声を出していた。前ジャイアン役のたてかべ和也さんも歌が大変お上手だったということで歌を下手に歌うのに苦労したそうだから、木村君もあの騒音にも等しい下手な歌を再現するのには苦労するかも。次に水田さんが故郷に帰り恩師と再会し、家族に挨拶するというもの。彼女の中学の卒業文集には「自分に一番向いている職業は声優しかないと思った。」と書いてあり、夢に向かってまい進してきたんだな、としみじみ感じた。まだ保護された身分とはいえ将来の夢もあやふやでぐらついていて目標もない私はいったい何なのだ・・・。

ここで本題。本項のタイトル通り、ドラえもんの原作について少し考察してみたい。

私は単刀直入に言ってしまえばドラえもんの面白さは「ごった煮のエンターテインメント性」にあると思う。よく、夢とか友情とか勇気とか希望とかがドラえもんのテーマとして語られることが多い。もちろんそれらもドラえもんと言う作品を包括するひとつの要素ではあるものの、それらが全てではない。むしろ、そんなものは上っ面に過ぎないと思う。笑いありSFあり夢あり冒険あり友情あり風刺ありブラックユーモアありナンセンスあり・・・。「とにかく読んでいて面白い!」と強く感じる作品ばかりだ。それは「SF=少し・不思議」と自ら定義する藤本先生の漫画家精神の体現でもあるのではないだろうか。それについては「藤子不二雄atRANDOM」の管理人さんも日記で述べており、私も全く同感であると思った。

私の主観だが、藤本先生は「読者を楽しませること」を第一に考えていたように思う。「自分が描きたい作品」ももちろんおありになったのだろうと思うが、先生は自らの作品に対しては常に厳しく、珍しく「楽しんで描いていた」とおっしゃっていた「モジャ公」も、連載上では余り長続きしなかった。新ドラ監督の楠葉氏は「ぼくドラ」23号のインタビューで「子供の頃『モジャ公』を読んでSFに触れたショック。そういったものを今回のドラえもんを通して伝えていけたら」と述べられていた。確かにモジャ公は一連のF作品の中でもかなりの傑作の部類であろう。

私は「藤子不二雄」という漫画家が好きであり、それはA先生もF先生も変わりない。A先生の作品群も本当に素晴らしい。特に「笑ゥせぇるすまん」がお気に入りだが、A先生は逆に「自分が楽しんで描いている」と感じる部分がある。そこに読者が共感し、作品の世界に引き込まれていくのであろう。そこにはブラックユーモアやゴルフやギャンブルや自伝など、とにかく自分の興味のあることを描いてみようとする精神が窺える。私がF先生を「手塚治虫先生タイプ」の漫画家であると決め付けるならば、A先生は「水木しげる先生タイプ」の漫画家だと感じることが多いのである。

で、ドラえもんの原作だが、それは「ありえない夢物語」として語る人も多い。しかしそこには誤解も含まれているように思う。ドラえもんなどの一連のF作品は常に「日常の中の非日常性」がテーマとして語られることは有名である。平凡な町並みに、平凡な主人公。そこに異世界から突如「異分子」が登場し、そこから話がスタートする。「ドラえもんは一種の実験漫画」と藤本先生がおっしゃっていた。そこにはいつもは日常に根ざしていながらも、なにかしら非日常に片足を突っ込んでいる。「これをこうすると、どうなるんだろう!?」というワクワク感が、そこにはある。

アニメはそのような原作の面白さを伝える「橋渡し」的な作品になってくれたらと思う。アニメを見て子供たちが興味を抱き、原作漫画を手にする。藤本先生亡き今、私たちには藤子漫画の素晴らしさを次世代に伝えていこうとする努力が求められている。

新番組「新車ファイル クルマのツボ」の感想

  • Posted by: Rainyblue
  • 2005-04-18 Mon 17:54:41
  • Cars
三本和彦さんの「新車情報」に変わり、4月から「新車ファイル クルマのツボ」がTVK系列でスタートし、私も群馬テレビ経由で15日の金曜日に視聴した、15日は、私の頭の中はドラえもんのことでいっぱいだったため、危うく見逃すところであった。

あの三本和彦さんの事実上の後番組のわけだから、実際あまり期待せずに見ていた。今回司会を務めるのはモータージャーナリストの岡崎五朗氏、アシスタントは小森谷徹氏と大原裕美さんである。 岡崎氏は新車情報にもたびたび顔を出していたし、モータージャーナリストの中ではかなりの稼ぎ頭だ。果たして三本さん並の支持を得ることができるのだろうか。

あくまで新番組だから番組名は違うのだが、スタジオや演出は新車情報とほぼ同じであった。第1回はコルベットだ。いきなりアメリカの高級スポーティカーを持って来るとは、やはり番組の趣旨が違うのだろうか。今後の放送予定は次の通り。


番組スケジュール
4月10日 ニューコルベット
4月17日 クライスラー 300C
4月24日 アウディ A4
4月 1日 三菱 ランサーエボリューションIX
5月 8日 メルセデス・ベンツ Aクラス
5月15日 日産 エルグランド 2.5
5月22日 トヨタ ハリアーハイブリッド



割と外国車や高級車が多いようなので、前とは少し番組の趣旨が違うのかも知れない。

感想としては、やはり三本さん張りのケチや不躾が見られなかった。ただ、まだ第1回の放送なのでこれからも暖かく見守ることにする。




新たなスタートラインに立つ、されど論争止まず

テンプレートを16日入荷の「greenboy」に変更した。しばらくはこれでいこうと思っている。

リニューアル版ドラを一昨日視聴したのだが、その日に限って所用のためリアルタイムで見られなかった。録画したビデオを見た感想としては、原作の面白さや藤本先生らしいキャラの動きが再現できており、「原作の面白さが帰ってきた」と感じ、私としては好印象であった。声に関しては確かにわさびドラを始めとして軒並み高い声であり、違和感を感じるのは仕方がないのだが、元気があって良いと思ったし、のび太の友達としての本来のドラを演じるには最適かどうかは分からないが、水田さんは適役の一人であろう。甲高い声に関しても、大山さんも初期は甲高い声だったので時間と共に声のトーンも落ち着いてくるだろうから、あまり騒ぐのは早計であろう。

前項で少しだけ触れたが、その感想を書き終えた後、お気に入りのブログやファンサイトの掲示板をいつものように順番に見ていったところ、やはり書き込みの量が半端なく多かった。やはりネット上での意見は気になるところだが、全体を見渡してみると「賛否両論」といったところだろうか。また、サイトによって意見の傾向が違うのも興味深いところだった。書き込みの量が多い有名所では「藤子不二雄atRANDOM」やリニューアルした「ドラちゃんのおへや」では比較的冷静な意見が多く、肯定的に捉えている傾向が強かったように感じる。また、「ドラえもん'sホームページ」では書き込みの量が一番多く、そのほとんどが非難・パッシングであったように思えた。ここはYahooのおすすめにも登録されているし、サイトのコンセプトからして若年層が集まりやすいのだろうが、やはり世代の違いなのだろうか。しかし明らかに中傷と受け取れる書き込みや勘違いが見受けられたのには疑問を感じずにはいられなかった。

そこで今回は私なりの考えを示してみたいと思う。

先ほど賛否両論と言ったが、ブログや掲示板の書き込みの数から言えば今回のドラに関しては概して否定的な意見が多い。これにはそれなりの理由があるのだろうか。

まず、個人的に気になったのは「こんなのドラえもんじゃない!」という意見だ。放送のどこを指してこのような意見を言っているのかといえば、原作重視になった部分を指している場合が多いのだ。これは「はなバルーンblog」でも述べられている通り、個人的にショックを感じた。具体的には、「のび太の家が現代風に変えられてしまった。」「ドラえもんがのび太と同じ友達に成り下がってしまった。」「大山さんのドラの暖かさや頼りがいのあるドラはどこへ行った?」「ドラの言葉遣いが乱暴だ。」「キャラデザインがぜんぜん違う。」などである。

のび太の家の外観や間取りに関しては、ほぼ原作どおりであるので批判すべき要素は見当たらない。また、ドラえもんにはもちろんのび太の保護者としての一面があるものの、実際はちょっとドジで間抜けでのび太と一緒にバカをやることもあるし、のび太に対してはシュールな目つきで毒を吐く割には自分のことになると異常なまでに感情をむき出しにする。別にドラは万人に愛されるような健全なキャラではない。だから原作にあるような喜怒哀楽の激しいキャラが本来のドラであると私は思うし、藤本先生の描くキャラクター像に一歩でも近付いたと考えるのは私だけだろうか。

原作ではドラの言葉遣いは確かに乱暴と感じる部分があるかも知れない。しかし、それがドラとのび太のリアルな友達関係を示しているはずだ。キャラデザインに関してはほぼ原作通りである。感じ方は人それぞれであるが、藤本先生のタッチに近付けようとした努力の跡は窺える。

しかし、ここまで大山ドラが浸透しているとは驚きだし、若年層の原作の認知度・理解度・重要度もここまで低いとは思わなかった。大山さんはある意味では原作のイメージを塗り替えてきたのだろう。それを悪いとは言わないが、ここで改めて藤本先生の作り出した原作の良さをできるだけ多くの人に知って欲しいし、今回の新ドラが若年層の原作を読むきっかけになってくれればと思う。その意味では原作重視である今回のドラには期待している。

次に、「似ている人は探せばいくらでもいただろうに、なぜ大山さんに似た人を選ばなかったのか」という意見だが、これについては私の個人的見解を示したいと思う。
私は水田さんには大山さんの物真似だけはやって欲しくないと思っている。だから似ている人の起用がなかったのもこれはこれで良いことだ。大山さんの声は確かに唯一無二といって良いくらい素晴らしい声だが、たかが物真似でドラえもんの声が務まるとは思って欲しくないし、偉大だからこそ新しい声に挑戦する価値があるのではないだろうか。どうしても前任者を意識してしまうし、大変だとは思うが水田さんたちにはぜひ自分たちの個性溢れる独自の声を作り上げていって欲しいと切に願う。

「アニメはアニメの良さがあり、何も原作を意識する必要はない。」という意見も、少なからず見受けられた。これについては一理ある意見だと思うが、藤本先生逝去後の迷走しまくったアニメドラよりは、もう一度藤本先生の原作に、原点に立ち返ろうという制作陣の姿勢は評価してあげてもいいのではないだろうか。ドラえもんは藤子・F・不二雄という偉大な漫画家が創り出した素晴らしい作品なのだから。

<参考リンク>
4/15 新ドラえもん 反応リンク集
<参考エントリ>
ドラえもん声優交代に対する反応におけるファン層の分析

ドラえもん(わさドラ)第1回「ついに登場!! あっ、ドラえもんだ! 春満開パワーアップ60分スペシャル」

旧題:アニメ「ドラえもん」リニューアル版の感想

4月15日は水田わさびさん演じるアニメ「ドラえもん」の第1回目の放送日だ。私は所用でリアルタイムでの視聴ができなかったので、ビデオに録画したものを先ほど見てきたばかりである。もう既にあちこちの掲示板やブログでは怒涛のごとく書き込みがなされているようで、私もできる限り確認してみたのだが、予想通りと言うか何と言うか、否定的な書き込みばかりであった。まあ、長年大山さんの声に親しんできた人達にいきなり「受け入れろ」と言うのも酷な話だし、そういう意見ばかりだというのは目に見えていた。私も感想を述べようと思うが、私はあくまで冷静に、客観的な記述を心掛けようかと思う。実際は主観の入った意見ばかりかもしれないが・・・。やはり1回見ただけで総合的な判断をする、つまり「決め付ける」のは早計だし、数ヶ月間は見てみないと実際のところは良く分からない。だからこれから書くことはあくまで今回の放送を観た時点での感想である。

書きたい事がたくさんあるので、いくつかのトピックに分けて書いてみたいと思う。

◆声に関して
これが事実上最も大きな変更点であろう。まだ1回目の放送であり、キャラに対するイメージや演技力など、どうしても前任者と比較してしまいがちである。だが声優は役者であり、これからどんどん成長していくと思うので、これから書くのは今日の放送を見た限りの感想である。

・ドラえもん(水田わさび)
かなり甲高い声である。イメージとのギャップを感じる人や、慣れるまでに時間がかかる人が多いのかも知れない。ただ、下手に大山さんの物まねをされるよりは全く新しい声を作ってくれた方が良い。「勉強べやの釣堀」の回で、「確かに・・・。」と言っていたときのような低い声が常に出せれば万人に広く受け入れられるだろうし、歳をとっていけばかなりいい声になると思う。水田さんには自分なりの「わさドラ」を作り上げていってもらいたい。

・のび太(大原めぐみ)
小原さんのようなねちっこい声ではなく、さわやかな少年と言った感じの声である。今までよりも賢く聞こえる。結構いい感じの声なので、後は演技力をどれだけ付けられるかによるだろう。

・しずか(かかずゆみ)
お嬢様っぽい感じの声だ。キャラに対するイメージで言えば、原作初期の相手を見下すようなお嬢様キャラだった頃のしずかちゃんに近い。台詞も少なかったし(初台詞がお風呂シーンというのもすごいが)まだ未知数といったところか。それなりにキャリアのある声優なので、演技は特に問題なかったように思う。

・ジャイアン(木村昴)
若々しいジャイアン声だ。心配されていた14歳の少年の起用。だが、予想を裏切るような自然な演技だった。声もまた然り。まだ若さゆえの物足りなさはあるのは否めないが、もう既に貫禄十分と言った感じの木村君。これからが楽しみだ。

・スネ夫(関智一)
さすがメンバー一のベテラン声優だけあって演技は良くできていると思う。声もやや高いが自然な感じだ。「キテレツ大百科」のトンガリに似ている気がする。今の時点で特筆すべき点は他に見当たらなかったので大丈夫であろう。

・その他のサブキャラ
のび太のママは個人的にはかなり変わった印象を受けた。しかし、いかにも母親らしい声なのでこれはこれでいいのだろう。台詞は少ないがのび太のパパは頼りなさそうな声が好印象であった。しずかママも特に違和感はなかった。キャストは、のび太のママ:三石琴乃、のび太のパパ:松本保典、しずかのママ:折笠愛、幼いのび太:門脇舞であった。元セーラームーンが母親役とは、時代の流れを感じた。

◆オープニング
女子十二楽坊の演奏はいつもの彼女らのオリエンタル風味が薄く日本的な印象を受けた。演奏自体に問題はないと思うが、やはりここで歌が欲しいところだ。これを伴奏にして実力ある歌手に歌ってもらうのがいいかも知れない。背景の手書き風の絵に関しては原作ファンならニヤリとさせられるような絵(ノラミャー子など)があり好印象であった。エンディングは全くなかった。事前の発表もなかったし、来週のお楽しみということなのだろうか?

◆サブタイトル
サブタイトルに関しては、単行本と全く同じタイトルの採用である。これはスタッフ側が原作を意識してのことだろうが、藤本先生のサブタイトルは凝ったものが多いので(編集者が付けたのも多いが)、これは良い傾向である。そして、サブタイトル画である。これは個人的にはかなりツボにきた。まず色々な道具が流れ、どこでもドアを開けるとクレパス調のドラの絵にサブタイトルの文字が浮かぶ。ちなみにこのクレパス調のドラの絵は、サブタイトルごとに違うが、実はコミックスの背表紙のドラの絵から用いられている。ということは全45種類+α用意されているのだろうか。コミックスを手元にお持ちの方は確認されてみてはいかがだろうか。今までの「ピコピコン」と言った感じの効果音が流れた後に出るシンプルなサブタイトルも良かったのだが、今回のはそれにも増してセンスの良さを感じた。

◆音楽・BGM
音楽は菊池俊輔氏から沢田完氏に変更となった。沢田氏は「ケロロ軍曹」などの音楽を担当している。それに伴い、BGM・効果音は一新された。菊池氏は本当に素晴らしい作曲家であるし、音に関しても馴染みのある人がほとんどであろうから、違和感を覚える人も多いのかも知れない。私はなるべく前向きに捉えるために「どんなBGMになるのだろう!?」という気持ちで聴いていた。一回聴いた限りではまだ新しいBGMの印象が薄い感じがしたが、それは言い換えれば作品によく馴染んでいたという事なのかも知れない。効果音は重要な要素だが、もうひと頑張りといった印象を受けた。とにかく、サブタイトル表示時と提供スポンサー表示時の曲しか頭に残っていないのである。だが曲自体は気に入ったので、沢田氏にはどうかドラえもんの雰囲気に合ったBGMを作ることを心掛けて欲しい。

◆作画に関して
・キャラクターデザイン
新シリーズのキャラ設計は渡辺歩氏である(総作画監督は丸山宏一氏)。大山さん末期のドラえもんでは過剰な演出をしていた人であり(個人的には好きな話もあったけれど)、一部では「ドラ・クラッシャー」とまで呼ばれていたのだが・・・。実際は、「ぼくドラ」23号のインタビューや設定画を見る限りではかなり原作ファン的な視点を持っており、藤本先生の絵に忠実にしたいと言っていたので、心配はその時から薄れ始めていた。改めて今回の作画を見たのだが、かなり好印象であった。「3」口や「ハ」のような形をした和み目、「舌出し」の再現もなかなか秀逸であった。設定画の時点でものび太たちの家は原作にほぼ忠実であり、主要キャラのデザインに関しても原作通りであったのだが、唯一の心配事項である大きな黒目もさほど気にならなかった。

・背景画
背景画は水彩画タッチで淡い印象だ。これは主に美術監督の清水としゆき氏の仕事であると思われる。この背景画は今までの藤子アニメというよりは非シンエイ動画作品である「キテレツ大百科」の流れを汲んでいるようだ。キテレツでは、あの水彩画のような背景画が目立ちすぎず、かつ確実にアニメ作品を支えており、アニメキテレツの重要なファクターとなっていた。背景に関してはキャラデザが気に入った方でも賛否両論があるかも知れない。ところで、今回の放送を観て、「背景が雑だ」と思われた方もおられるかも知れない。しかし、それには誤解も含まれているように思う。あの背景画は実際は相当丁寧に描き込まないとあのような質感は出せないのだ。遠近法の駆使の仕方と、緻密な描き方はスタッフの職人芸を感じた。私が感じたのは「美しい」という印象だった。ただ、問題点もある。あの背景がドラの世界に合うかどうかである。今回の放送を見る限りでは動画とややマッチしていない面もあった。この辺は動画と静止画との摺り寄せが重要になってくるだろう。個人的には、あの背景はドラに合っていると思う。

私としては藤本先生タッチの絵がアニメで動いているのを見られるのは嬉しいことである。実は、私は渡辺氏には密かに期待している。というのも「帰ってきたドラえもん」以降の併映短編作品におけるリアルで、どこか懐かしくて温かみのある背景画に痛く感動してしまったからだ。作品自体は過剰演出の面があったものの、素直に感動することができた。彼の心配事項「暴走」も、楠葉総監督と善監督が上手くセーブしてくれるものと思っている。彼はアニメーターとしては類まれな才能を持った逸材だと思うので、どうか藤本先生の原点を忘れずにいて欲しい。

◆CG技術
時代の変化と共にCG技術は格段に進化した。ドラえもんとて例外ではない。今回ドラの道具に使われているのは「トゥーンシェード」という技法である。これはCGをセル画のように見せる技法で、CGをアニメーションの中に違和感なく取り込むには有効な技法であり、近年盛んに使われている。「ワンニャン時空伝」の時のCGの道具はイマイチだったが、今回は成功したと思う。特に、「ほんやくコンニャク」のプルプル感はなかなかのものだった。タイムマシンの超空間もリニューアル。透明感溢れる「少し不思議」な空間へと変貌した。また、背景を動かす時にもCGが使われている。背景を動かすとどうしても粗が目立ってしまうのがアニメーションの欠点なのだが、それを解消するためにも有効であろう。のび太の家を伸ばしたり揺らしたりしていた時もCGが使われている。こうしてみると「ドラえもんはCGだらけで大丈夫なのか」という声が聞こえてきそうだが、私は最小限に留めていると思う。むしろ、藤本先生存命中からアニメドラはCGに対して積極的であり、映画ドラにも最新のCG技術が使われていた。「ぼくドラ」のインタビューで、善監督が2006年の映画「のび太の恐竜2006」に関して、「CGは物語を引き立たせる上でのアクセントとして使うが、基本は人の描いた絵を大切にしたい。」と述べている。CGに関しては上手な使い方を期待したい。

◆作品に関して
15日放送分の3作品について私なりの感想を書いてみたい。

・「勉強べやの釣堀」
この作品は原作にもあるが、大山版ドラの放送開始時のパイロットフィルムとして作られた作品でもある。以前に放映もされたのだが、これは「ぼくドラ」1号の付録のDVDで一躍有名となった。このパイロットフィルム、シンエイ版ドラ初作品にもかかわらずかなりの出来映えである。ドラたちがツイストを踊るなど、時代を感じさせる要素もあったが、こと空間表現においては新ドラでも及ばない部分があったと思う。
内容はほぼ原作通りに進み、中盤の沈没船で大ダコに襲われるシーンが新たに追加された。水田さんが某アニメでタコ型ロボットを演じているので、タコを出したのは何か意味があるのかという邪推までしてしまったが・・・。しずかちゃんのお風呂シーンの復活は良かった。作品としてはまずまずの出来であろう。この作品はカメラアングルや演出など、とかく先述のパイロットフィルムを思わせる部分が多い。それには大山版に対する強いオマージュを感じさせる。大山ドラを否定したり、破壊したりという考え方ではこの作品は作れまい。大山ドラへのリスペクトがあるからこそ成立しているのだと思う。この話はドラえもんという作品の持つ面白さのエッセンスを端的に知ることができる作品として選ばれている。

・「タイムマシンがなくなった!!」
個人的に原作の中で好きな作品の一つ。のび太の言う「ななまたのおろち」は初めて読んだ時よく悩んだものだった。実際は「やまたのおろち」の首は環状に繋がっており、又の数も八つあるという説があるらしいのだが。内容に関しては、淡い背景画が印象的で、原作とほぼ同じ台詞が好印象であった。「ケルカモ ケリ カモネム」のセリフが出てきたときは思わずニヤリとしてしまった。BGMのせいなのか、やや盛り上がりに欠ける部分があったと思うが、思い入れの強い作品であるし、割と良く出来ていたのではないだろうか。

・「思い出せ!あの日の感動」
まず、「ハジメテン」という薬の道具が「はじめてポン」というスタンプ状の道具に変更されていた。それ以外はほぼ原作通りだ。これは心に作用する薬を安易に使うのは良くないと配慮だろうし、私もそこまで原作に忠実にしろと言うつもりはない。空しいのび太が印象的な作品なのだが、やや大原さんの演技に不満が残るものの、3作品目として上達したと感じられる出来であった。
私はこの作品を見ていたく感動してしまった。本当に「あの日の感動」を思い出さなければならないのは誰なのか。それは私たちドラえもんファンなのではないだろうか?コミックスを読んで楽しみ、毎週金曜日のアニメドラが待ち遠しかったあの頃・・・。わさドラは、そんなあの頃の純真な気持ちを喚起させる内容になってくれればと思う。原作も好き。大山ドラも好き。わさドラも好き。それぞれには同じ面白さと違った良さがあり、それぞれがみな「ドラえもん」である。ドラえもんファンは、そういう心の広い人間でありたい。子供の持つ根底の部分での気持ちは、私の頃とそうそう変わっていないだろうから、「大人も子供と一緒になって夢中になれる」という作品が本当の「子供のための作品」なのではないだろうか。

◆総括
全体としては及第点の付けられる出来であった。確かに声は変わったが、藤本先生の持つ原作の面白さが帰ってきた。一部では辛辣なまでの批判が相次いでいるが、もっと冷静に考えてみて欲しい。藤本先生の描いた素晴らしい原作という点で鑑みれば、少なくとも大山さん後期のドラよりは数倍面白いと断言できる。

また、他のブログや掲示板に書いてあることの分析や反論、あるいはもっと詳しいことも書きたいのだが、時間が尽きたのでそのことに関してはまた別項で述べることにする。

・・・と言っても、人の意見は様々だ。ドラえもんという歴史の長い作品を見渡しててみると、ファンの嗜好や考え方の傾向も本当に色々だなあと、つくづく思う。

全体として、作品として見て面白い本来のドラえもんに帰りつつある印象を受けた。これからも暖かい目で見守っていきたい。

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