青い空はポケットの中に - Essay

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Macにチェンジしてみたの巻

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-11-14 Sat 07:01:08
  • Essay
作業効率の99%は本人のやる気に依存するようで、パソコンを買い替えたのにそれが一向に上がりません。ミーハーなので3台使い倒してきた富士通のパソコンからMacにチェンジしてみました。iMacの21.5inchモデルです。部屋の様子もがらりと変わりました。

DSCN0175_convert.jpg
色々と困ることもあるかと思ったのですが、とりあえず今のところは致命的な部分はないようです。操作感もキーボードの感覚はまだ掴めないけど、文字が打てないという訳ではないのでゆっくりと慣れていくつもり。設計思想の違いによる微妙な差異はあっても、アイコンをクリックしてウインドウを開いて操作するという基本的な部分では変わりません。とにかくCPUがCore 2 Duoにメモリが4GBになったので動作はサクサクです。

大学入学と同時に買った前のパソコンは2年半以上使ったけど個人的に限界を感じてしまいました。まだ壊れたわけじゃなのでクリーニング&フォーマットした上で実家で使います。Windows Vistaは嫌いじゃないけど、肝心のパソコンの性能がPentium 4にメモリ1GBというのがまずかったみたい。部屋に居るときはまずパソコンの前にいるので、文学部生っぽく言えばパソコンは「拡張された身体」みたいな感覚で、これが快適じゃないと困るわけです。

それで前のパソコン、使い始めた当初は良かったけどしばらく経つと、遅い、遅すぎるううう……と叫びたくなるくらい重くなってしまいました。

DVDレコーダーが高くて買えないのでテレビの録画はパソコンに付属の地デジチューナーを利用しています。ただこれがメモリを食う代物で、しばらくするとまともに録画できなくなりました。金曜日はサークルに行くので『ドラえもん』は毎回録画予約を設定しているのですが、ここ数ヶ月は失敗続きでほとんど見逃してしまったのです。『ドラえもん』が見られない生活は私には耐えられません。もちろん、Mac用の地デジチューナーも同時購入してしまいました。

アップル社の製品を賛美する気はさらさらありませんが、この会社、モノに対する演出が上手いなと。外箱や梱包はとにかくきれいだし、まるでプレゼントの箱を開けるような演出。バレンタインチョコを開けたときの感覚みたいな(もらったことねーけど)? 初めてスイッチを入れればウェルカム・ムービーが流れ、さくさくと初期設定が進む。ああ、こうやって物好きなユーザーを獲得していったんだなって感じ。

ネットの接続設定が一瞬で済んだのにはびっくり。一番四苦八苦する箇所だと思ってたので意外でした。データの移行もスムーズで、FirefoxとThunderbirdのデータはMacに丸ごと移行できます。iTunesの12,000曲あまりの曲データとプレイリストや再生回数も完全移植OK。まあこれはアップルのソフトだからできなきゃ困るか。移動する可能性のあるデータはすべて外付けHDDで管理していたのでその辺は問題ありません。

ワープロソフトは当面NeoOffice(フリーソフト)で問題なさそう。レポート程度の文書なら複雑なレイアウトは必要ないしね。

いいところはとにかくフォントが美しいこと。Windowsで明朝体を見るとげんなりしていたけど、パソコンが変わるとこうも変わるものなんですね。ここはMacに軍配を上げざるを得ないようです。

でも一部のMacユーザーみたいに排他的な偏愛感情を持つ気はありません。Macにチェンジしたのも単なるミーハーな動機。どうせWindowsも入れるので(Windowsが公式でサポートされてるのもMacにチェンジする敷居を下げた要因)。愛着はそれなりに持つけどパソコンはただの道具。快適に使えればそれでいいんです。

iPodを流行らせた戦略が功を奏したのでしょう。あれがなけりゃMacに興味を持つことはなかっただろうし。ただiPhoneには全く興味が沸かないなあ。日本の特殊な携帯電話事情にローカライズされていない携帯電話を持つ気はないし、docomoからスイッチもしたくないので。

一番困ったのはSAIがMacに対応してないのをすっかり忘れてたこと。あれ使いやすくて気に入ってるんだけどWindows専用なんだよね。まあ、どのみち近いうちにWindows 7も導入するので問題ないです。DSP版なら1万5千円以内で買えるので。お絵描きなら当面はPhotoshop Elementsで何とかなります。というか前のパソコンはSAIを使ってるとレイヤー10枚程度で永遠の砂時計になってしまうのでお絵描き環境の改善は急務だったのです。

面白いソフトといえばMacには標準でGarageBandという音楽製作ソフトが付属しています。録音機能も備えているので、ギターを録音するケーブルは既に持ってるし何か録ってみようかな。思いっきりヘタクソだけど。とりあえずループ音源をいじってるだけでも楽しいねこれ。あらかじめプリセットされたループ音源を組み合わせるだけで、楽器が弾けなくてもいちおう作曲らしきことができるようになっているらしい。

シューゲイザーってノイズ出してりゃいいから簡単じゃね?って思ってた時期が私にもありました。でもそうはいきません。なんにしろギターは難しい。弾けたところで今度はノイズの出し方に向き合わなきゃならないから。お金さえあればギターを習いたい。楽器って絶対誰かに習った方が上達すると思うんです。小学4年生の時だったかな、音楽の時間にクラスの女子を味方に付けてピアノ習ってる子に鍵盤ハーモニカを指導してもらって、音楽発表会でキーボードのポジションをゲットしたことがあります。あの時の上達の早さは半端なかったなあ。

ギターといえば今日のスタジオの帰りにギターケースがとうとう壊れてしまいました。もう2年以上使ってたんだけどスライダー部分が弱くて、1年後に片方のスライダーが割れてしまい、この日とうとう片方が割れてしまいました。ギターケースは必需品なので買い直さなければなりません。大出費をした直後にまた出費とは痛過ぎ。

ギターは下手な癖にバンドもスタジオも楽しいんだけど、今月はサークルの単独展に専念しなければ……。リスト製作の仕事請け負っちゃったし、自分の絵も描かなきゃなんないし。自分の絵を改めて見るといつも恥ずかしくなるので過去作品は出しません。あえて少女趣味な絵を描いたりしてるのには理由なんてないけど。どうにか5枚くらい描きたい。今度は音楽趣味な絵を描いてみようか。でも何描こうか思いつかない。ミュージシャンの肖像画じゃ野暮だしなあ。

早稲田祭でライブをしたかったけど、去年のような合同音楽祭企画が存在しなくて断念せざるを得なかったのは苦い思い出になりそう。またみんなを呼びたかったな……。ライブハウスに呼ぶとしても、わざわざ遠くまで来てもらった上にお金まで払わせる訳だからそう気安くできないしね。

来年、最後のチャンスあるかな。結局今年の早稲田祭は戸山キャンパスにしか足を運ばなかったんです。毎年両親と弟と祖母を案内してあげてたんだけど、今年はとうとう来なくなりました。弟が受験なので人混みで新型インフルエンザでもうつされちゃ大変だもんね。ああ、ギター弾いて少し元気が出たと思ったら最後と聞いて切なくなっちまったじゃねーか!

去年の展覧会で、サークルの交換ノートにもう俺に残された時間はない云々という2ページにも渡るウザい長文書いたらみんなに「病んでる」とか言われたっけな。もう誰も覚えてないと思うけど。まあ今年は病んでる余裕もないしもう病みたくない。まあ実際昨年後半のメンタルはヤバかったかもしれん。

TSUTAYAの半額クーポンを利用して邦楽をいっぱい借りてみました。フリッパーズ・ギター、ナンバーガール、the pillows、ピチカート・ファイブ、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、フルカワミキ、中村一義、東京事変。どれも素晴らしい、というか邦楽も侮れないね。洋楽至上主義では全くないけど邦楽はあまり開拓してこなかったのでもっと色々聴いてみよう。

ピロウズはUK志向が強くていい感じ。フリッパーズはベスト盤よりフルアルバムの方が圧倒的に良いと気づきました。ミッシェルかっこよすぎ。東京事変はセンスの良いプロの仕業。ナンバーガールも個性的でかっこいい。フルカワミキの1stは初期スーパーカーっぽい1曲目と12曲目がツボ。中村一義は才能の塊の上に何だか共感できる。ピチカート・ファイブは昔NHKの「みんなのうた」で流れてて好きだった「メッセージ・ソング」を聴いたらすごく懐かしくなりました。

▼ピチカート・ファイブ - メッセージ・ソング


今日オープンするH&Mの新宿店に行ってみようかと思ったら昨日夜の時点で既に行列ができていると聞いて行く気が失せてしまいました。Jimmy Chooコラボが気になってたけど皆考えることは同じか。日本上陸した直後に原宿店に行った時はメンズの品揃えにがっかりしたけど、少しは良くなってるんだろうか。ユニクロの「+J」も結局何も買わなかったしなあ。あれ独立して専門路面点を構えるそうですよ。せっかくのジル・サンダーだし利用しない手はないけど値段上がっちゃうかもね。今季の冬アウターはまだ何も買ってないけど、何かひとつくらいは欲しいな。

A4用紙3枚のレポート程度で四苦八苦するのにくだらない独り言はいくらでも書けるのは何故?

ねえ、こっちでつぶやいてよ

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-11-01 Sun 03:05:11
  • Essay
Novemberという響きに哀愁を感じる。その響きに偽りなく、11月はハロウィンのお祭り騒ぎから一転して、木々も、街並みも晩秋の愁いを帯び始めてきた。冬支度を済ませる前に、落葉樹林は名残を惜しむかのような最後の輝きを見せてくれる。

どうも最近はTwitterに頼ることが多くなって、まとまった文章を書く機会が減ってきた。私のブログは2010年3月に開設5周年を迎えるし、10万アクセスまであと1万2千人と迫った。でもブログというものは最低でも週に1回は更新しないと正常に機能しない気がする。

今年弟が受験なので、実家に電話を掛けると度々その話題が出てくる。弟は理系で、数学科に行くことを心に決めたらしい。我が家は一族に大卒がいないので、基本的に私や弟の進路は当人の判断を尊重してくれる。

そうは言っても、自分の息子の将来が気にならない親はいないものだ。

「でも本当に数学科で大丈夫なの?」と、電話口の母親は心配していることを悟られないような口ぶりで私にそれとなく訊いてきた。弟が数学科を志望したのは、高校2年時の担任だった数学教師の影響が大きいと思われる。プライドが高く癖の強い性格だが、他の教師を圧倒する知識量と教え方の上手さに定評があったという。とりあえず弟には「教員免許は取った方がいいぞ」とアドバイスしておいた。

大学では自分の好きな勉強をするのが一番だと思う。私の高校時代は、文系の同級生は半数以上が経済・商学系を志望していた。でも失礼ながら彼らが本当に経済を学びたいのかは疑わしかった。私も人のことは言えず、理系だった高校2年までは工業デザイナーを目指していた。あの頃が最も確固たる将来の目標があったはずだ。物理に挫折して文転してからは、平たく言えば「メディア」に関心があったので、一浪を経てそれに関係する大学を受験して今に至る。

不況というのもあるが、将来への不安は常に付きまとう。一時期東京に嫌気が差して、夏休みはほぼ群馬の実家で過ごした。庚申山という小高い丘の麓にある我が家は実に不便だ。四方は山と田んぼに囲まれ、最寄りのコンビニまでは2km以上車を走らせないといけない。1時間に1本しか来ないローカル線の駅までは5km近くもある。それでも、少しだけ残暑も和らいできた田園風景の中を風を切りながら自転車を走らすと、そんな田舎も悪くないのかな、と思ってしまう。

受験生時代はとにかく群馬を出たくて、東京の都心部にある大学ばかり受験した。お世辞にもきれいとは言えない猥雑な雰囲気の街だけど、新宿と池袋に挟まれた場所にある大学のキャンパスをふと眺めると、「ほら、お望み通りにしてやったぞ」とでも言わんばかりにそびえ立っている。

2年半ほど東京の大学に通ったくらいで諦観したと言うつもりはない。ただ、将来地元に帰るのも選択肢のひとつとしては有りかな、と天秤にかけるようになってしまった。幸いにして、群馬は交通は不便だけど物価も安いし、東京までは2時間以内に出られる。東京、愛知に次いで有効求人倍率も高い。一流企業の転勤先としてはいつも人気上位だという。もしかしたら、そんな土地を地元に持ち、そこで暮らすことは「幸せ」の選択肢としては割といい方なのかもしれない。

大学1年の頃ならきっとこんな「ちっぽけ」な日記は書かなかっただろう。あの頃、イギリスの「田舎」マンチェスターの札付きのワルで、一介の工事現場の労働者からロックンロール・スターに成り上がったオアシスに憧れ、私はギターを手にした。コード弾きもおぼつかない腕なのに何度かライブのステージにも立たせてもらった。ロック・スターに憧れた。ロック・スターになりたかった。だが、才能とか経験とかテクニック云々以前に、何かが足りない気がしていた。

若く見られるのは嫌いではないが、そんな私だって22年も無駄に歳を取ってしまった。きっと「ちっぽけ」な自分を知ることは、大人になる第一歩なのだろう。でもそれは「ちっぽけ」な自分に安寧することを意味しない。「世界」へと自身を敷衍させ、自分が大きく羽ばたく第一歩でもあるのだから。オアシスからノエルが脱退して、リアムがオアシスの終了宣言ともとれる発言をし、もはやオアシスは事実上の解散状態であるとの見方が強くなった今、そんなことを考えてみた。

将来への途中経過をいちいち日記やTwitterに書くということはしないだろう。何ヶ月先になるかは分からないけど、「そうそう、就職決まりました」ってあっけらかんと日記に書くくらいで丁度いい。専攻の先生が言っていたが、映画だの芸術だのメディアだのを専門にしている人はどうも物の見方がシニシスティックになってしまうらしい。そんな悠長なことを言ってられない情勢だからこそ一歩引いた立場の気分で、将来への分かれ道を楽しんで歩いていけたらいいんだけどね。

ああでも、こんな青臭い日記を書いてしまう自分はまだまだ「青い」んだろうな。ライドというバンドが好きで、今はフロントマンの一人がオアシスでベースを弾いてるけど、青白く線の細い20歳そこそこの青年が俯いてノイズに塗れたギターをかきむしる姿がとても美しかった。そんな青い音楽が好きだもの。

幸いにして、今はそのようなバンドにギタリストとして身を置かせてもらっていて、また音楽を楽しむことができている。ゆるい繋がりが特徴のTwitter経由でバンドを組むなんて思ってもみなかったけど、それもまた意外で面白い。

そう、すべては白昼夢のように。

P.S. 登録してから1年以上放置していたTwitterが最近俄かに活況を帯びてきたので、もしよろしければフォローしてくださいな。まだの人はこの機会に始めてみるのもいいかも。アカウントは同じ「Rainyblue」です。
http://twitter.com/Rainyblue

繋がっている感覚

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-08-06 Thu 01:42:29
  • Essay
さてと……どこから話そうかな。

日々洪水のように流れていく出来事を少しでも堰き止めるためには、日記は毎日書くべきもの。そうでない自分は、轟々と流れる川に時折漂流してくる小枝や空き缶を拾い上げ、それらをちまちまと寄せ集めるかのごとくとりとめのないエピソードを抽出する、そんな肌感覚で日記に仕立て上げています。

とりあえず話すと、今日は「絵画会2年生展」に行ってきました。場所は原宿デザインフェスタギャラリー。原宿に行くたびに不思議に思っていたあの仰々しい建物(その隣の店で買い物をすることがあるので)。そうか、そういう施設だったんだと今日初めて知ることに。元はアパートのようだけど、アート系ではよくある活用法ですね。

恐る恐る入口をくぐると、2年の個性派男子2名がお出迎え。それから幹事長と出くわすと、1年のT君もいました。ほどなくして2年のI君も現れ、意外な活況の中でしばし談笑してその場を後に。さすが原宿という土地柄、私が受付で駄弁っているとひっきりなしにお客さんが入って来ます。もう累計で100人を超えたらしい。ううむ、やっぱ場所って重要なんだね。

作品を見ていて、2年生は次第にそれぞれの個性を確立しつつあるなと。絵を見て、「あ、○○さん/くんの絵だ」とか「この絵、○○さん/くんらしいね」って思ってくれれば、それはもう自分らしさを確立しつつあるということ。

自分の胸に手を当ててみれば、そんな彼/彼女らがちょっと羨ましい。今でも私はどんな絵を描きたいのか、一向に分からないから。ガキの頃から外で遊ぶのが嫌いで、ずっと絵を描くか本を読むかのどちらかしかしてこなかったのに、高校+浪人の4年間というブランクが響いて、「描きたいモノ/コトが分かっている感覚」を失ってしまったんだろうか(ただし、画力はほとんど変わってないと思う)。そしてそれは未だに取り戻せていない気がするのです。

どんなことでもそうだけど、そんな「分かっている感覚」を自分のものにするには、反復が一番手っ取り早いというのは、たぶん多くの人が経験上知り得ているはず。音楽なら、たくさん聴き続けているうちに「好みの音」や「好みのジャンル」が分かってくるだろうし、ファッションなら、試行錯誤と失敗を繰り返すうちに、その人らしいスタイルやテイストが築き上げられていくだろうし。

だから身も蓋もないことを言うと、昔みたいにたくさん絵を描いていこうと決意しました。大学に入ってから思いっきり多趣味になってしまったので、とにかく絵を描くための「時間」を作ることにします。あれもこれもと欲張りたい性分だから、それこそ時間を大切にしないと。

時間で思い出したけど、テスト&レポートも先月で終わり。……と書いたのはいいけれど、7月末に書いた日記の下書きファイルを開いたら、「テスト&レポートも今日で終わり」と書いてあって、ああ、しばらく日記書いてないなあと、否が応でも時の流れを実感せざるを得なくなりました。

それからレポートの総字数をざっと計算してみたら、約19,000字にも達していました。約2万字か。今学期はレポートばかりだったので1万字以上は書く必要があったのですが、そうすると規定字数の1.5倍は書いた計算になります。

文章を書くことは好きだけど、日記でもレポートでも、書き始めるまでが遅いのが悩みの種。並はずれて遅筆というわけでもないけれど、エンジンが掛かるのが遅くて、低回転の加速は鈍く高回転の加速は鋭い、みたいな。クルマつながりで『頭文字D』風に表現すれば、さしずめ「ピーキーな特性の高回転型NAエンジン」といったところかな。一度加速に乗ると夢中で書き続けられるんですけどね。

さて、日記のタイトルは、最近ハマっている「ドラクエ9」のこと。発売日に速攻で買い、10日程度でクリアして、もうプレイ時間は100時間超え。今回は「クリア後が本番」という前代未聞な、「ポケモン」的スタイルが特徴で、なるほどプレイしてみるとそういう楽しみ方もあるんだなって実感できます。

前作「ドラクエ8」から大幅にスペックダウンしたDSというハードの賛否、それから「サンディ」なるコギャル風妖精が物語の主要キャラクターであることなどから、発売直後の評判はすこぶる辛辣なものでした。私も、「4」~「8」までの主要キャラクターにそれぞれ個性があるドラクエに慣れていたので、「3」よりも仲間意識が希薄で、単なる傭兵程度にしか感じられない今作の仲間キャラには違和感を覚えてしまったのが正直なところです。

しかし、クリア後からが本番といったように、外に持ち出して遊ぶようになれば、なるほど今作をDSで出した理由がなんとなく分かるし、これはDSでしかできないだろうなとも思うようになりました。

[【ニンテンドーDS】300万人のドラクエファンが欲しがる幻のアイテム『まさゆきの地図』]
[まさゆきの地図:キーワード解説]

上記のニュース記事にもあるように、今作は「すれちがい通信」が一番面白いと断言できます。それぞれ個性的なプレイヤーキャラクターがこちらにやってくるのも面白いし、何よりも「たからの地図」の交換が熱い。もうすれちがい人数は240人を突破したし、そのニュースにある「まさゆきの地図」(B15Fにメタルキングのシンボルしか出現しない)も入手済みです。

一部のネット上だけのスラングだけだと思っていたら、もう記事のネタにされるなんて、「ドラクエ効果」の凄まじさを実感します。今日も吉祥寺~渋谷~代官山~原宿~渋谷~吉祥寺と、電車内と歩いている間中すれちがい状態にしただけで約40人とすれちがうことができました。

レアな地図を得るためにネットで情報を得て(”今日×時から○で△の地図を配布します”、なんて告知が日に何度も行われている)、実際にその現場に向かうと、本当にその地図が受け取れるわけで、「ネット」と「リアル」の接続点を実感することができます。まさに「繋がっている感覚」とはこのこと。しかもゲームというバーチャルなメディアを媒介しているというのも、かえってそんな感覚を増幅させてるんじゃないかと思います。

「まさゆき地図」はとっくに入手していますが、今日だけで「ロッカー地図(レアアイテムが出る宝箱が大量に配置されている)」、「はぐれメタルオンリー地図」、「ゴールデンスライムオンリー地図」(すべて通称)という、メジャーなレア地図を3枚もゲットすることができました。私とすれちがってくれた見知らぬ誰かに感謝感謝。

この「まさゆき地図」を発見した「主人公名:まさゆき」さんは、たった1枚の地図から全国的にそれこそ「感染」を拡大させたわけで(もう日本の最北端・最南端のプレーヤーに伝染していることが確認されている)、なんだかコンピュータウイルスのようで、滑稽でもあり不思議にも思えます。

最後に映画の話でもしましょうか。誰に会っても、みんながエヴァエヴァ言っててうるさいので(ファンの方ごめんなさい)、夏のお勧め映画を2本挙げときます。『HACHI 約束の犬』(監督:ラッセ・ハルストレム、主演:リチャード・ギア)、それから『サマーウォーズ』(監督:細田守)。

前者は『ハチ公物語』(1987年)のハリウッド版リメイク作品。公開は8月8日。主演はリチャード・ギア。予告編を見て思わず泣きそうになってしまったので、これは泣ける、間違いなく。フジテレビが関わってるとか、どうせリメイクはつまらないとか、そんな色眼鏡で見ることなかれ。侮れないのは監督のラッセ・ハルストレムがクールで実直な映画監督だということ。こういう演出は堅実に構築してくれる……と思う。ギアとハチの触れ合いがいとおしい、そんな動物への慈しみまで感じることができるのではないでしょうか。

後者は『時をかける少女』(2006年)の細田守監督の最新作。8月1日公開。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』と同じく日テレが一枚噛んでいる作品。日テレの売り方を見ていると、どうやら細田氏を第二のジブリ、第二の宮崎駿にしたいんだろうなと見えます。

でも現状、日本のアニメは「ジブリ作品」か「それ以外」で、見られ方が180度異なっているので、それ相応の地位を築くのは並大抵に事ではないでしょう。それは、「ジブリ作品」は、「アニメ」という言葉が自覚的に用いられる文脈において、もはや「アニメ」ではなくなっているということ。簡単に言えば「オタク」を意識させないアニメ作品になっているわけです。

「アニメ」の「ア」の字を出しただけで「オタク」とレッテルを貼るのに、「ジブリ作品」だけは好きな子、少なくともうちの地元にはたくさんいました。サブカルチャーとの親和性が異様に高い文学部キャンパスに浸っていると忘れがちだけど、所詮田舎はこんなもんです。

で、この『サマーウォーズ』、前評判もおしなべて高いようです。予告編を見る限り「甘酸っぱい青春」、いやそれ以前に「地に足のついた日常」を描けるアニメ監督は、やはり細田氏が突出していると思います。それと持論だけど、「青春」を謳歌した人は「青春」を絶対に描けない。おそらく表現の突出と人生体験の突出は反比例してるはず。その必要がないから、と言ってしまえばそれまでだけど、だからこそ人は表現せずにはいられないんだろうなと。

それから、『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』(ともにスティーブン・ソダーバーグ、2008年)を見ました。チェ・ゲバラ……とにかく驚嘆に値する人物だ。なぜそこまで己を律し、民衆のために尽くしたのか。伝記映画風の淡々とした構成の中からは明確には読み取ることができなかったけれど、ジョン・レノンが言ったように「20世紀で一番格好いい男」の異名は伊達じゃない。そんな気がします。

大学の授業が終わり、帰省にはまだ早い、そんな特に何をするわけでもない時間を過ごすことは、しかし本質的には同じ日々を螺旋のように反復しているような気分さえ生じさせます。あっという間に時間が過ぎていくような、でも同じところをぐるぐると回っているような。「あやしうこそものぐるほしけれ」と兼好法師が綴ったように。

夏ってきっとそんな季節。私は見てないけど、今やってるアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」も、きっとそんな気分を反映した代物なんだろう(もう8週以上も同じ話を繰り返しているんだって?……くだらない)。

今はまだ7月下旬、少なくとも私の中では。

降り出した雨を見上げて

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-06-20 Sat 16:52:33
  • Essay
先日、関東地方は梅雨に入ったと聞きました。とはいえ、気温は日を追うごとに上昇しているように感じられます。雨が降ろうが槍が降ろうが、夏の足音は着実に大きくなっていくことでしょう。

梅雨が過ぎ去れば、ああ…夏が、苦手な夏がやってきます。最高気温が20度台後半になることが多いこの時期。半袖が嫌いな私としては、思い切って半袖に衣替えするか、もう少し長袖で過ごしてみようかの二者択一にちょっぴり思い悩むひととき。

月曜日は夕立らしい「夕立」に見舞われました。パンツはずぶ濡れ。ジャケットは袖がびしゃびしゃ。靴は水浸し。高田馬場では降っていなかった雨が、ここ練馬区最果ての地では激しい雷雨だったのです。

駅に留まっていれば良かったのに、その時の私には「雨宿り」という選択肢は消え失せていたのでしょうか、気づいた時には豪雨降りしきるアスファルトの上を駆け出していました。水たまりを思いきり踏みつけて、自然のシャワーを浴びることを厭わず、1キロ先の家路まで。

とその時、眼前を遮ったのは激しいフラッシュ。遅れて耳に入り込んできたのは小刻みに震える重低音。どうやら、その音と光の正体は私が最も嫌う雷だったようです。嗚呼これぞ夕立、これぞニッポンの夏。「カカア天下と空っ風」を風物詩とする群馬県民は雷には慣れっこだろうと思われては困りもの。地元民だろうと怖いものは怖いのです。

 ♪あめあめ ふれふれ もっとふれ ひとりで おかえり うれしいな

そしたら「かあさん」が「じゃのめ」で「おむかえ」に来てくれるはずもなく、当然「ピッチピッチ チャップチャップランランラン」などという軽やかな響きもそこにはありません。そこにあったのはただ「Bitch Bitch Jap Jap Run Run Run!」な状態。

くだらない替え歌を考えていたらふと、私の好きな自由律の俳人、種田山頭火の句を思い出しました。

 夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

時を隔てても、夕立は何もかもずぶ濡れにさせてしまうのです。果たして家路について、部屋でずぶ濡れになった衣服を洗濯し、ぬるま湯のシャワーを浴びていると、なんだか心までずぶ濡れになっていくような気がしましたとさ。

そんな、久しぶりに遭遇した夕立のお話。

えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん

  • Posted by: Rainyblue
  • 2009-05-29 Fri 23:02:34
  • Essay
帰宅後の昼下がりに何の気なしにテレビを見ていたら、東京大学五月祭のテーマに賛否両論といった内容の新聞記事が紹介されていて、それくらいいいじゃんかよとその時は気にも留めていませんでした。

詳しくはこの記事でも読んでください。

今年の東大五月祭のテーマは「AcademicPandemic」で、パンデミックという単語が新型インフルエンザを連想させて不謹慎だという批判が主にネット上(大方、虫唾が走るほど嫌いな”あそこ”でしょうが)で噴出したそうなんですが、批判に迎合して安易に変更しなかったところはさすが東大らしいプライドの高さが窺えます。

まあ、新型インフルエンザも豚インフルエンザの「ぶ」の字もなかった1月中旬に決定したテーマに今更あれこれ言うなよとも思うのですが、ネット上の記事を読んでいるうちにたまたま発見したのが京都大学11月祭のテーマ。

で、これが面白くて笑ってしまいました。やっぱ京大、東大とは違う人材が集まるな、と。

詳細はWikipediaこちらのサイトを見てほしいのですが、時代の空気を如実に反映しているのが興味深いところです。

例えば過去数年のテーマを挙げてみます。

・2001年(第43回) - それはそれ これはこれ
・2002年(第44回) - 総長! 京都を占拠致しました!
・2006年(第48回) - 溢れる才能の無駄使い
・2008年(第50回) - 単位より大切ななにかを求めて


この斜め上から見ている感とか、考えた人は絶対あっち方面の人だよなとか、21世紀以降のテーマはみんなこんな感じです。2007年のテーマは当初「超意欲的ニート」だった(抗議により変更)というからもはや突き抜けるところまで突き抜けてしまった感すらあります。京大生終わってんな。

1960年代後半~70年代中盤は、学生運動全盛期ということで「連帯」「解放」といった用語や左翼系セクト特有の長ったらしいスローガンなど、政治色がかなり強い時期が続くので大して面白くはありません。

そして、1980年代中盤~90年代前半になるとテーマから「意味」すらも喪失してしまっているような空気が漂ってきます。

・1986年(第28回) - えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん
・1987年(第29回) - 白い乳房の上の11月祭
・1988年(第30回) - 裏からのぞけば 見えてくる
・1993年(第35回) - 花も実もある 根も葉もない


1986年のテーマは一体何なのかと調べてみたらドイツ語のessen(食べる)の活用形(後半はおそらく麻雀?)だそうです。そんなのテーマにしちゃうの。もはやテーマであることを否定してしまってますね。この中では93年のテーマが一番好きかなあ。この頃はちょうどバブル経済と同時期なので、バブルの空虚な時代性を如実に反映しているような気がしてなりません。

ただ、個人的には60年代前半、学生運動の萌芽が見え始める直前の、まだ古き良き学生のナイーブでインテリな文学青年的気質が感じられる、

・1961年(第3回) - 仮眠の季節における僕たちのあいさつ
・1962年(第4回) - 故郷喪失の時代と僕ら
・1963年(第5回) - 噛む時には言葉を考えるな
・1964年(第6回) - ああ自然死-このナチュラルなもの


あたりのテーマに心惹かれます。この時期は表現がやたらと文学的!

一見もの凄くアクティブでも、良くも悪くも有象無象な「イマドキの大学生の平均値」を体現しているように感じられる早稲田には、京大のような自堕落でエキセントリックなセンスは期待できそうにありませんが、今度京都に行くことがあったら京大にも立ち寄ってみようかな。

東大は秀才、京大は天才とよく言われます。馬鹿と天才は紙一重ですね。東大のテーマは真面目な人がマジメに背伸びしちゃった感があるけど、それでも大学生って大人に眉をしかめられるようなバカやってナンボだと思いますよ。青臭くたっていいじゃない。…大学生だもの。

私はくだらないことが大好きなんですが、くだらないことに情熱を注げられる人ってホント素敵だと思います。

東大京大で思い出したけど、東大には同じ高校の友人が何人かいるのに京大には一人もいないことに気付きました。そういえば未だ携帯電話を持たずに東大を目指して2浪しているとか風の噂に聞いたあいつ、どうしてるかなあ……。

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